天使の寄り道4 

2017/12/24(日) 原作の隙間1788冬



「本気じゃないに決まっているだろう?旦那さまも奥様も」
「常識人ならな。あの親父の場合わからんぞ」
「奥様はともかく、旦那様はここぞとばかりに大喜びで意趣返しされていた。誰の目にも明らかだったじゃないか」

それに気づかない程、オスカルは頭に血が上ってしまったのだろう。似た者親子なだけに、相手のどこをどう刺せば息の根を止められるか無意識に熟知しているのだ。今回はオスカルの負けだ。

「意趣返しだと?」
「モーリスが現れた時のさ」

それから、逆シンデレラ舞踏会をぶっ潰され、面子をぶっ潰された恨み分も多分に込みである。しかし、賢い従者は世界平和と明日の朝日を拝むために、こちらの方は口に出すのを控えた。

アンドレが部屋を訪ねた時、オスカルはまだ怒りの為に頬を上気させていた。これはこれでぞくりとするほど美しいと毎度感動する自分には自虐趣味があるのかも知れない。アンドレは取りあえずオスカルのストライクバックに備えるために大きく深呼吸し、心を落ち着けた。彼にとっては手慣れた儀式である。

「それであの娘はどうしている?」
逆襲の火ぶたを切る前にオスカルは赤ん坊を連れて来た痩せこけた娘の心配を先にすることにしたようだ。

そういうところもまた好きなんだよな、とアンドレはともすれば緩みそうな頬を引き締めた。プンスカ怒っているご主人様の好きなところを数え上げればキリがないけれど、その都度にやけていては従者は務まらない。アンドレは押して来たワゴンからティーポットとカップを手に取り、オスカル好みの濃さにミルクティーを調節しながら上様にお答えした。

「主にベテラン侍女達が使用人棟で面倒を見ているが、あまり状態は良くないみたいだ」
湯気の上がるブランデー抜きミルクティーを不服気に手にしたオスカルはカップをソーサーに置いた。無言で先を促されるままにアンドレはもう少し詳細を説明する。

「固形物は胃が受け付けないらしいからブロスを少しずつ与えている。栄養不良が進み過ぎて消化器官そのものがすでに働かなくなっていたら助からない可能性がある」

オスカルの頬からすっと怒りの赤味が引いた。
「医者を呼んでやった方がいいだろうか?」
「いや、医者の出番はないというピエール爺さんの見立てだよ。食べられれば回復するし、だめなら医師にだって救えない」
感情抜きに冷静な説明をする幼馴染に若干カチンときたが、オスカルはそれ以上の追求を止めた。

ピエール爺さんとは、7年戦争に衛生兵として従軍した後ジャルジェ家の庭師となった人物だ。老齢の為にすでに引退しているが、頼りになる相談役として使用人棟の一室で隠居を許されている。医師ではないが、誰もがその経験値を信頼し、使用人の体調不良にはまずピエール爺さんの意見を仰ぐのが習わしだ。

「おばあちゃんも気にかけているし、マルゴやソフィーも交代で世話をしているから任せておけば間違いないよ。いろいろ事情も聞きたいだろうけれど回復を待ってやらないと」
「そう…か。その、何だ。客室に移してやった方が暖かくてよいのではないか?ノエルの飾りつけも済んだことだし、華やかで若い娘の目を喜ばすには良いのではないか?」

お嬢様の、自分も何かしてやりたいという気持ちが丸見えだ。アンドレは彼女の頭を引き寄せ撫でくりまわしたくなる衝動を誤魔化すために芝居がかった返答をした。
「我々使用人一同は十分快適な住環境を与えられておりますから、ご心配に及びません」
「ぬかせ」

衛兵隊仕込みの悪態が返ってきたのでアンドレは真面目な口調に切り替えて解説した。
「客室になんか寝かせたら、普段の生活環境とのギャップが大き過ぎて逆にストレスがかかるよ。使用人棟のベッドでさえ勿体ながって尻込みしたらしいから」

