21.同じ空の下3

2019/07/07(日) 暁シリーズ
1789年7月28~8月1日

バスティ-ユ陥落以来、パリは燃えていた。火力は衰えることを知らず、休む間もなく地方にまで火の粉を飛ばし続けた。国境へ続く街道という街道は、外国へと逃げ出す貴族の馬車が、途切れることなく埋め尽くした。

多くは東の国境を目指しベルギー、スイス、イタリー、ネーデルランドへ、一部はドーバーを渡るべく北上、ないしはスペインに向けて南下した。それを見た農民達は、真っ先に亡命した王族、アルトワ伯を始めとした亡命貴族が、遺恨を晴らすために外国軍と結託して逆襲を企図しているのではないかと恐れた。

それはあながち的外れな推測ではなく、軍籍にあった貴族の多くは、保身よりも国外から革命を壊滅させる道を選ばんと亡命したのであり、事実ベルギーやネーデルランド、イタリア国境地帯では、亡命軍人で軍が再編成されているという情報を司令部でも掴んでいた。俺たちが国王軍に背を向けたきっかけを作ったランベスク公爵がその筆頭だった。

しかし実際に農村で起きていたことは、飢餓ゆえに盗賊集団と化した夜盗の略奪だったり、にわか武装した自警団同士のニアミスなど、貴族の復讐とは全く関係のない騒ぎが大方を占めていたはずだ。

組織だった防衛手段も、正確な情報を得る術も持たない農民はパニックに陥った。中央司令部には、次々に近郊の農村で武装した農民の暴力的破壊活動の報告が届いていた。中央政権が崩れて保護を失った不安感は、農村地帯において略奪、焼き討ちなどの破壊行為として現れた。

領主の城館の焼き討ち、富裕農家への襲撃。農民の武装蜂起は、東部フランス全体に広がり、集団ヒステリー状態と化した。見えない敵へ対する恐怖と飢餓は、目に見える敵を求めて暴走した。

貴族イコール国家の敵、非国民。市民こそが愛国者、という単純な図式が出来上がりつつあった。法曹界も攻撃の的となった。それは、パリにおいても同様で、扇動的なパンフレットや新聞が街に氾濫した。

自由と近代的国家への理想を純粋に訴えるものも中にはあったはずだが、市民の憤懣を利用して、混乱に乗じて利得をむさぼろうとする意図が透けて見えた。

オスカル。

おまえを籠に閉じ込めず守るには、どうしたらいいのだろう。
今の俺は、どんな力を身につければいいのだろう。

軍司令部での仕事はオスカルとの約束通り、半日で切り上げた。しかし、他にいろいろ考えなければならないことがあった。司令部に近すぎるマロン館はいつまでもオスカルを置いておけるところではない。

貴族然とした館は襲撃のターゲットになる可能性がある。安全でオスカルの健康によい居住地を探す必要があった。

ジャルジェ家から譲り受けた資財を適切に管理する必要もあった。おばあちゃんと俺への退職手当という名目で譲渡された資財は、改めて合計してみると、ジャルジェ家を分家したほどの額だったのだ。

とてもでなないが、私物として扱うわけにはいかない。賢く運用して、いざと言う時には倍返しできるくらいに管理しておく責任を俺は勝手に重く感じている。

旦那様にそのような意図などないことは分かっている。旦那様と奥様の真意はただひとつ。オスカルを守るためにいかようにでも利用せよ、ときっぱりと切り離したに違いない。

ジャルジェ家はご自分の代で終わらせるおつもりなのかも知れない。オスカルをジャルジェ家から自由に解き放ったことで、ご自分は傾きかけた王家と、最後まで運命を供にする覚悟がより強固になった。そんな小気味良い潔さすら感じる。

大切なものを守りたい俺は、もう少し往生際が悪い。今はバスティーユの女神などとヒロイン扱いされているオスカルだが、明日はどうだ?この先、国家の敵と凶弾されることがあっても、オスカルは国を捨てはしないだろう。

