社長室シリーズ番外編2 

2020/07/12(日) 他サイト掲載作品







物語に進む前の注釈(笑)
16年経って古語になったワードやその他重要説明事項

ピントが合う→     そろそろ死語なのでは
携帯電話  →     2004年にはまだスマホは存在せず
Hotel de Jardjais 最高決定機関である総裁M→
            Hotel de Jardjais 管理人まあさま特別出演
7月企画不乱巣妄想隊→ 2004年7月企画の扉絵を飾った1班の肖像
            ヘルメットとシャベルを持つ土木作業員風アラン
            花柄ちゃんちゃんこ着用ヤサ男風フランソワ
            サイボーグ009コスチュームのジャン(?)など
            危ない男ども大集合の図




*社長室シリーズ①でも触れましたが、Hotel de Jardjaisの2004年夏企画は、小手毬さまのお題イラストが創作のテーマでした。お題イラストとは別に夏企画ページの扉絵となったのが、やはり小手毬さまの“不乱巣妄想隊”のイラストでした。これがまた楽しい一班の連中の集合絵で、もんぶらんは欲張ってこのイラストも創作の中に取り入れたのです。手元に絵がなくて残念です。あのイラスト、覚えていらっしゃる方いませんか?








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ヴァカンスはハリケーンに飛ぶ





その系図を遡れば、14世紀からの御当主が名を連ねる由緒正しい名門貴族であるジャルジェ家の生活術の伝統を現代に通じる形で受け継いで創業したHotel de Jardjais。

Hotel de Jardjais で宿泊客に提供する極上のおもてなしを、生活に追われて忙しく働く人々にも気軽に味わっていただける方法はないものかという社長の呟きに、
『おっ、それいってみよう』
とアンドレがポン、と手を打って新プロジェクトが始まったのが1年前。

その格式と伝統に乗っ取ったサーヴィスの心地よさはそのままに、家計のやり繰りに奔走するお母ちゃんにも、病気の老妻を抱え外出もままならないじいちゃんにも親しんでいただける大衆的なサーヴィスを、大衆的なお値段で提供する方法を暗中模索する日々が始まりました。

スーパーやコンビ二で手軽に入手できるHotel de Jardjais 印ドリンクやデザートの開発を重ね、納得のいく品質の商品を作りあげることにやっと成功したのがこの春でした。広報や販売ルートの確保など、新事業が軌道に乗るまで、フランス人離れした勤勉さで仕事に打ち込んだふたり。

そんな事情もあり、夢のような久しぶりのバカンスに慣れるまでは(馬鹿んズになれるまでは)最初の数日の間だけではありましたが、体と心がゆったりとした時の流れにあわせることにいささか大恐慌を起こしたこともありました。

しかし一週間もたつ頃には、すっかり彼らの優秀な頭脳は回転数を下げ、思考を追い出すことに成功したのです。

オスカルとアンドレが借りた古民家は、パリの南西、ヴェルサイユを南に十数キロ下ったところにある深い森と谷に囲まれた田舎村にありました。小川の流れと田舎家と牧場と森と小麦畑しかない別世界です。

貸し家から五、六キロも歩くと、十一世紀頃にできた古い城郭都市――と言っても今は殆ど村なのですが――がありまして、そこで立つマルシェを覗いたり、古い修道院廃墟をのんびりと小鳥の囀りを聞きながら散策したり、時々出会う鹿の親子が仲良く草を食む様子をただじっと座り込んで眺めたり、ふたりは時間が止まったかのように過ごしていました。

クラシカルで素朴な調度や、博物館に飾っても遜色のない使い古した鉄製の釜戸や調理器具は、生活用具としては非効率極まりない骨とう品で、ただ食べてただ眠るだけの生活をするには格好の小道具でした。

アンドレはゆっくりと時間をかけて調理を楽しみ、オスカルは日向ぼっこする猫のように伸び切ってそれを待つのです。ふたりが唯一持ち込んだ新しいものは、ゆっくりと朝寝を楽しむための遮光カーテンだけでした。

そんなふたりが休暇を心置きなく満喫できるようになったばかりの朝。オスカルとアンドレはその朝も自然に体が目覚めるまで、安らかな眠りを楽しんでいたのです。

くっさ~むらぁ~に~、な~もしれ~ず~

久しく聞かなかった人工的な電子音のメロディーを、夢の中で先に捉えたのはアンドレでした。仕事上必要なセンサーは完全にOFFにしていた彼ですが、危機をキャッチするセンサーだけは、オスカルのお守りをするには欠かせないのでONにしてありました。ナマケモノ度100%全開にしているオスカルより彼が先に気づいたのは自明の理でした。

