万聖節が来る前に 4

2018/12/13(木) 原作の隙間 1762晩秋


万聖節の前の夜、母さんが狼谷村の家に帰ってきて、ぼくを見つけられなかったら、どんなに悲しむだろう。考え出したら胸がきゅうきゅうに絞めつけられて泣きたくなった。

一日、ううん、半日でいい。かあさんが帰って来る日には狼谷村で待っていてあげたい。そして安心してもらうんだ。ばくは今、ヴェルサイユに住んでいるから狼谷村にはいないけど元気にしているって。来年からはヴェルサイユに会いに来てって。そう言ってあげたい。

何度もおばあちゃんにそう言いかけたけれど、おばあちゃんはわかってはくれなかった。

ちがう。ぼくがおばあちゃんにわかるようにちゃんと言えなかったんだ。ジャルジェ家では誰もがおばあちゃんを頼りにしているからおばあちゃんは忙しい。ノエルも近いし、ほかの皆もとっても忙しそうにしている。

そんな時に万聖節の前の夜には狼谷村に帰りたい、だなんて怒られそうで言えなかったんだ。おばあちゃんはかあさんに会いたくないの?って怖くて聞けなかった。会いたくないよって言われても、おばあちゃんだって会いたいんだよって泣かれても、どっちもつらいから。

ぼくは母さんのことを思って毎晩泣くことしかできなかった。おばあちゃんの部屋に寝かせて貰っているから声を出さないように泣いた。おばあちゃんはぼくに構わず大きないびきをかいて寝るから起こしてしまう心配はあまりなかったけど。

おばあちゃんはぼくは恵まれているっていつも言う。だから、これ以上のわがままは言っちゃいけないんだよ、とも言う。ぼくもおばあちゃんの言う通りなことはわかっている。だから、このまま諦めるしかないんだろうと思った。

村にはぼくよりもっと寂しいこどもがいっぱいいた。神父さまの持っている小さな小屋には、ひとつのベッドで四人ぐらいづつ寝ている子たちが沢山いる。いつもおなじ服をきて、みんな冬でも裸足だ。かあさんはよく差し入れに行っていた。

かあさんが死んだあとも誰かほかの村の人が差し入れにいってくれているといいな。神父様のお手当てだけではたまにしか温かいものを食べさせてあげられない、ってかあさんが言っていた。父さんや母さんが病気だったり、お酒を飲んで働かないうちもあった。そんなうちの子は、やっぱりお腹がすいて殴られてばっかりだった。

ぼくには厳しいけれど優しいとこもあるおばあちゃんがいるし、厨房のマルゴや庭師のピエールおじさんや従僕見習いのセバスチャンはすごく親切にしてくれて、すぐに仲良しになった。ごはんは美味しいし、ぼくだけのベッドをおばあちゃんの部屋に入れてもらって、暖かい毛布ももらった。汚れた服を着ることもない(汚い恰好をしているとむしろ怒られる)。

お屋敷の奥様はおきれいでとってもお優しい人だ。だんな様は怖そうなお顔だけど、じかに怒られたことも叩かれたこともないから、いい人なんだと思う。何よりぼくをここに引き取るお許しをくれた人だしね。

おばあちゃんは厳しいけれど、言っていることは本当だ。こんないいおうちに引き取られたんだから、欲張ってはいけないんだ。だからどんなに悲しくても、かあさんに会いに戻ることは諦めなくちゃいけない。ぼくはそんな風に決心していたのに。

オスカルは凄い。本当に凄い。

おばあちゃんにも誰にも話せなかったことを、オスカルに聞かれて全部喋ってしまったら、オスカルはどんどん動き出した。次から次へと何をしたらいいか知っているみたいに。諦めるってことを知らないみたいに。