俺はその時に向けて備える必要がある。綺麗ごとを言っても始まらない。非常時には、資力が強力な武器になることは間違いないのだ。

午後、仕事をいつものように無理やり切り上げると、俺は馬場に向かった。体力さえ保てれば、今後の足固めのため、今日中に訪ねたい場所が二箇所あったが、その前に幾日も放っておいた旧友のご機嫌を伺っておこうかと思ったのだ。

司令部の裏口から渡り廊下を通って、倉庫として使われている別棟を経由すると、最短距離で馬場に行ける。俺は壁を手で伝いながら進んだ。この辺はまだ位置感を把握していないのだ。

兵舎と練兵場、馬場は司令部の東側、広大な敷地に散らばっている。石壁の感触やら、足元の床材や段差を確認しがてら、俺は屋外へ出た。すると、闇が明けるように明るくなり、芝の緑色を視界にぼんやりと感じる。

ほっとして緊張が肩からするすると抜け落ちていく。俺はまだ暗闇に慣れていないのだ。

広い屋外の空間へ出ると、手でたどれる壁がないぶん移動はさらに困難になる。何とか目で確認できる兵営棟の低く四角い影の位置と、足元の芝と未舗装の砂利道の感触を頼りに現在地を推し量りつつ歩いた。

右手に広がる練兵場には、下手くそな出立ラッパと太鼓を練習している兵が数名と、フォーメーションを訓練中の小隊がいるらしい。少年のような声を持小隊長が、自分の倍は年のいった民兵に野次られながら、必死で怒号を飛ばしている。昨日今日銃を持ったばかりの商人や職人を相手に、単調退屈極まりない形を教え込むのは楽じゃないだろう。

オスカルなら、そのカリスマ的な眼力と存在感ひとつでおっさん兵を自在に動かすことができるだろうな。などと秘かに餓鬼っぽい自慢を胸にしながら、立ち木にぶつかることも、蹄鉄を履いた四足の住人の落し物を踏むこともなく、俺は目的の厩舎へたどり着いた。

ところが逢引き相手は、彼女の居住場所にはいなかった。世話係の当番兵に聞くと、先ほど許可証を持った兵が連れ出したとのことだった。連れ出すといっても、兵営の外に出ることはできないのだから、行くところは決まっている。俺は小走りになった。

思った通りの場所から、土ぼこりの匂いと規則正しい軽快な足音が聞こえた。数十秒も聞かないうちに確信した。間違いない。彼女だ。
「ブランシュ!」

足音に向かって呼んでみた。勢い良く鼻を鳴らす音と、蹄を踏み鳴らす音に混じって、男の悪態が聞こえた。察するに落馬寸前てところか。彼女に乗っているのは奴だ。慌てて手綱を引く轡の金属音が何度か立て続けに鳴り、それから悪態が飛んできた。

「ばっかやろう!!急に大声で脅かすな!」

大きな騎乗した影が、怒鳴りながら近づいてくる。
「驚いたわけじゃないよ、歓迎してくれているんだ、な、ブランシュ。元気だったか?」

高らかに嘶く声と、豊かで長い尾っぽをゆさゆさと揺らしては尻に叩きつける音が聞こえた。ほら見ろ、こいつはいい男を見わける目がちゃんとあるんだ。

ちっ、と舌打ちして、騎馬していた男は拍車をきしませて地面に降り立った。もうもうと土埃があがったことがわかる。馬場の柵に寄りかかった俺の顔に馬特有の匂いがふわりとかかったと思うと、冷たく濡れた鼻づらがこすり付けられ、俺は危うくひっくり返るところだった。

「よしよし、そうか、寂しかったか、ごめんな、放っておいて」

ぐいぐいと押し付けられる鼻と頬を抱えるようにして叩いてやると、ブランは喜んで鼻息を荒げて首を振り、足を踏み鳴らした。おい、おい、傷が痛いぞ、少し加減してくれ。

「よっ、本当に出勤しているんだな。胸に風穴開けたままで無茶な奴だ、青白い顔しやがって」

聞きなれたアランのだみ声だ。馬場の柵が小さく揺れ、拍車の金属音が響いた。奴は馬場の柵に片足をかけて寄りかかったのだろう。

「やあ、アラン。おまえこそ、よく振り落とされないでいるじゃないか。ブランシュ、こいつが気に入ったか?」
ブランシュは応えるように鼻を鳴らす。
「へえ、ずいぶんとまた惚れ込まれたもんだな」
「別に嬉かねえよっ」