「う~ん…」
大柄なくせに、眠っている時ですらベッドの三分の一だけを几帳面に使い、オスカルの奔放な寝相の自由を確保してやっているアンドレは、その場で遠慮がちに寝返ると、無意識ながら、いやいやサイドテーブルに腕を伸ばしました。

さいている~はっな~なら~ば~

アンドレも電話に出るのはものすっごく嫌だったのです。けれどこれ以上の着信音でオスカルの眠りを妨げたくないという思いの方が勝ち、「たっだ~かぜぇ~に~」を携帯電話に歌わせることなく、半分眠ったままピッとボタンを押しました。

そしてずるずるとベッドからずり落ちるように這い出しながら床に降り、相手を確認しようとしたのですが。

「はい、グランディエ…」
だったよな、確か俺の名前。先に自分の名前を思い出さなくてはなりませんでした。
「もしもしっ!寝てたの?起きてぇ~!」
「起きた。え、と君は…」
「しっかり覚醒して!ロザリーですっ。緊急事態よっ!」
「一級肢体?う~んと、オスカルなら特級肢体…」
「もう、おばかっ!」

床に座り込んでいたアンドレは後頭部をベッドに預けてようやく目を開けました。気持ちの良い風がそよそよと窓から吹き込むたび、重い遮光カーテンの裾を僅かに揺らしています。その裾が僅かにめくれた時に差し込んでくる強い光で、太陽はとうに高く上がっていることがわかりました。

暑くなりそうな朝(昼だよ)でした。アンドレが窓辺にしつらえた小鳥の餌台からは、聞こえてくるはずのかしましいお喋りは聞こえて来ません。そのかわり楡の梢で愛を囁いたりケンカをしたりと、忙しそうな騒ぎがやや遠くから聞こえてきました。朝の訪問者はもうさっさと食事を終えてしまったのでしょう。

何分頭の回転数が最低値をマークしている上に、体が目覚たいと欲するまでは眠っているバイオリズムが定着していた彼は、電話口から発せられる音声と雰囲気が何だか嘘のように聞こえました。まあ、よく知っている感覚ではありましたけれど。

月曜の朝、何度も曜日を頭の中で確認しつつ、いやいや起きるあの感じ。ほら、世界的でお馴染みの月曜日の憂鬱ってやつです。と、いうことは昨日までのことは全て夢で、今日は月曜か?といった疑いがアンドレを支配しました。

周りを見渡せば、小さな藁葺き屋根農家の可愛らしい寝室です。昨日も一昨日もその前もここで目覚めた記憶がちゃんとあります。アンドレはまわらぬ頭を再起動させるべく、ぐわしぐわし、と頭を掻きむしりました。

ごきゅ。
アンドレの脳天に何かが直撃しました。斜め上に眼球だけを動かして見上げて見れば、ゆうにふたり分のスペースを使ってもまだ足りないほど豪快な寝返りをうったオスカルの、形の良い優美な曲線の白いふくらはぎが、膝下からべッド縁を飛び出していました。でもって足はアンドレの脳天に着地しています。

状況はその度微妙に違うけれど、たった今頭に受けた災難を、昨日と一昨日と、えっとその前は…いつからかは定かでないけれど、ここ最近毎日体のどこかに受けているような。

只今バカンス満喫中のはずと一応は信じている馬鹿んズの片割れは、バカンス中という夢を見てるのか、現実なのか一生懸命に思い出そうと頭を捻りかけ、止めました。今、頭を捻れば、頭上に乗せているオスカルの足がずり落ちてしまいます。

これほど呆けていても、オスカルの眠りを守ろうとする意図は、自動的に働くのでした。

兎に角、わからないことは聞くに限ります。聞ける相手は今のところコールの主だけのようでしたので、オスカルを起こさぬよう彼女のおみ足を頂いた頭を極力動かさないように気をつけて、アンドレは小声で聞いてみました。

「ロザリー?おまえ、今、目覚めてるか?」
電話の向こうで特大ため息が聞こえたような。
「しっかりと」
「おまえが起きてるってことは、俺も起きてるんだよな?」

いい質問です。とロザリーは褒めてくれませんでした。そのかわりちょっと間が空いて。絶句とも言いますが。

「…アンドレ、あのね、本当に申し訳ないと思うわ。できれば私達だけで処理して オスカルさまにも余計なご心配はおかけしたくはなかったのよ。せっかく、その…だし。でも、Hotel de Jardais は危機にあると思うわ。

よっぽどのことでもなければ休暇中に呼び出したりしたくはなかったけれど、私達も精一杯頑張ったけれど、今回の騒ぎはとても留守スタッフだけでは手に負えないの、お願い、助けて」

最初はあきれ果てた口調で話し始めた、かわいい顔して結構したたか、頭脳もクリア、これと決めたら絶対に諦めないが、細やかな気遣いと気配りは天下一品、加えて一度利用した客の顔と名前と特徴好みは全て可愛らしい頭にインプットしている使える娘。

