天使の寄り道7 

2018/03/16(金) 原作の隙間1788冬


オスカルのやる気満々の命が下った翌日から、アンドレは調査を開始した。過去一年間、カトリーヌに関わった登場人物を全て特定し、一人ひとり個別に話を聞く計画だ。しかしノエル休暇を控えているこの時期、軍務には飛び込みの調整案件が毎日持ち込まれる。その合間を縫って調査活動をするとなれば、毎日の帰宅が遅くなること必至だった。

当面リュカの子守が出来なくなることをアンドレがジャルジェ夫人に詫びると、夫人はあっさりと快諾した。ジャルジェ夫人はオスカルを取り巻く歴戦の侍女軍団からしっかりと報告を受けており、夫人が狙ったオスカルの情操教育の成果が申し分ないほどに上がっていることに満足していたのだ。

『赤ちゃんを見つめるオスカル様の眼差しは確実に変わりましたわ。もともと愛情深いお方ですもの、赤ちゃんに直に触れれば虜になるのに時間はかかりませんわ』

『それは良かったわ。これで、あの子が自分の子供や家族を持ちたいと思ってくれるようになればどんなに良いでしょう』

『もう、それは確実に思っていらっしゃいますとも』

『それは嬉しいこと。それでもなお、あの子が軍人として独身を選び続けるとしたら、わたしは随分と酷い仕打ちをしたことになるわね』

『きっとご自分で折り合い地点を見つけられますわ。それに、オスカルさまに家庭的な要素が全くなければ、赤ちゃんをあんなに愛おし気にご覧になったりお傍に置いたりなさるものですか。もともとお持ちの気質が表面に出て来ただけのことでしょう。それなら、早い方がよろしいではありませんか。十年二十年先に気が付かれたのでは手遅れです』

『ありがとう、マルタ。そうね、その通りだわ。いっそ、あの子は軍籍も家庭も両方望めばいいのよ。どちらかを選ばなければならないなんて、どうして決めつけてしまったのかしら。周囲も、あの子自身も。だから、追い詰められた獣みたいに抵抗したんだわ』

『獣って…おくさま…』

『ほほ、笑って構わないことよ』

『すみません。一角獣のように美しい獣ですわね。鋭い角も強い蹄も気性もそのままを美しいと考える男性なら、角を手折って飼いならそうとなどしないでしょう。そんな方ならきっと』

『そうね。さらに家庭的で子煩悩な方なら、あの子の不器用なところを補ってくださるわね。そのような男性と出会うのは…干し草の中に落とした指輪を探すようなものかも知れないけれど』

『……』

『いいのよ。もしそのような男性がいたとしても、お膳立てされた縁に乗る子ではありませんもの。本人自ら見つけて来なければ』

『もう見つけていらっしゃるのかも』

『……』
『……』

『…そうそう、乳母を引き受けてくれたあなたの妹さんはお疲れではないかしら。なにしろ急なお願いでしたから』

『お気遣いありがとうございます。自宅から通いですし、授乳以外のお世話は免除な上に、自分の子を連れて来る許可まで頂いて、毎日夕食の持ち帰りとお手当てまで頂けるのですから喜んでおりますわ』

『それは良かったわ。二人分のお乳をあげるとなれば体力も二倍使いますから当然ですよ。それにばあややマルゴに赤ちゃんの世話をするなと言ったところで大いなる無駄でしょうから、丁度良いわ』

『リュカはすっかり皆のアイドルになってしまいましたから、抱っこは順番待ちですもの』

『わたくしも時々並ぶのよ』

『まあ奥さま』

『アンドレにまで子守をさせるのはちょっと気の毒でしたけれど』

『アンドレと言えば、赤ちゃんの扱いが予想以上に巧みだったので、もう上がる余地はないと言われていた彼の株価が高値を更新中ですわ』

『ほほほ、そんなに高値がついては誰にも買えないわね』

『ええ、買えるとしたらいよいよ一人だけですわ。はっ!失礼しました。何でもございません』

『いいのよ。いくら高値でも買う価値はありそうね。時を待ちましょう』

『お、奥様!?』

『その時はまた手伝ってね』

『は…はい!』

と、まあ、当人のあずかり知らぬところでかような謀議も進行していたようだが、それはともかくとして。自分一人で関係者全員から事情聴取するのは無理だと踏んだアンドレは協力者を衛兵隊内部から主に募るつもりで選定を急いだ。出来れば兵士らが帰省する休暇前に全ての情報収集を終えたかった。

ジュリが衛兵隊本部に乗り込んで来た事件は皆知っているので話が早いし、下手をすれば全員に父親容疑がかかる立場でもある。身の潔白を証明するためにも協力してくれるだろう。