アランがふてくされた。ブランシュは、オスカルと俺以外の人間のいうことを聞かない。気に入らぬ人間には、人を食ったような態度をとる馬なのだが、さっき聞こえた彼女の早足は、適当に流しているというよりは、きちんと御されていた。ちょいと複雑な気分だ。

「どら、別品さんの調子を見せてくれ」

俺は柵を乗り越えて馬場に入った。怪我さえしていなければ一跨ぎで飛び越えるところを、横杭に足をかけてから一旦腰をかけ、そろそろと慎重に片足ずつ降ろさなければならなかった。

「それなりに面倒は見て貰っているだろうよ。おまえってつくづく世話焼きなんだな」

おまえこそ。許可証を持っているあたり、自分からオスカルにブランシュの世話役を申し出たんだろう。軍の厩では、個人の持ち馬の運動まではさせてくれない。

「飼料の配合と、毛並みの手入れも大事だが、調教の継続如何で筋肉のつき方がすぐ変わる。やっぱり人任せは心配だよ」
「ほお~、苦労性なこって」

ブランシュの許しをもらって、忙しく彼女を点検する俺を、アランは呆れたように眺めているのだろう。確か彼は数日前まで留置所に放り込まれていたはずだが、何もなかったような素振りをしている。

こいつにひと言礼を言いたかったが、奴にしてみれば、俺から礼など言われたかないだろうな。もし俺がこいつの立場だったら…。うん、やっぱり御免こうむりたい。

そこで、俺は馬に礼を言うことにした。
「ろくに調整もしてやれなかったところに、急に走らせてしまったらしいけど、大活躍してくれたってな、メルシー、ブランシュ」

ぽんぽんと長いたてがみが流れるブランカの首筋を叩いてやる。ブランシュはまた甘えたように鼻を鳴らす。後ろでアランが鼻先で笑った。

「やっぱりおまえは最高だ。なのにおまえの美貌が災いして馬場から外に出してやれないし、俺はもうしばらくおまえの相手は出来ないけど、いい友達ができたみたいで良かったな。安心したよ」

ちょっと間が空いてから、アランが吼えた。俺の言葉の意味が脳天に届くまで、やけに時間がかかったじゃないか。

「と、友達だとぉっ」
「これからもちょくちょく付き合ってやってくれよな。でないとこいつの自慢のヒップラインが緩んじまう」
「ばっかやろめ、誰がっ!」

おお、鼻息で吹き飛ばされそうだ、ブランシュ。いやアランのか。マジにどっちだ?・・・何~て。 いけないいけない。どこかの誰かさんのように、思った通りの反応が返ってくるのが面白くてついこんな言い方をしてしまうが、俺はこいつに感謝しているんだっけ。忘れるところだった。でも、照れ屋のこの男にはこのくらいで丁度いいんじゃないかな?

「すまんすまん、冗談じゃなく、さ。この馬が慣れない人間の言うことをおとなしく聞くのは珍しいんだ。何年もかけて仕上げた馬だからこのまま飼い殺しにするのは忍びない」
神妙になって見せると、アランは少々心を動かしようだった。分かり易い男だ。

「俺は細かい調教はできんぞ」
照れ隠しの不機嫌を装っているな。そう言われて無視できるおまえじゃないものな。基本的には親切で面倒見がいいくせに、それを表に出すのを恥ずかしがるのが可笑しくて仕方ない。素直になればいいのに、と思う反面、それも不気味だから、こいつらしくていいか、と思い直した。

「いいよ、常歩と速歩と駈歩をブランシュの疲労と相談しながら流してくれれば。馬体が硬くなるのと、馬力が落ちるのを予防できれば、他は後で取り戻すさ」
「おまえがか?本当は見えてんじゃないのか」