執事のデユポールさんに万聖節がどうしてできたかを聞いた夜、オスカルはぼくを部屋に呼んで言った。

「あの世の扉が開くかどうかなんて誰にもわからないことがわかった。それなら試してみればいいんだ」
「どうやって?」
「簡単だ。おまえが万聖節の前に家に帰ればいい。お母上が戻ってくればそれで良し。おまえは伝えたいことを伝える。戻って来なかったら伝説が嘘だとわかるだけで別に誰も困らない。お母上が戻って来たか来なかったかわからないかも知れないが、いいじゃないか。おまえに会えたのなら喜ばれるだろうし、戻って来なかったなら悲しがられることはないんだから」

それって簡単って言わないと思うよ、って言ったらオスカルはあたまをむしゃむしゃとかき回した。ぼくがへんなことを言うと、オスカルは決まってそうする。

「オルフェウスみたいに黄泉の国に下りるというなら簡単じゃない。でも狼谷村は馬車や馬で誰でも行けるところにあるんだから、簡単だろ。おまえは半日でうちに着いたんだろ?」

正確に言えば丸1日かかった。でも、そう言われればそうだけど、馬車も馬も誰かに頼まないと動かせない。万聖節には朝からミサがある。次の日も万霊節のミサがある。そんな忙しい日の前の晩に狼谷へ連れて行ってくれる人がいたとしても、おばあちゃんがゆるすはずがない。

オスカルにはそんな考えは全然ないみたいで、ぼくに手紙を書けと言ってきた。かあさんにつたえたいことを手紙に書いて狼谷村の家に置いてくれば、もしぼくとかあさんが行き違うことがあっても、確実にかあさんへ伝言ができる、というわけだ。

オスカルは、ぜんは急げだとかなんとか言って、紙とペンまで出して来た。ぼくはまだつづりをいっぱい知らないし、よく間違えちゃうから手伝ってやる、今すぐ書けって。手紙を書いたって、家に帰れるかどうかもまだわからないのに、って言ったらばかか、と言われた。オスカルの頭はかきむしり過ぎて髪の毛が金の入道雲みたいになった。

「ただ泣いていれば帰れるのか?計画を立てるんだ。あとはやるかやらないかだ」

後で思うと、オスカルはとっても当たり前のことを言っている。それなのに、そう言われる前は、どうしていいかわからなくて、ただ我慢するしかないような気がしていた。言われた後は目が覚めたような気がした。

そうだ。ただ座って泣いているつもりなら、どうにもならなくて当たり前だ。どうしてオスカルに言われるまでそんなことがわからなかったんだろう。

「おまえにとって大事なことなら、ぼくは協力する。やるのか?やらないのか?」

オスカルはやっぱりほっぺと鼻のあたまを薔薇色にして、真剣な目でぼくに聞いた。ぼくより一生懸命なオスカル。ぼくが大事だと思うことを同じように大事にしてくれるオスカル。こんなに心がひとつになる友達は初めてだ。

おばあちゃんは言った。いくらオスカルお嬢様が友達らしくしてくれても、主人と使用人というたちばを忘れちゃいけないって。ぼくの方がいつも気をつけなくちゃいけないって。でも、ぼくの心がそれは違うと言っている。

オスカルの心も、同じなのがわかる。だって、目がそう言っている。顔もそう言っている。オスカルが凄く頑張ってくれているのがわかる。だって友達だから。ぼくだってオスカルにはきっとそうしたくなる。

おばあちゃんの言うことはきっと正しいのだろうけど、本当に大事なことは正しいことよりずっとずっと大きいんだ。

「やる。やるよ、オスカル」

オスカルの顔がぱあっと明るくなった。ほっぺももっと赤くなったような気がする。嬉しいのかな。きっとそうだ。だってぼくも嬉しいもの。ぼくたちは今こころで繋がっているんだ。

ぼくたちは手紙を書き終わったあと、ふたりで毛布にくるまって、オスカルのベッドに寝転んで計画を立てた。最初はちゃんと居間で話し合っていたんだけど、オスカルの部屋ってとっても大きいから暖炉にいっぱい薪を燃やしても寒いんだ。ぼくのベッドを入れたらぎゅうぎゅうになっちゃったおばあちゃんの部屋はちょっとだけ薪を焚くとすぐに暖かくなるのにね。

