5.胎動

2017/09/03(日) 暁シリーズ
1789年7月19日

オスカルが夜、充分ではないにしろ、眠るようになった。食事も摂るようになったとロザリーの声が報告してくれるたび、明るくなる。彼女にももっと休んで欲しいが、いかんせん俺が動けない。
「いいのよ、どうせお店はしばらくは開店休業ですもの」
「ありがとう。でもくれぐれも無理はするな」
「大丈夫よ」

何かできるわけでもないのに、無理をするなという自分の言い草が虚しい。目覚めてからもう2日。ベルナールはごく短時間立ち寄っては、最新の情報を提供してくれるが、じきにいても立ってもいられないといった様子を見せて街に飛び出して行く。気丈にしているが、ロザリーは不安で堪らないはずだ。体力だって限界に近いに違いない。

サン・クレール邸には幾人かのメイドと門番権雑用務係りの初老の男が屋敷の管理のために残されていて、主人から客人には出来る限りの便宜を図るように言いつかっていると、実際とてもよくしてくれる。

だから是非ロザリーが泊り込んで世話係りを努めなくてはならない理由は無いのだが、ロザリー自身がオスカルから目が離せないのだ。
「ベルナールはあの状態だし、お店はなかなか営業再開しないし、家で一人オスカルさまの心配をしている方が、わたしどうかしちゃうわ」
そう言って決して十分とはいえない休息の時を過ごしにオスカルが戻って来ると、オスカルに何も言う隙を与えず、必要な世話を甲斐甲斐しく与える。いくら経験を積んだメイドであっても、赤の他人ではこうはいくまい。

今までだって十分激務だったと思うが、未だかつてないほどのストレスがかかっているオスカルには、軍務を離れている僅かな時間だけでもあれこれと指示を出さなくて済むのはどんなにか救いだろう。
俺は何度も心の中でロザリーに頭を下げる。

プロの軍人であれば、たとえ一介の歩兵であっても心得ている、軍における常識が、訓練の行き届かない素人民兵を相手では全く通用しないことだろう。出さざるを得ない指示は衛兵隊以上に膨大になり、オスカルはそのひとつひとつに責任を負うのだ。

オスカルは何も言わないのであえて聞きもしないが、加えて恒例の「女の将校」に対する反発を雨あられのごとく、その身に受けていることは想像するに難くない。基本的に国民衛兵はボランティアだから、身を粉にして働かなくても収入のある階層が大部分を占める。つまり彼らの殆どは人を使う立場にある者なのだ。元フランス衛兵隊員よりもはるかに自尊心は強いはずだ。

メディアを通してのオスカルを「勝利者」として歓迎してはいても、現実に自分の上司として目の前で命令を下す彼女と相対した時、一般に根深く刻まれた男としての価値観が暴れだす兵士も少なくないはずだ。アランがことばの端にそんなことを匂わせていたと、ベルナールから伝え聞いた。かつての反逆児が、まあだからこそ微妙な空気をも読み取るんだろうが、今ではいかにも平静な態度を装いながら、深慮を抱いているのだろう。彼には悪いが少し、可笑しい。アランとベルナールはタイプは違うがウマが合いそうだ。

「バスティーユの美貌の勝利の女神」という世評が日に日に膨れ上がっていくのを、オスカルは苦々しい思いで受け止めている。が、女の指示に従わなければならなくなった民兵の憤懣からオスカルを守ってくれているのも、この世評なのだから皮肉なものだ。

そして衛兵隊の連中が常時ルーティンを組んで2名から3名、常にオスカルの周りを固めてくれている。時の人となってしまったオスカルの動向は常に注目されている。そんなオスカルに危険が及ばないように、連中は自発的に動いているのだ。

第一班を中心にオスカルの体調の悪さを察した一部の兵士達は、誰に頼まれたわけでも、ましてやオスカルに止められた訳でもないのに、申し合わせたようにそのことに関しては口をつぐんだまま、オスカルをガードするだけでなく、オスカルの様子をつぶさに見守り、率先して元隊員達と連絡を密にしてくれている。

ロザリーにせよ、元フランス衛兵隊員にしろ、何と大勢の人間の愛情にオスカルは包まれ、大切に思われているのだろう。多少の複雑な思いを抱かないでもないが、全く動けない状態で、オスカルを見送ることしかできない今の俺は、彼らの存在がなければ、狂うことなしに一日たりとも生きてはいられないとさえ思う。どんなに感謝しても足りない。

誰よりもオスカルを理解し、近くにあり、今までもこれからも支えあって、同じ人生の時を刻んでいくのは、自分だと思っていた。俺がオスカルを愛しているのと呼吸するのは同じことだ。それに変わりはないけれど、まだその先があったのだ。

彼女の両親やおばあちゃんを筆頭に、オスカルを大切に思う人々は多い。彼女の瞳かあまりにも凄烈で真実を射抜くものだから、心に闇を抱える者は敵となったが、社交界でも近衛でももちろん衛兵隊でも、取り巻く環境がどれだけ病んでいようとも、人はオスカルの人なりを知れば知るほどに惹かれ魅入られ、最後には利害を超えて愛さずにはいられない。由緒正しい将軍家当主としてのアイデンティティーとご自身とを、あれほど見事に一致させていた旦那様の中でさえ、オスカルの幸せを願う父の情が、あの老将軍が命すら差し出しても厭わないほど大切にしている大儀を打ち破った。