Hotel de Jardjais の顔でもあるフロントを背負って立つロザリー嬢は、話が佳境に近づくにつれ、悲痛な悲鳴にも似た話しぶりになりました。

あの、ロザリーをもってして『助けて』といわしめる騒ぎとな。アンドレは、それだけで充分事態は厳しい何かであることを、不吉な予感とともに察しました。

『そうか、一級肢体ではなく、緊急事態だったのか。当たり前だ。オスカルなら一級どころか天上級の至高の肢体だ』

       ・・・・・・・・・

もう、しばらくお待ちください。もうすこしでアンドレのピントが合ってまいります。

とりあえず一つ納得がいったアンドレは(的を得ているか否かはちょっと脇においといて)ことの顛末を確認する前に、もう一つダメ押しで確かめます。

「わかった。つまり、俺達は夢ではなくて現実にちゃんとバカンスしているんだな」

賢くて聡明なロザリーですから、ここで、やっぱりあなたに電話しようと思った私が馬鹿だったわ!などとは言いません。たとえ喉元まで出かかっていたとしても。ロザリーは自分の胸を平手でとんとんと叩いて気持ちを落ち着けました。

そして手近にあった鋏で、鉢植えの蘭の首を切り落としてしまわなかった自分を思いっきり褒めました。

どう考えたって助けは必要で。慌てずアンドレが元の思考力を取り戻すのを待とう、と健気にも試練に耐えるロザリーでした。もとに戻ってさえくれれば、きっと誰よりも使える男なはずです。もどし汁まで使える乾燥トリュフのように。

「いい、ゆっくり順を追って説明するわね」

ロザリーの緊迫した雰囲気に押され、アンドレはオスカルの足を頭に乗せていることをつい忘れて、見えない相手に向かって頷き、その拍子にずるっとアンドレの頭の後ろへ彼女の足が落ちました。

見事な土踏まずのアーチと高い甲を持ったオスカルの美しい足部は、一旦落ちた勢いからスウィングバックして、アンドレの後頭部に蹴りを入れ、お陰で今度こそ、アンドレはきっぱりと覚醒したのでした。

一方、後頭部に蹴りを食らったアンドレの「うっ」という呻きを聞いたロザリーは何だか前途多難になりそうな夏の予感に震えました。

ロザリーの説明はこうでした。夏季はHotel業務が忙しくなるので、オスカル社長が言い出した、Hotel de Jardjais オリジナルグッズの企画、開発を一時休止したのは、総合的に見れば賢明だった。Hotelは連日満室で、キャンセル待ちリストは日々更新されている状態である。しかも、現在空家になっているヴェルサイユの旧ジャルジェ邸を手直しして別館とする計画まで持ち上がっている。

そんな状況の中、総裁Mから至上指令が出た。社長不在の時期には珍しいことだったが、なんでもベル風邪という厄介な夏風邪が猛威を振るうという情報をキャッチした総裁Mは、Hotel de Jardjais 総力あげてこのベル風邪に挑む、と宣言した。

ベル風邪はワクチンもなければ特効薬もなく、ある特殊な人種のみがもともと持っているDNA(そのDNAの文字列は、どうもウマレテキテヨカッタであるらしいということが判明した)を発火させる作用があるらしいと疑われている以外は謎に包まれたウィルスなのだという。

主な症状は一般の風邪とさほど変わりがないか、無症状だが、怖いのは合併症で、例外なく妄想に取り付かれる。一度感染してしまうと、一生消えず、一見治癒したかに見えても約30年前後の間、体内に潜伏したあと、再発すると悩殺率はほぼ100%という恐ろしいウィルスである。

現在わかっている対処方は、只一つ。妄想である。妄想に取り付かれる前に、自分から意図的に妄想し、妄想に取り込まれる前に妄想の主となって、完全に妄想を自分のコントロール下に置く。

そうなればしめたもので、薔薇色の人生の開幕を約束されるのだ。災い転じて福となるとはこのことである。妄想は自分でしてもいいし、他人の妄想に乗っかってもかまわない。

形もなんでもかまわない。書くも描くも詠うも踊るも創るも演じるもよし。毒には毒をもって制す。ざっと言えばホメオパシーのようなものだ。

しかしそれだけなら何もHotel de Jardjais 最高決定機関である総裁Mが対策に乗り出さずとも、WHOにでも任せておけばいいのでは。

「ここからが怖いのよ。落ち着いて聞いてね」
とロザリーはわざわざ前置までして。

「Hotel de Jardjais に宿泊、ないしは訪問したお客様を追跡調査したところ、発病率が限りなく100%に近いのよ!かねてからあのHotelに行くと感染するという噂はあったの。それならきちんと調査して事実無根であることを証明するはずだったのに、思わぬ結果に行き着いてしまったわけよ。