見つかったら叱られちゃうけど、ぼくたちは見つかったら叱られるだけでは済まないことを計画していると思ったら、気持ちが大きくなった。と言っても計画はほとんどオスカルひとりで立てたようなものだ。ヴェルサイユのことはオスカルの方がよっぽど良く知っているから。

オスカルの計画はこうだ。

出入りの農家にボーネルさんというおじさんがいる。ボーネルさんは毎朝新鮮な野菜をジャルジェ家の納屋に届けてくれる。それからその足でパリの市場に行くんだ。王様にもお出しするようないい野菜だから、パリで売った方が高く売れるんだって。

10月31日の朝、そのボーネルさんの荷馬車にうまく潜り込む。そして、パリの市場に着いたらそっと抜け出してセーヌ川に沿って歩く。セーヌ川に沿って歩けばいつかはマルヌ川に枝分かれする。狼谷村はマルヌ川沿いだから、遠回りかも知れないけど、絶対に迷わない方法だって。

ぼくは何度も父さんとパリへ行ったことがあったから、セーヌ川とマルヌ川が枝分かれする水門の場所は覚えている。ぼくがそう言ったらオスカルは大きくうなずいた。
『じゃあ、成功まちがいなしだ。ぼくもいちど狼谷村が見たかったんだ』

えっ?

ぼくはあわてた。オスカルはぼくと一緒に行くつもりなんだ!わあ、困った。オスカルは言い出したらてこでも動かない。そのおかげで、こうしてぼくはあきらめずに計画を練っているのだけど、オスカルが黙っていなくなったら大騒ぎになる。だって、大切なあと取りなんだもの。

ぼくはオスカルを説得しなくてはいけなくなった。オスカルの勇気に助けられてぼくも勇気を出せたのはよかったけど、こんどはおなじ勇気に困るなんて!

『だめだよ、オスカル。きみが消えたら屋敷中大騒ぎだ。ぼくだけなら、いなくなったのに気づかれるまで時間がかかるけど、きみの場合は侍女のナタリーやおばあちゃんが朝からお世話に入るんだから、すぐにばれちゃうよ!』
『なんだと!おまえは自分ひとりで行く気だったのか?』
『うん、だってぼくのことだし』
『おまえみたいな弱虫がひとりで行けるわけはないだろう?』

そう言われて、ぼくはついむかっとした。オスカルの毛布をかぶったままむっくりと起き上がったけど、ベッドも大きければ毛布も大きくて全然よゆうだった。

『弱虫ってなんだよ』
『弱虫じゃないか。ぼくが何も言わなかったら、ただ泣くだけだっただろう?』

そうかもしれない。でもオスカルにそんな風に言われたくはなかった。泣きそうになったけど、意地でも泣くもんかと歯を食いしばった。そして何か言い返してやろうとしたけれど、歯を食いしばったままでは何も言えないことに気がついた。だから大きな深呼吸をしてから力を抜いた。

オスカルもぼくみたいに毛布をかぶったまま起き上がった。おおきなキノコがふたつ、ベッドの上に生えたような感じになった。毛布はそれでもよゆうの大きさだった。そんなことに感心している場合じゃないけど。

『ほんとうに弱虫だったら、ひとりで行く気になんかなってないよ!』
『じぶんだけ行くなんてずるいぞ!』

ずるい?わけがわからなくなって来た。きっと、オスカルのことだから、何かがこうなってああなってそうなるからずるい、って考えがあるんだろうけど、ついていけないよ、そんなの。

キノコになったぼくたちはにらみ合った。
そしてにらみ合った。
まだまだにらみ合った。

ちょっと疲れてきたけど他にどうしようもないので、もう少しにらみ合ってみた。あんまり長いことひとをにらむのはけっこうたいへんなことがわかった。


ぼくのむかむかは、いつのまにかどこかに消えちゃって、困った気分だけが残った。オスカルは怒っているふうに見えるのに、何か寂しそうにも見えたから。オスカルは負けず嫌いだから、いつまででもにらんでいるだろう。ぼくのほうが先にやめなくちゃ。