目の当たりに見て来たのに、何故今まで気づかなかったのだろう。見て、理解はしていたのだ。しかし理解など何の役に立つ?見えなくなり、身体の自由も利かなくなって初めて、オスカルを取り巻く大勢の人々の様々な形の愛を、俺は五感、いや六感全開で実感している。

なんて傲慢だったのだろう。俺が俺が俺が。

オスカルを支えるのは俺だけではない。一抹の寂しさと不安を覚えながら、俺はひたすらそのシンプルな真実を噛みしめた。寂しいなどと感じるところが、すでに傲慢だ。

俺は慣れなくてはならない。握り締めたオスカルの手を、時には離すことに。オスカルの必要を、俺が何もかも満たしてやりたいなどという、俺自身の欲求を手放さなくてはならない。
今の俺には、もうできないことがある。真摯に認めて受け入れなければならない。つらい作業になるだろう。
俺でなくても担える役割がある。オスカルに差し出される様々形の愛を信頼しよう。オスカルの放つ輝く精神性に引かれて純粋に愛の部分で反応するものを信頼できなくてどうするのだ。それはオスカルが築いたものなのだから。

かつてはできない以前に思いもつかなかった視点だ。見えなくなって初めて見えた。すべて丸抱えしてきた役割だが、ゆだねる先がこんなに沢山あったのだ。もっと身軽になれば、俺でなくてはできない新しい領域も見えてくるに違いない。

そしてオスカル自身こそ、俺が何よりも誰よりも信頼しているのではなかったか?オスカルが選ぶあらゆる道を、あらゆる決断を。
オスカルは守られ、支えられるだけの存在であったことなど無かったではないか。オスカルの持つ力こそ、信頼できるもの。俺はしばしばオスカルを守りたいという思いに溺れて、この分かりきった真実を見失ってしまいそうになる。

俺の辿るべき新しい道。役割。

正直怖い。盲目で何ができると、俺自身が俺を嘲笑する。助けを求めることにも慣れていない。当然のようにしてやっていたことができなくなる。考えただけで激しい無力感に押しつぶされそうだ。オスカルとの接点を失くしてしまうような喪失感が、目の前に果てしなく続く暗闇と被さって、身がすくむ。

でも、きっと見つける。
見えない足元を照らすおまえがいる。おまえが光だ。

今日は、全く動かなかった左腕に感覚が戻ってきた。何か重いものの下敷きになったようなどんよりとした感じだ。指も動く。何度も握り締めては確かめる。握ることより開く方が努力を要した。正常に動いているとは言い難い上に、シーツを持ち上げることにも苦慮する程の力しか出せない。だが、朝方と夕方の状態を比べてみれば、刻々と良い変化が続いているので、期待が持てそうだった。遅くに戻って来たオスカルにそれを報告すると、今日一日の労働が報われて余りある、嬉しいと、それは無邪気に喜んでくれた。ぶっ飛ばされそうだから、左腕がおまえを抱いて目覚めた朝と同じ感覚だということは言わないでおこう。

嬉しいのは俺の方だ、オスカル。おまえの喜ぶ声は俺の命綱だ。顔が見えたら最高だけど。そう思う度にまだまだ身を切られるような痛みに襲われるのは、当分続きそうな気がする。いずれは見えないことにも慣れ、不自由は少しづつ克服出来るかも知れない。けれど、この喪失に慣れることなどあるのだろうか。おまえの姿をこの目に映せないという喪失を。

「いいないいな~。アンドレばっか優しくしてもらって。俺なんか明日から復帰するのに。隊長は身分差別はしなくても顔で差別するんですねっ」
と、ラサール。彼は自らの出身地区、サン・マルセルに配属される。パリでも特に貧しい職人街のうちの一つだ。筋金入りの職人気質の親方を相手に、若い彼には苦しい任務になるだろう。

衛兵隊時代の仲間は、パリ中に分散し、軍人としての規範を素人民兵に示すことを期待される。しっかりやれ。もう頼りの班長は傍に居ないぞ。オスカルではないけれど、不肖の弟を送り出すような気分になる。

「俺なんかこ~んなことだってできるようになったのに、褒めてもらえないんだもんな~」
これはフランソワ。何をしているかと言うと、彼は暇に任せて両足を床から浮かせて二本の松葉杖だけで歩く技術を開発したのだ。ご丁寧にも階段昇降までチャレンジした名残の大痣が尻に生々しいはずだ。
何の役に立つのかははなはだ不明だが、華奢なくせして大した腹筋力と強健な肩だ。

俺にもできるかな、などとちらっと思ってしまう自分に呆れながら、結構真剣に『できなかったらショックだなあ』などと心配しているのだから、俺も彼を笑えた義理ではない。そうだ、その怪しい歩行はともかく、この能天気な二人の若い仲間の素直な感情表現に、どんなに救われたことか。

彼らも何れ、一人で出発する。仲間同士、持ちつ持たれつの居心地の良い場所から、新しい居場所を自力で築き上げる為に、衛兵隊員は、それぞれが選んだ道を歩き出している。俺も動き出さねば。だが、どうやって?身を焼かれるような焦りを覚える。もう立ち戻るまいと何度も己に言い聞かせたにもかかわらず、俺の中で同じ叫びがこだまする。
『見えさえすれば!』

若い部下の親愛がこめられた率直な抗議に、オスカルは苦笑して応対している。そんなおまえがたまらなく愛しかった。俺はオスカルが部下に語りかける声を、音楽を聴くように愛でた。

        ~to be continued~

2004.7.19
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