で、いつものことではあるけれど、まだ誰にもその調査結果を公表しないうちに、出たのよ。総裁Mの指令が!」

ロサリーはそこまでぜいぜいと息を切らして説明すると、大きく息継ぎをしました。アンドレはことの重大さに、これはもうバカンスどころではないことを覚悟しました。

オスカルはといえば、眠りながら足の指でアンドレの髪をこちょこちょ弄んでいます。ふんふんと鼻歌でも歌いだしそうな幸せ一杯の寝顔が、胸に痛いアンドレでした。

こんなに無邪気に安心し切って眠る彼女を見られる日は、年間で言えば片手で勘定が足りてしまうほどレアなのです。このままにしておいてやりたい。

しかし彼女に内緒で助っ人に駆けつけるわけにも行かないし、仮に隠しおおせたとしても、後で知れば烈火のごとく怒るだろうことは火を見るより明らかでした。

何の夢を見ているのか、アンドレの領分まで大きく占領して、片腕、片足をベッドからぶらぶらさせながら微笑んで眠るアンドレの眠り姫。アンドレはオスカルの方を向くと、彼女の顔の傍に両腕を組んで乗せ、その上に自分の顎を乗せてじっとオスカルの寝顔を見つめました。

社長として辣腕をふるう彼女も魅力的で大好きだけど、素顔さらけ出しのとろんと緩んだこいつをもう少し見ていたかったな、と無性に切ない秘書君でした。

そして、ほんのり美味しそうな桃色に染まった頬にそっと唇を寄せようとした時、がーがーと抗議の声が下のほうから聞こえているのに気づきました。床に落ちた携帯電話はまだ繋がっていて、何やら大声で呼びかけているのは、そうです、健気な受付嬢。

「これからが本論なのにいいかげんにして!聞こえてる?」
アンドレが気の毒がるべき人はもう一人いたのでした。

「あ、ごめん」

あわてて電話を拾い上げ、アンドレはオスカルに投げキッスを贈ると、そっと寝室を出ました。小さな農家は、寝室以外には居間兼厨房しかありません。

カントリー風に、おばあちゃまにしては少女趣味な黄色を基調にしたプロヴァンス風太陽のモチーフ使いのテーブルクロスに、磨き込まれてあめ色に艶をだした古い胡桃材のキャビネットと飾り棚。

そこには、素朴な花模様が手描きされたホーローのコーヒーポットがいくつもコレクションされ、やはりピカピカに磨き上げられた鉄の釜戸周りには、白地に青いツタ模様のタイルが張り巡らせてありました。

居間の設えも可愛らしく、壁に設えた棚にはレースがふんだんにあしらわれ、たっぷりひだをとった薔薇色の小花模様のカーテンも薄いレース使い。窓際のラブチェアにはカーテンと同じ柄のまるっこいクッションが幾つも色違いで並べてあり、下見にやって来た時、アンドレは、オスカルが気に入ってくれるかどうか、かなり気を揉んだものでした。

アンドレはまだちょっと気恥ずかしさを覚えるのですが、意外なほどすんなりとオスカルはこの少女趣味を受け入れ、楽しんでいました。

その可愛いラブチェアに腰掛け、丸っこいクッションをころころと押しのけて、長い脚を持て余しながら居場所を定めると、アンドレはさあ、と本題に入る準備をします。昨日まではここでは仕事の話は厳禁だったのに、せっかく気に入ってくれたのにと、寂しくため息をつくアンドレでした。

「でね、総裁Mの出した指令というのが、“7月企画不乱巣妄想隊”出動命令」
ドッキーン。『出動』はアンドレにとって、トラウマの最たるものです。で、その次は…いえ、もう皆様ご存知の筈ですから、あえては言いますまい。
じゃなくて、先に進みましょう。

「不乱巣妄想隊の任務はHotel de Jardjais 宿泊歴のある人物を虱潰しに探し出し、妄想させよ、ですって!」
「世界三大感染症予防接種よりより大変そうだな」

「何呑気なことを言っているの!そして突然、見たことも聞いたこともないガラの悪そうな連中がやって来て、俺達が不乱巣妄想隊に任命されたっていうのよ。

行儀は悪いは、勝手に飲み食いはするは、ご婦人方に口笛を吹くわ、ロビーに昼夜陣取ってだみ声を張り上げるわ、備品はかってに質入するわで、お客様からのクレームがひっきりなしよ。

警察を呼ぼうとまで思ったのだけれど、何と彼らときたら総裁M直々の肉筆の辞令を持っていたの!夏季限定アルバイトを命ずって!これでは私達、誰も手が出せないわ。水戸光圀候の印籠を持っているも同然なんですもの」