幼馴染は自己主張の強い方ではないが、ここぞという時には意見をきちんと言う方だ。その彼が使用人棟でも病人の保温にはちゃんと対処している、と言うのなら、ジャルジェ家に担ぎ込まれた-正確に言えばオスカルが対処に困り果てて担ぎ込んだ-娘の看護体制は万全なのだろう。

それにしても、第三身分の中でも最下層にいる貧しい人々から見た自分の生活感覚は彼らのそれとどれほどかけ離れているのだろう。衛兵隊の隊員たちと交流を深めるにつれ、理解も深めたつもりになっていた自分の浅はかさにオスカルは項垂れた。そんな彼女に幼馴染従者はこっそりと口角を上げる。

「娘が少し落ち着いたら、赤ん坊の名前と誕生日くらいは聞いておいてくれと頼んでおいたよ」
「洗礼がまだならそのくらいは我が家で世話してやってもいいか。これも縁だ」
「手配するよ。正攻法で?裏道街道経由で?」

基本カトリックの教義は私生児の洗礼を許可しない。しかし、どの道にも裏道はある。正攻法とはローマ法王に直接許可を願う方法だ。
「それを聞くか、莫迦」
その親愛をこめた莫迦が聞きたくてね、と従者は腹の中で答える。
「失礼。さてさて、それでおまえは?落ち着いたかな?」

気が付けば、幼馴染はオスカルの座る長椅子の正面に片膝をつき、下から見上げるように彼女の様子を伺っていた。しまった、うっかり落ち着いてしまった。しかもあろうことかアルコール抜きで。

彼の低く深みのあるバリトンは木管楽器のように鎮静作用がある。逆襲の機会を逸したオスカルはせめてもの抗議の印として空になったティーカップを乱暴に突き出した。
「次はブランデーを入れてくれ。たっぷりとな」

********************

ミルクティーのブランデー割りをまんまと手に入れたところで、オスカルはまだ仕事があるからと渋る幼馴染にも同じものを持たせ、今後の方針を話し合うために着座を命じた。

「青い軍服に長い金髪、細身の兵士。見かけの特徴でおまえと誰かと混同したのかな?父親を探して見るか?」
「フランス軍は大概青い軍服だ。範囲が広過ぎるだろう?」
「おまえと見間違えた位だから、肩章、金モール、階級章つきの将校だろう。一年前前後にヴェルサイユ近辺に駐在していた金髪の将校となれば大分絞ることができるぞ」

それでも荒唐無稽な話に思えた。軍服は仮装パーティの扮装だったかも知れないし、金髪が鬘である可能性は高いし、休暇でヴェルサイユを訪れていた地方在住者か外国人将校なら名簿には載っていない。

万が一見つけ出せたとしても、しらを切り通されれば肝心の赤ん坊の母親が死んでしまった以上、確認しようがない。それを思えば、ビュゾー大佐の正直さはなんと貴重だったのだろう。

もし来年に三部会が開かれることが決定されれば、年明けから準備に目の回るような忙しさになる。平時態勢のフランスは、経費節減政策のために衛兵の数をぎりぎりに削減してあるからだ。

だから将校名簿と身体特徴の照合という気の遠くなる作業をアンドレに負わせたくはなかった。人を雇うことも出来るが、微妙な案件なだけに最終的にはアンドレが監督することになるに違いないのだ。

「娘が状況説明できるくらいに回復したら考えよう。情報が少な過ぎるし母親は死亡している。今更見つけ出せたとしても死んだ者には何もしてやれない」

アンドレにそう告げながら、オスカルはやや後味の悪さを覚えた。母親だけではなく、残された子にも父親の庇護を受ける権利があることに、あえて触れない自分が卑怯者に思えたのだ。

一度口にしてしまえばオスカルの気性からして父親捜しを放棄できるはずはない。赤子の処遇は母が最善策を采配してくれるはずだから任せておいた方がいい。深入りすれば辛くなる。

「そうか。おまえがそう言うなら俺に文句はないよ」
アンドレはいつものように微笑み返したが、オスカルはよくできた従者の聞きなれた返答に何か含みを察知した。自分だけで何かを納得したような笑みを浮かべている。