とは言え、誰でもいいという訳にはいかない。機転が利いて記憶力も確か、臨機応変な判断力を持ち、場合によっては相手にカマをかけられる程度の芝居っ気も必要である。

「で?俺に何をしろと?」

夜勤明けにつかまってすこぶる機嫌が悪いアラン・ド・ソワソンは、それでも彼にしては辛抱強くアンドレの話を最後まで聞いてから、脈のありそうな反応を返して来た。

「一番重要な情報を知っていそうなのは、ル・コック亭の夫婦と、一緒に働いていた女給たちだ。カトリーヌがル・コック亭を辞めた時期と彼女が身ごもった時期と重なるからな。ル・コック亭関係者の全てに聞き込みする予定だが、おまえにも一緒に来てもらいたい」

「一緒に行ってどうする?」
「うん、いかにもガラの悪い男が同行していたら脅しが効くだろう?」
「…おい…人にもの頼む態度かよ、それ」
「おれは人当たりがいいって評判だからね」
「どこの誰の評判だよ。つーか、衛兵隊じゃおまえは超危険人物に認定されているぞ!」
「あとは、純真な恋する青年役で、フランソワとジャンに協力願おうかな」
「聞いてねえな……」
「おっ、それそれ。そのいかにも悪そうな目つきは使えそうだ」
「言わせておけば調子こきやがってコノヤロー!」
「うわ、その喧嘩早さ加減もいいね~」

一年前、寄ると触ると縄張り争い中の野良犬のように威嚇し合っていたくせに、随分と仲良くなったものだ。子供のように仲良くじゃれ合う大男二人を司令官室の中から認めた隊長は、眉間をぐりぐりと押さえた。

思わず駆け寄って、二人共どもぎゅうぎゅうに抱き締め上げたくなるような衝動が勝手に沸き起こり、我ながら狼狽してしまったのだ。ぽやぽやなくせにずっしりした赤ん坊の重みが腕に愛しくて、泣きたくなるようなあの感覚と通じる胸の騒めきだった。

これはもしや、あれか。

オスカルは小さく頭を振った。父親容疑をかけられた結果、リュカと出会い、自分にも母性なるものがめでたく標準装備されていることを発見した。それだけでも衝撃的だったのに、母性とやらはあんなに育ち上った大男にも発動してしまうものなのだろうか。
では、他の隊員達にも?いやいや、そんなことになったら厄介過ぎる。オスカルはその考えを振り切るようにフンと鼻を鳴らし、執務机に向かって居直った。

完璧な彫刻のような冷たい美貌で有名な上司が、実は豊かな感受性と情熱の持ち主であり、よく見れば表情や態度にストレートに出していることを、すっかり常識として取り入れたダグー大佐は、楽し気にそんなオスカルを眺めていた。それは殆ど父親の気分であった。

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さて、純朴な恋する青年役にキャスティングされたフランソワとジャンは、ル・コック亭のかわいいウェイトレスに会いに来た、という設定で様子を探って来いと指令を受けた。

怪しまれないように無理はせず、軽く様子がわかる程度に探って来てくれればいいと言うアンドレに対し、アランは二人組にカトリーヌと同時期に働いていた女給の名前と住所、彼女を懇意にしていた客の有無、仕事を辞めた理由、その時期に起きたトラブル、オーナー夫婦とカトリーヌの人間関係、わかる限り情報を集めて来いと命じた。

そこまで二人に課すのは酷だろうと心配するアンドレを制し、アランは『いいから行け!』と二人組を追い払った。小遣いを貰った二人は、これまたアンドレの予想に反し意気揚々とノリノリで出かけて行った。これでは探りを入れているのが相手にばれて警戒されてしまうな、とアンドレは危惧したが、純朴(風)青年二人組は、翌日期待以上の情報を持ち帰った。

「わかったよ~。ル・コック亭のおやじジャックにはポールって息子がいてさ~、カトリーヌに惚れてたらしいよ。で、もう一人の女給の女の子が、えっとヴェラだったかな、やっかんでカトリーヌをいじめていたんだ。

カトリーヌ目当てで店に来る男が三人ばかりいてさ、彼女にばっかりチップをはずむもんだから、前から目の敵にしていたみたいだね。でも、店を辞めた理由がいじめかどうかはわかんなかった。カトリーヌは客受けが良かったから、女将さんは可愛がっていたらしいね。今でも惜しんでいるみたい。

で、先にクビになったのはヴェラの方。どうやらジャックとできちゃったらしいんだな。で女将が激怒して追い出した。って話をしてくれたのが今ル・コック亭にいるローズ。カトリーヌの後に来た女給で可愛い子だよ。でもあんなに色々喋るんじゃクビにならないか心配だよね。