およ。

総裁Mといえば、社長のオスカルでさえ直接は会ったことがないと言う、言わば会長のような立場の人ですが、一般の会社の会長と違い、その権限は絶対なのです。

と言うと、何やら前近代的なワンマン経営者のような印象を持ちますが、その絶対的な権力を行使するのは、Hotel de Jardjais がのっぴきならないような危機に瀕するとか、従業員の待遇、処遇について素晴らしいヒラメキが降って湧いたとか、社長の微笑みをもってしても解決不能な問題に遭遇するとかの非常に限られたシチュエーションだけなのです。

普段はHotel de Jardjais で起こっているどんなに些細な事件でもしっかりと情報を把握している気配を見せるだけで、何も口出しはせずに見守りに徹していることが殆どなのでした。

また、今回も例に漏れませんが、たま~に出る指令は、最初は正気を疑う荒唐無稽な指令に聞こえるのが常でした。が、いろいろすったもんだの果て、最終的には、優秀なブレーンがどう討議を重ねてもこれ以上のベターな選択はないだろうという結論に達せざるを得ない結果に終わるのです。

ですからアンドレは、会ったことはなくても、心から総裁Mを尊敬していましたし、それはオスカルとて同じことでした。さて、問題は今回もその法則が当てはまるかどうか…。

しかしアルバイトにそんな重要な(?)仕事を任せることといい、普段ならアンドレのところにさえ回って来ないアルバイトの人事に介入して来たことといい、しかも聞く限りでは、とてもHotel de Jardjais 向きの人選とはいえないいい加減さといい、今度こそ正気ではないような気もします。

緻密な計算の上の細部にまでこだわった戦略の伏線かも知れないし、単なる夏バテのご乱心かも知れませんから慎重に事を進めなければなりません。

「それで、そのガラの悪い連中は社長とあなたを知っているって言うのよ。特に社長…いえ、確か隊長って呼んでいたけど、隊長の指図以外は受けないって、もう好き放題」

え?

アンドレは何かとてつもなく重要なことを思い出しかかっていましたが、思い出したくないという強い抑制ががんがん働き。ガラの悪い…だみ声…質入れ…隊長。
けれど、アンドレは雄雄しくも恐る恐る尋ねました。

「その…連中ってどんな様子でどんな人相なんだ?俺も知っているなら…」
「待って!今画像を送るわね!一旦切るわよ!」

なんてこった!アンドレはお花柄のクッションに深々と身を沈め、気のせいなんかではなく、きりきりと痛くなってきた胃のあたりを手で押さえました。

最も、負けず嫌いのオスカルがムキになって料理した、というか加工したと表現した方が実情に近い食料の残骸をせっせと処理していたという実績もあるので、胃痛の原因が精神的なものか物理的なものかを特定することはできませんでしたが。

余談ですが、オスカルの胃袋は守られておりました。
『良い料理人になるには美味いものを数多く食べるのが早道だよ』
とか何とか言っちゃって、彼女の食事は模範実演という意味も含めてアンドレが作っていたのです。憎いヤローです。

オスカーーール!

電子音が叫びました。メールが届いたようです。

「う・わ~~~~~~っ!」


妄想隊
 


そこには信じられない、断固信じたくないものがありました。送られた画像に写っていた面々は、確かにアンドレもオスカルもよく知る連中でしたが、さらに追い討ちをかけるようなぶっ飛んだいでたちで、危険極まりないノリが、むんむんと男臭~く画面から強烈に発せられています。

電話は宙を舞い、幾つものクッションをコロ代わりに、アンドレはラブチェアのマットごとずり落ちると床に尻餅をつきました。

「アンドレ!どうした!」
寝室から、アンドレの悲鳴で目を覚ましたオスカルが飛び出してきました。
「あ、ご、ごめんオスカル、大声出して…。あ、それで、あの、オスカル…?」
アンドレは、駆け寄ってきてくれたオスカルを見て、ぽっと頬を染め。そのアンドレの反応を見たオスカルも、はっとあることに気づき。

「わ~~~~っ」
今度はオスカルが叫んで、慌てて寝室に駆け戻り、ドアは、しなるほどの勢いで轟音を轟かせて閉められました。アンドレは思いがけない幸運につぶやきます。
「これぞ、天上級の肢体…」
ごんっ!

オスカルが閉めたドアの大振動は壁伝いに飾り棚へ届き、アンドレの頭の上に、陶器製の花瓶が落下してきました。遮光カーテンが安眠を守る暗い寝室とは違い、居間には燦々と夏の陽光がたっぷりと差し込んでいたのです。何が起きたかわかりましたか?