「何が可笑しい?」
「え?」
「おまえ、楽しそうだな」

せっかくおまえの仕事を増やさないように考えてやっているのに、赤子に対する罪悪感を無視してやっているのに、この不謹慎な男はなぜ嬉しそうなんだ。オスカルは、その腹の内を掻っ捌いて見せるまでは許さないぞ、とばかりに鋭い視線をアンドレに投じた。

「怒らないと約束してやるから言ってみろ。今、何を考えた?」
「それはつまり、言わなければ怒るぞと言う脅迫だな?」
「わざわざ言い換えんでもよろしい」

両者は数秒間見つめ合ったにらみ合ったが、折れる側は勝負前から決まっているのだからただの儀式だ。

「さすが余裕だな、と思っただけだよ」
少し長い話になると踏んだアンドレはオスカルに対して直角になる位置にスツールを動かすと、深く座り直した。

「おまえが男だったら、何が何でも本当の父親を血眼になって探したと思うんだ。おまえには十分な財力と手段があるからね。旦那様だって、モーリスの父親があれほど早くに見つからなければそうなさっていたと思う」

オスカルは要旨がいまいち理解できないことを、眉の動きひとつで表明した。

「男はさ、そうする以外に身の潔白を証明できないからだよ。旦那さまだって身に覚えがないとあれ程主張されたのに、ビュゾー大佐が名乗りを上げるまで四面楚歌だったじゃないか。奥様は旦那様を信じていらっしゃったようだが、あくまでも信じるだろ?潔白が証明されたわけじゃない。今日衛兵隊の食堂で全員が固まったのも同じ理由だよ。疑いをかけられたら最後、男の側には証明する術がない。身に覚えがあろうと無かろうと、同じなんだ」

アンドレは言葉を切り、二人の間に再び沈黙が訪れた。オスカルがアンドレの解説を咀嚼して腑に落すまでの間、アンドレはやはり楽し気にオスカルの表情を見つめていた。

「すると、父親を探す目的は身の潔白を証明するためだと?」
「そう。だからおまえのような余裕の発言はできない。何が何でも探す」
「何か引っかかるな。面白くないぞ」
「そりゃそうだろう。男は保身のために父親を探す。おまえの場合は子の当然の権利を擁護するためだもの。次元が違う」

幼馴染が自信たっぷりにオスカルの高潔さを断言したので、オスカルは余計にきまり悪くなった。違うのだ。確かに子の権利を取り戻してやりたいとは思うし、父親が子の存在を知りつつ放置しているならば、制裁の一つも加えてやりたい気分だ。けれど、面白くない理由はもっと下世話ところにある。

娘が『あんたの子を連れてきたわ!』と自分を指差した時、自分が父親である可能性など銀河の果てまで探したってあり得ないオスカルは、娘の指先はアンドレを指していると思った。その時、他の男達と同様、一瞬ぎょっとした彼の反応は非常に面白くなかった。

彼が父であるとは思わない。ましてや女性に子を生ませて捨てるようなことが、彼にできるはずがない。つまり、『信じている』とはこの事だ。だが、何か後ろめたい事実のひとつくらいあるのではないか。

これからそこをつついてやるつもりだったのだが、それを知ってか知らずしてか、身に覚えがなくても男が狼狽する理由を、地球上の人口半分を代表するかのように、理路整然と説明されてしまった。

こうなると、蒸し返すのはカッコ悪いから、おまえにも身に覚えがあるだろう、というツッコミはもう入れられない。それよりも、彼に覚えがあったとしても責め立てる立場にないくせに、『そこ』に腹を立てる自分に腹が立つ。

『おまえだけを愛している』と言った同じ口でしゃらっと『男は身の潔白を証明する術がない』とかなんとか言ってのける幼馴染の男、に焦れているわたし。ああ、いやになる。

見ろ、だからこんなに女そのものの反応をしている私が父親であるはずがないのだ。と、そこに結論を持って行くのはポイントがずれているから横に置いておくとしても。オスカルは頭を抱え、ティ―カップを再び突き出した。

「ストレートでよこせ」
果たして、幼馴染の手がカップに注いでくれたのはストレートティーだった。勿論彼がオスカルが言うところのストレートを取り違えたはずがない。言わなくたって間違えっこないのが彼だから。

              続く

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