ああ、おまえも見えないと何もできないと思うのか。俺が調教しようなんて信じられないって言い草だ。見えているときと同じやり方に固執さえしなければ、できることは結構ある。

人と違ったやり方が異端視されることはあるけれど気に病む価値はない。調教についてはやってみなければわからないが、初めから不可能だと決めてしまうことこそが、可能性をつぶしてしまうのだ。

「ばれたか」

にっと笑ってやると、アランはまた声を荒げた。
「何だって、このぉ~っ!ふざけやが・・・」
「って言えるなら、おまえのケツにキスしてやってもいいんだがな」
「うげ~っ、止めろ、想像しちまったぜ、じゃなくておまえ・・・」
「ケツは出さんでいい。良かったな」

肩をすくめて見せると、アランは口をつぐんだ。おい、あまり深刻にとるなよ。俺はもっと辛辣な世間の中で生活して行くんだ。そのくらいどうということはないんだよ。

「悪かった」

がっくりと肩を落としたような声を聞いて、鼻の奥何かがにつんとした。莫迦だな、おまえは俺に奇異の目を向ける奴らとは違う。言えば必死で否定して食ってかかるだろうから黙っているけれど、おまえの情の深さは胸に浸みるよ。

「いや、俺こそ悪かった。期待させたろ」
「何を」
「何ってケツに・・・、うげ、お、悪寒・・・」
「う、お~~~っ!」

走り回る体力など残ってないのに、埃の巻き上がる馬場で、俺は余計なエネルギーを消費する羽目になった。アランがもう少し素直で照れ屋でなければ、ストレートに感謝を伝えられるのに、遠まわしに親愛の意を伝えるのは命がけだ。午後も予定があるのに、ここでへばっちまったらどうしてくれる。オスカルの方がまだ素直だ。

俺は身振りで降参を表明した。アランは我に返ると、しまったと言うように俺に手を貸してくれた。折角だから遠慮なく体重を預けてずるずると地面に座り込み、柵に寄りかかった。アランも横に座る。

「大丈夫か、おい。もちっと怪我人らしくしてろ。つい忘れちまうだろうが」
「あはは、俺も忘れてたよ」
「ばかたれ」
「おまえこそ、腕がまだ痛むだろう」
「はん、どうってこたねえや」

先ほどとは別の小隊が、少し年かさのいった隊長の号令で、駆け足、止まれ、片膝、伏せ、を繰り返し練習している。声は遠くに聞こえるのに、硬く干からびて踏み固められた地面に直に腰を降ろしていると、すぐ真横を通り過ぎていくかのように振動が腰に伝わってくる。

目線が低くて埃っぽかったけれど、息が落ち着くのを待つあいだ、俺たちはしばらく無言で座り込んでいた。

そろそろ行かねばならないので腰を上げようとして、明日オスカルが辞令を交付する予定だったことを思い出した。ここで伝えて省略してしまおうか。一つ手間が減る。

「おまえの転属願い、今日受理されたぞ」
「ほ、早えな。それで、何か。おまえはもう数万の兵士の人事を把握しているてえわけか」
「まさか。オスカルの管轄下だけだよ。それに全てって訳じゃない。いずれはそうしたいけど」
「うへえ、聞いただけで脳みそが破裂しそうじゃないか。え?」
「記録を見て確認し直すには、いちいち他人に頼らなきゃならない、と思うとな、自然に一度で覚えちまおうとするくせがつく。習慣になれば別に難しいことじゃない」
「そういうもんかね。俺なら三日で気がふれるだろうな」
「別に必要なきゃ、いいさ」

俺がそう答えると、また悪いことを言ったとでも思ったか、アランは押し黙った。

アランは前歴が評価されて、少尉に復帰し、司令部直属騎兵隊に配属されていた。まさか数日前の暴走事件が原因ではいだろうが、その後本人の意思による転属願いが提出され、サント・マルグリート地区の小隊長として再配属になることが今日決まった。