数分後、まだ二人ともぽっぽとお熱を頬に残したまま、例のお花柄クッションのラブチェアに頭をくっつけるようにして座っておりました。

「こ、これは…」
「総裁Mが発注した、7月企画啓蒙ポスターだ」
「な、何というセンスの(ピーッ)」
「放送禁止用語を使うでない、オスカル」
「しかし、コレは(ピーッ)、こんなデザインを思いつくなんて(ピーッ)、いくら私でも(ピーッ)、くそ(ピーッ)、(ピーッ)…ふがっ」

アンドレに口を塞がれて、ようやく黙らせられたオスカルは、真っ赤な顔をして手足をばたつかせ、アンドレの腕の中で暴れていましたが、アンドレがきつく抱きすくめて背中を撫でていると、段々におとなしくなりました。

まだ、多少荒い息で肩を上下させているオスカルに、アンドレはことの次第を説明してやりました。一級肢体の件は除いて。オスカルは一度発散した後だからでしょうか、アンドレが思った以上に冷静に話を最後まで聞き終わり。

画像のショックがでかかったせいでしょう。馬鹿んズモードから通常モードに切り替わるのに大層時間がかかったアンドレと違って、オスカルはあっという間に正常な判断力、思考力を取り戻しました。

ロザリーはいろいろ説明する前に、まずこの絵をアンドレに見せるべきでした。さすれば、あんな疲れる目にあわずに済んだに違いありません。

二人ともが、一応落ち着いたところで、彼らはただただ顔を見合わせ。もう何も話し合うことはありませんでした。オスカルが出て行かなければ、たしかにこの連中は制御できないでしょう。

アンドレのみが出ていけば、火に油を注ぐことにもなるでしょう。話し合わずともすでに二人の間で役割分担が出来上がっていました。

連中を使ってベル風邪対策にあたれというのが総裁Mの絶対指令であるならば、何が何でも連中をオスカルが掌握する。アンドレはマスコミが事象の断片を情報ネタに、興味本位で騒ぎ出す前に、Hotelが人道的対策を打ち出すことを広報する。

すなわちHotel de Jardjais はベル風邪ウィルスの存在を公共の利益の為に情報開示し、ウィルスの解析に全力を挙げ、妄想隊の啓蒙活動を組織した。妄想隊は、ベル風邪ウィルスが持つ人生の質を向上させる潜在力を罹患者が活用できるように、その方法論を公共に公開する。

この理念を報道機関に正確に伝達し、デマや根拠のない噂による社会の混乱を防ぐのだ。

実際に不乱巣妄想隊(ああ、頭が痛い)をどう使って啓蒙活動を最大限に効果的に行うか、戦略を練るのは、当然二人の共同作業です。エンジンがパワフルであればあるほど、ラジエーターが必ず必要ですからね。

唯一つ、心配なことがありました。社長が不乱巣妄想隊員を単身掌握にかかっている間、アンドレは報道対策に走り回らねばなりません。危険な野郎っちをだ捕に向かうオスカルの身を心配するあまり、本来ラジエーターであるべき彼がヒートアップした場合、とんでもない核融合がエンジン内で起きてしまう可能性があります。

それが目下の社長オスカルの心配事ナンバーワンでした。ところが私的オスカルは暴走アンドレをもしかしたらまた見られるかもしれないという、わくわくぞくぞくする期待が腹の底で湧き起こるのを止ることができませんでした。

せっかくのヴァカンスに水が差されたのです。そのくらいの期待は当然の見返りじゃないか、と。イケナイ…彼女です。

尋常ではない無理を通してアンドレが確保してくれたバカンス。とろけそうに幸せな顔でごろごろと喉を鳴らしていたオスカルの姿に、ここ数ヶ月の疲れが吹き飛んでしまったアンドレ。

残念だったな、などと口に出してしまったら最後、いっそこのまま蒸発して逃避行としゃれ込もうか、なんて穏やかならぬ談義が始まりそうで。身支度を整える間、二人は無言でした。

アンティークが売りのこのおうち、シャワーはいわゆるタンク式で、その使い勝手の悪さも効率の悪さも、休暇モードの馬鹿んズにかかれば格好の遊び道具でありました。どんな風にふたりがシャワーで遊んだか。細に渡って描写したいのはやまやまですが、一応ここは緊迫した場面なので、涙をのんで脇におくことにいたしましょう。

とにかく、ヴァカンズモードから突然ビジネスモード(むしろ戦闘モード?)に切り替えを余儀なくされてしまったふたりにとって、シャワーは急にいまいましい古道具になってしまいました。

オスカルが使い終わっても、暫く時間を置かないとタンク式シャワーは再び使える状態にはならないので、いいや、俺は川で、とアンドレが屋外へ出たところ、滴を髪先から垂らしたままのオスカルが飛び出して来ました。