ローズは息子のポールの嫁の座を狙っているらしいけど、ポールにはジャックが話をつけて来た婚約者がいる。粉屋の娘でさ、ちょっとした小金持ちらしい。ローズによれば、ポールは嫌がっているらしいけど。

でさ、カトリーヌを知っている客がたまたま店に居たのよ。ありゃ憲兵の下っ端だね。一杯おごってやったら面白い事教えてくれたよ。カトリーヌってさ、可愛いし優しいから人気があったんだけど、誰の誘いにも乗らなかったって。

だけど、ある時から突然投げやりな感じになって、誘いに乗るようになった。だからそいつもカトリーヌを一度連れ出したことがあるんだが、いざとなったら尻込みするは悲鳴を挙げるわで興ざめして追い返しちゃったって話だよ。そいつの仲間も何人か同じ目にあったって。で、そんなことがあってからすぐに彼女は店を辞めた」

もっぱら、報告役はフランソワである。ジャンはニコニコとうん、うんと頷き、時々フランソワの情報を補足した。思いもかけない収穫に驚いたのはアンドレである。こいつら、一体どこでそんな間諜まがいのテクを身に着けたのだろう。すると、訳知り顔のアランがそんなアンドレの疑問が聞こえたかのようににやりと笑った。

「元ストリートキッドをあなどらない方がいいぜ、ぼんぼんのおっさん。パリじゃ貧困層の子供の半分は死ぬんだ。こいつらは大人を出し抜くことで生き延びたサバイバーだってことよ」

アランが言う意味が分かってのことかどうか、フランソワとジャンは鼻の下を擦りながらへへっと胸を張った。それはお見それしました、と脱帽を表明するアンドレにアランは溜飲を下げたか、彼にしては懐っこく笑った。

「さて、俺らの番だな。次はどう攻める相棒?」
アランの相棒に昇格されて喜ぶべきか、若干複雑感が拭えないまでも、衛兵隊には予想以上にバラエティーに富んだ人材が未発掘のまま出番を待っているらしいことを知り、アンドレは妙な感動を覚えた。

「何かがル・コック亭で起きたのだろうな。だが、夫婦に会いに行く前に、カトリーヌに手を出そうとした客から話を聞いておきたい」
「そうだな、夫婦を締め上げる材料がもう少し欲しいな」
「おいおい、脅しに行く訳じゃないぞ」
「はいはい、品行方正なムッシュ・グランディエ殿。わかっておりますよ」

その日の日勤が終わると、二人はサン・ルイ地区の中でも一番のあばら家密集地区、ダンジュ―通りに出掛けた。特にロワイヤル通りと交差する一角は売春宿が集まる区域でもあり朝まで人通りが絶えない場所である。

同じヴェルサイユの街でありながら、オスカルと常に行動を共にするアンドレには馴染みの薄い場所だったが、アランの土地勘とフランソワとジャンが持ち帰った情報が功を成し、目当ての男に次々と会うことが出来た。二人は手分けして計五人の男に会い、予告なしに別々に話を聞いた。後に合流した二人はそれぞれ持ち帰った情報を突き合わせたが、内容は殆ど一致していた。

「決して誘いに乗らなかったカトリーヌが急に客を取ろうとした時期は四月始め、しかしいざとなると、狂ったように泣きわめき震えあがった。尋常じゃない騒ぎっぷりに閉口した連中は彼女を二度と誘うことはなかった。大筋で全て証言が一致している。

四月と言えば、懐妊後だ。男どもに口裏をあわせる時間はなかったから、五人の誰かが父親である可能性は低いな。やはり、ル・コック亭で何かが起きたか…。息子はカトリーヌに惚れていた、オーナーは女癖が悪いとなれば…うーん…」

急ぎ足でダンジュ―通りの雑踏をかわしながら、アンドレはアランに語りかける、と言うよりは、自分に確認するように独り言ちている。

「ル・コック亭はすぐこの先だ。このまま店に足を延ばすか…いや待てよ」
片割れの返答を待つでもなく、一人でどんどんと考えを整理していくアンドレを、アランは何かバケモノに化かされたように口を開けて眺めていた。

「今日はジャルジェ家の侍女の何人かが偶然を装って女給のローズやクビになったというヴェラと接触している。彼女らの報告も聞いてから、ル・コック亭に乗り込もう」
「あ…、うん」
考えに没頭していたアンドレがふいにアランの存在を思い出したように振り返り、アランは口を開いたままぼんやりと頷いた。