母さんが死ぬまえにぼくに言ったことを思い出した。弱虫とかずるいとか、オスカルの方がひどいと思うけど、ぼくが悪いんじゃないと思うけど、母さんが教えてくれたことをするならきっとこんな時だと思った。

―ひとに優しくするのよ、アンドレ、優しい子。ひとに優しく思いやりを持ちなさい。その時あなたは一番強くなる。優しいことは強いのよ。それがわからない人は大勢いるけれど、母さんはあなたを見ている。ずっと見ているわ。だからあなたのやり方で強くありなさい、アンドレ―

やってみるよ、かあさん。ぼくは、もう一度同じことをできるだけ優しくオスカルに言ってみることにした。

オスカルはぼくよりずっともの知りで剣もつよいし、何でも持っている。オスカルには教えてもらうことばかり、助けてもらうことばかりで、ぼくがオスカルにしてあげられるのは優しくすることだけだ。それで強くなれるのかどうかはわからないけど、母さんとの約束だもの、守りたい。

『おばあちゃんは朝からきみの世話をするよね。きみにかかりきりになるから、そのあいだにぼくがいなくなっても誰も探さない。でも、きみはそうはいかないよ。きみにはほったらかしにされる時間はない。

うまく抜け出せたとしても、いくらも経たないうちに見つかって連れ戻される。一度みつかったら二度目はごまかせないよね。それじゃぼくも困るんだ。わかってくれる?』

オスカルは両手で毛布のはじを握りしめて顎の下でぎゅっと引っ張った。キノコがおばけになったみたいだ。何も言わないまま下を向いて動かないから、ぼくはもぞもぞと動いて隣にくっついてみた。突き飛ばされるかと思ったけど、オスカルはぼくに寄りかかかってきた。

『わかった。おまえの言うとおりだ』

オスカルじゃないみたいに小さな小さな声だった。けれどぼくはほっとした。良かった、わかってくれた。本当のことを言うと、ひとりで狼谷村まで行くのはすごくこわい。オスカルも一緒に行ってくれたらどんなにいいだろうと思う。

でも、オスカルが行方不明になったら、だんな様や奥様、お姉様がたはものすごく心配するだろう。他のみんな全員が心配して探しまわるだろう。特にはおばあちゃんや、侍女のナタリーや執事のデユポールさんや礼儀作法のガブリエル先生や門番のシモンさんみたいなひとは、責任をとらないといけないんだと思う。

ぼくのために迷惑をかけちゃいけないんだ。ぼくはひとりで行く。オスカルが応援してくれたおかげて勇気がもてたんだから、もうじゅうぶんに助けてくれたんだよ。すごく叱られるだろうけど、ここで行かなきゃ、これからずっと後悔する。

『オスカルありがとう』
ぼくは毛布から顔を出して、オスカルがぎゅうぎゅう引っ張っている毛布をあたまからはずした。ぺっしゃんこになっていたオスカルのくるくる巻き毛はあっという間にもこもこになった。

『仕方ない』
オスカルがぼくの目を下から見上げてそう言ったとき、背中がちょっとぞくっとした。なんだか不吉な予感だ。そうだ、オスカルはたしか『ずるい』って言ったんだ。どういうことだろう。何かがヘンだ。

『計画は練り直しだ』
『ええええええ~っ‼』
『しっ、大きな声を出すな。ばあやが飛んでくるぞ』

ふたりして毛布をかぶってひとつの山になった。まっくらな毛布の中でオスカルがにやりと笑ったのがわかった。真っ白なちいさな歯がきらっと光ったから。

『まあ、いいから聞け』

オスカルの前歯は三日前に抜けた。オスカルはそれを気にして笑う時は横か上をむくようになったんだけど、毛布をかぶっていたから油断したんだ、きっと。って、重要なのはそこじゃない!オスカルは何が何でもぼくといっしょに行くつもりなんだ!

話を聞くまえにそれだけはわかった。

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