上半身は白いTシャツを着ているだけのオスカルでしたが、下半身に纏っているのはレース用の赤いモトパンツ(バイク用に特化したパンツ)とモトクロスブーツでした。小脇には一応ヘルメットを抱えていましたが、プロテクターの類は一切身につけていません。

「アンドレ、先に行く!」
そういってアンドレの前を一旦は駆け抜けたオスカルですが、ふと思い立ったように振り返ると、決意に満ちた表情を彼に向け、まっすぐ腕をのばして人差し指で彼を射抜くように指すと、こう言いました。

「一週間だ!見てろ!一週間でけりをつけてやる!」

7月企画は8月26日まで続くのだ、とはとても言えないアンドレでした。(Hotel Jardjais
様の2004年夏企画期間)でもそんなことより。

「オスカル、バイクはよせ」
「平気だ。公道はできる限り避ける」
「そんなこと言ったって、パリの街中をぶっちぎるつもりだろう!」
「そう、ぶっちぎってやるさ。ポリスが気づかんくらいにな」
「おまえのマシンが保安部品もナンバープレートもないオフロード用ということは気付かれなくても、スピード違反で捕まるだろうが」
「そんなへまはせんっ!今日中に全員締め上げておとなしくさせてやるんだ」
「…一人で行かせたくない…」

オスカルの両肩を掴んだアンドレの決め台詞が、オスカルのハートにズキ…ン!命中しました。俯いたオスカルの濡れた髪をアンドレがそっと掻き上げると、必死で口元をきりっと引き結び、でも瞳が潤むのだけは隠せないオスカルの必殺三白眼上目使いがアンドレに向けられました。

「二人が別々に同時進行で動いた方が、速く処理できる」
「でも」
「もう、無防備な振る舞いはしない。男の中にいて、自分が女だということを忘れたりしない。心配するな」

決心は固いようでした。紆余曲折を経て、社長職という経験も積んで、少しは天然鈍感という評判を挽回したオスカルです。アンドレの心配も分かるようになり、こんなフォローもできるようになりました。そうなると、強くは出られないアンドレでした。報道対策も一分一秒を争う事態であることも事実です。

オスカルの意思が固いことを確認したアンドレは、オスカルを軽く抱きしめると耳元で低く囁きました。
「わかった。せめてボディプロテクターだけは着けて行ってくれ」

いつもなら暑苦しくていやだとかなんとかごねるオスカルが、うん、と素直に頷きました。急いで目的のものを取りにいきながら、アンドレはまだ何か頭の隅に引っかかるものを感じていました。

愛されている自分をしっかりと認識できたオスカルの、無防備な振る舞いはしないと言葉は、嬉しくもあり、心底信頼しているのですが、何かもう一つ、どうしても言わなければならないことがあった気がします。しかも、とっても重要な…。

ついでにタオルも持ってきて、滴のたれる彼女の髪を拭きなおしてやり、防具を身につける手伝いをし終わっても、首元でつっかかったように、アンドレはその重大なことを思い出せませんでした。

「行ってくる」
ひらりとレーサーにまたがったオスカルが、キイを差込み、エンジンを勢い良くふかしました。と、その時です。アンドレが例のひっかかりを思い出したのは!このまま行かせてしまってはえらいことになります。

「オスカル!待て!」
駆け寄るアンドレに、オスカルはヘルメットを一度はずして身を乗り出しました。黄金の髪が焔のようにふぁさっと美しい白い顔のまわりで燃え立ちます。その様子にくぎ付けになったアンドレに、オスカルは一気に思いの全てを吐き出し。

「アンドレ!絶対におまえとの時間を奪わせはしない!おまえの努力が生んだバカンスは必ず取り戻す!ああ、だけど…!」
オスカルはバイクを斜めにかしげて片足で支えると、アンドレの首に片腕を回し、力を込めてくちづけました。

「離れたくない」

オスカルの決め台詞がアンドレのハートを感電させました。じ~~~~ん、じん、じん。言わなきゃならないことがあったって何だって、ここは何をおいてもあっついキスを返さなければ男じゃありません。

「俺も離れたくない」
一言一言、言葉を放つたびにお互いの唇同士が触れ合い、体がしびれます。熱い振動がさらに大きく激しく突き上げます。ってバイクのエンジンのことですよ、念のため。今なんか違うこと想像したでしょ。

「幸運を祈ってくれ」
もう一度、ハートの半分はここに残していかん、とばかりのキスをアンドレに返すと、オスカルはにっとトレードマークの不敵な得意の笑みを見せ、グオン!とアクセルを全開にし、前輪を浮かせて大爆音とともに発進しました。

情熱的な別れのキスに、ついやられちゃった格好で、先ほど言おうとしたことをまだ言っていなかったアンドレは、はっと我に返ると大慌てで絶叫しました。
「オスクァーーーール!」
「心配するなーーっ!愛しているっ!」
ごいんっ!