「何だよ、そのあほ面」
涼しい顔でそう問われ、アランはごくりと唾を飲み込んだ。俺はこいつの本性を見誤っていたのかも知れない、と背筋が寒くなる。アンドレはそんなアランに構わずにこやかに続けた。
「手分けしたお陰で短時間で片が付いた。助かったよ。狭い地区だから、噂はあっという間に広がる。その前に全員の証言が取れたから信憑性はばっちりだ」
「お、おう…」

一応の貴族である自分よりも、一見はるかに品のある物腰と端正な容姿を持つ男をアランはまじまじと見つめた。そう言えば、こいつの言葉遣いと礼節は誰よりも美しいから、安心して王族の前に出すことが出来たと、隊長がこの男を評して自慢げに目を細めたことがあったっけ。あれは、それこそ、一年前のル・コック亭でのことではなかっただろうか。

さらに隊長に言わせれば、この男の場合内面の誠実さと美しさが滲み出るのであって、作法の型が完璧だなどという薄っぺらな次元ではない、らしい。

隊長評が的を得ているかどうかはともかく、アランとしては、従者自慢する時の隊長の嬉しそうな様子に超モヤついたものだから、会話の内容はよく覚えている。

ところがだ。
たった今しがた、アランは隊長ご自慢の従者が『ゴロツキ』に豹変したのを見た。

二人で訪ねた一件目の居酒屋で、くだを巻いている目当ての男を見つけると、アンドレは一杯奢る風に見せかけながら陽気に話しかけた。酒とたばこと男臭のむんむんする酒場に、ミントの香りが通り抜けるような爽やかさだ。アランの目には、それはもう小憎らしいほどだった。

しかし、二言三言会話を交わした後、カトリーヌに関して問われた男がしらを切ろうとした途端、アンドレは男の腕を瞬息で後ろ手に捻じり上げた。そして、男にだけ聞こえる低い声にあらん限りの脅しを込めて、一発壁をぶっ叩いた。男は縮み上がり、知っていることを洗いざらいぶちまけた。

何と言うか、あれは恐喝のセンスがなくては出来ない間合いだ。油断を誘う声かけ、豹変するタイミングと関節技、気迫。嘘や言い訳を考える間を相手に一切与えない隙のなさ。しかも、他の客の喧騒を隠れ蓑に、誰にも気づかせないうちに終わらせるとは手口が玄人過ぎる。『人当たりがいいって評判だから』とはいったい誰のことだ。

その後、二手に分かれて一人になったアランはアンドレのやり方に倣って二人の男から証言を引き出した。手早く済ますことができたので、自分の方が先に約束した再合流場所につくかと思いきや、そこには涼しい顔をしてアランを待つアンドレがいた。

しかも、アランの姿を認めると、能天気に『よっ、早いな』と片手を挙げて見せやがったのだ。自分もアンドレより荒っぽいやり方で仕事したことは棚に上げ、アランは相棒の腕をむんずと掴んだ。

「おまえさ、隊長に内緒にしている人格があるだろ」
「?」
「おまえは隊長に言わせると、落ち着いていて、控えめで礼儀正しく、親切で行き届いた従者らしいじゃないか」
「オスカルがそう言ったのか?へええ」
「そこでにやけるか、ヤロー、この良い子ちゃんの皮かぶった狼男が」

ふにゃりとにやけた狼男は一瞬で真顔に戻り、アランに掴まれた腕を掴み返した。
「オスカルは知っているさ」
「何だと?」
突き放すように、アランの腕を振り払うと、アンドレは口元だけで笑った。
「腕力で脅すなんざ、ガキでもできる。オスカルが近衛隊を率いて渡り合ってきた宮廷はな、そりゃあもうえげつない謀略のるつぼ、なんだよ」
「な…っ!」
「さっきの脅し方に驚いたか?あんなの、清らか過ぎて途中で眠くなるね」

またガキ扱いかよ、おっさん。と言い返したかったが、アランはアンドレの目が全く笑っていないことに気が付いた。一度見たことのある底なしに鋭い眼光がきらりと光ってすぐに消えた。隊長を守るために銃までぶっ放した男。だが、それは衛兵隊だったからこそのやり方だったのだ。

そうだ、王族の本拠地のど真ん中、平民の従者という立場で一度でも暴力に訴えてしまえば、その瞬間に首が飛ぶ。隊長を守りたければ、胴と首を切り離している場合ではないのだ。では、衛兵隊以前の長い年月、こいつは宮廷でどんな方法で隊長を守って来たと言うのだろう。今まで考えたこともなかったが、アンドレがそれをやり抜いた男であることに初めて思い至ったアランは、言い知れない畏怖の念を抱いた。

                  続く



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