オスカルの叫びと一緒にぶっ飛んで来たのは、オスカルのヘルメットでした。おざなりに引っ掛けただけで、バックルをきちんと留めていなかったのです。愛のなせる業は偉大です。飛んできたヘルメットはアンドレの顔面に命中しました。是非ハートに命中させて欲しかったなど、欲は言いますまい。

弾みで尻餅をついたアンドレは彼女のヘルメットを大事そうに抱えて呟きました。
「違うんだオスカル。そうじゃなくて…。いや、俺だって愛しているけど、言いたかったのは…」

オスカルはすでに花畑の間のダートを通り抜け、もう聞こえっこないのですがアンドレは叫ばずにはいられませんでした。

「おまえのバイクのキーに俺のワゴンのキーもついているんだ~~~っ!」

バイクの爆風に煽られたのか、地響きにやられたのか、毎朝卵を分けてくれた隣家のマドレーヌばあちゃんちの古い鶏小屋が、ゆっくり傾き、めりめりと次の展開を予告する音を立てました。

 「…おまえに持たすと失くすから…」
絶叫のあと、力なくつぶやくアンドレの目の前で、ぐおおっと音をたてて鶏小屋が崩壊し、土煙と白い羽と興奮した鶏が一体となって竜巻のように舞い上がりました。

コッケーコッコ、コケーッ!もうもうと巻き上がる土埃と鶏の乱舞が、いくらか落ち着いて、かろうじて視野が開けると、花畑の向こうの土手を突っ切ったオスカルはもう小指程の大きさで、橋を無視し、流れる小川をそのままジャンプして再び土手を駆け上るところでした。

もう一度爆音が小さく聞こえ、土手を上がったオスカルはまた豪快なジャンプを見せて牧草地の柵を越え、のろのろとよける牛の合間を見事なハンドルさばきでカーブを描いて抜け、珍入者に驚いて、わざわざオスカルの進路のほうに、よたくさと逃げ惑ってしまった牛を軽々と跳び越え、反対側の柵をもまた跳び越し、きらりと金髪を光らせて姿を消しました。

見送りながらよたよたと立ち上がるアンドレの肩に頭に、鶏が騒々しく苦情を申し立て群がります。合計で4羽の雌鳥を肩と頭に乗せ、白と茶褐色の羽まみれのアンドレは、まだ一点を見据えていました。
「公道は避けるだって?まっすぐ直線コースでハイウェイに向かっているじゃないか…」

別れ際にアンドレと交わした約束。やたらに高い集中力が災いして、エキサイトすると目前のターゲットに狙いを絞るあまり、それ以外のことが一時的にどこかへ吹っ飛んでしまう彼女の性質を、アンドレは今更ながら思い起こしていました。

足蹴にしている人間が、どんなにいい男だろうと全く興味のない雌鳥が、羽をばたつかせ、アンドレの耳元に抗議の声をコケコケーッと張り上げました。その雌鳥の調子っぱずれコーラスに混じって、アンドレの頭の中を聞きたくもない声がエコーを始めていました。

「やあ、アンドレ・グランディエ。また来たね。と言うことはまたかの美しい人の役に立てる幸せを期待してもいい、と思っていいのだね。ふふ、心配には及びませんよ。見返りなど決して求めたりはしませんからね、さあ話を聞きましょう。今回もかの方のスピード違反ですか?」

史上最年少でパリ警視総監の座に収まったエリート中のエリート、ジャルジェ家に勝るとも劣らない由緒正しい貴族の三男坊。そのノーブルな声とルックスと話術だけで殺せぬ女性はいないと詠われた男が、長いとび色のウェーブがかかった髪を、これまた計算し尽くされた角度で翻して振り返るイメージが見え、アンドレは頭を激しく振りました。

『俺にまでフェロモンを降り撒くなっ!』
イメージに文句をたれてもしょうがないのですが。結局頭に乗っていた雌鳥を怒らせてつつかれただけでした。

『オスカル、頼むから巧く警察の目を掻い潜ってパリへ辿り着いてくれ。俺はもう、ぜったいにあのヤローに頭を下げにいくのは御免だぞ!』

それは、御免だとは言いながらも、最悪の場合は、やはり頭を下げにパリ警察庁の最高幹部室の扉をノックするであろう自分を、よくよく知っているからこそ発せられた彼の悲痛な叫びでした。

唯一つの救いは、アンドレがこの上無くオスカルのライディングテクを信じていることでした。この上さらに事故の心配までしていたら、いくら我らがアンドレ君だって、速攻増毛剤やら人工毛髪のお世話になってしまわないとは限りません。


こうして二人の7月は幕を開けました。アンドレの、そしてオスカルの運命やいかに。

             

~ 続く ~
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