よりによって一番貧しく、蜂起の火種のような地区だ。民兵構成員が他の地区に比べてブルジョアよりも賃金労働者が多いその地区は、軍事訓練の成果が上がりにくい。兵とはいっても働かなければ明日が来ないのだ。訓練出席率は市内でも最低だった。その分専任仕官の負担が重くなる。

反対に、アランが拒否した司令部直属部隊は選抜部隊とも言われ、エリート集団とも言えた。
「おまえ、せっかくのチャンスを何故ふいにした?」
「くそ面白くねえんだよ、あの気取ったアメリカかぶれ孔雀野郎も、ちゃらちゃらしやがった兄弟もな。講釈垂れたかったら議員だけしてろってんだ。本当は貴族以外は人間と思っちゃいないくせに綺麗ごと並べて管理しようとする。気に入らなねえ」
さもありなん、か。しかも名前を出さなくてもこいつが誰に腹を立てているのかすぐわかるのが可笑しい。

「俺とすれば孔雀の羽は是非開いておいて欲しいがな。きらきらしたヒーローも大勢いてくれた方が助かるよ」
「隊長に注目が集まらないようにってか。おまえは、隊長さえよければOKだからな。単純で羨ましいね」

あのねえ。核はついているが、隊長さえよければって、それもの凄く大変なんだぞ。簡単に言わんでくれ。それを理解されることもなく、俺は四半世紀孤軍奮闘したし、これからもそうだろう。それを単純だなんて言われた日には、おい、立ち直れなくなったらどうしてくれるんだ。

とまあ、冗談はさておき、アランの感じている不満は、事実民兵の間にも広がっている。ラ・ファイエット候は規律を厳しくすることで、衛兵隊を纏め上げようとしていた。彼にとっての革命はある意味終結し、今後は民衆的要素を排除した自軍を作り上げたいのだ。強力な軍を掌握していることは、取りも直さず議会での発言力に繋がり、彼の理想の王国創設への招待状となりえた。

八割が一般市民を占める国民衛兵隊を厳しい軍規で押さえつければ、内部の歪がいずれ亀裂を生じさせる。民主的なオスカルを信頼したアランは、騎兵隊で昔に逆戻りしたような気分を味わったのだろう。そして、そんなアランの憤りは、そのままオスカルの憂慮を体現している。

「隊長はどうしてる」
「少し回復した、と軍医が言ってたが、しばらく会っていないから詳しくは知らない」
「会ってない?」
「オスカルの居所を突き止めようと、俺にも記者連中のマークがついている。もう少し体力を取り戻すまで、そっとしておきたいから俺もオスカルには近寄れない。軍務へ戻れば同じことだが、せめて今だけでも休ませたいから」
「やっぱり隊長は復帰するつもりなのか」
「面白くねえ、って駄々をこねる兵士が多いからな、見ちゃおれんのだろうよ」
「腰抜け野郎」
「餓鬼」
「さっさと隠居しやがれ、穴あき中年」

分かった、分かった。おまえの気持ちは伝えておくよ。会えたらな。暴言も許してやる。裏に隠れたおまえの思いが嬉しいから特別に。

「わかった、年よりはそろそろ退散するよ」
もたれ掛かった柵には馬用の毛布が掛かっていた。用意して出てくるとはアランにしては上出来だ。汗ばんだブランカの鞍をはずして汗を吸い取ってやろうと、俺は本当の年寄りみたいに一苦労して立ち上がった。そして毛布に手をやったとき、もうそこにそれは無かった。

「俺がやってやるよ」
聞き間違い…ではなさそうだ。ぶっきらぼうな、ふてくされたようなひと言。おまえの顔が見たいな、アラン。
「メルシ」
「はやく戻って寝ろ」
今日は敬老の日だったかな?それならついでにもう一つ頼んでみるか。
「今日は非番か?」
「明けだ」
「それなら、おまえも一寝入りした後、頼まれてくれないか」
「何を」
「ベルナールを飲みに誘ってやってくれ。最近どうも辛気臭くていけない。できるだけ能天気な奴らと一緒に。俺のツケにして構わないから」

余分な体力を消耗したお陰で、今日の午後の予定は明日になりそうだ。医師からの情報収集と、オスカルの療養場所の下見と。指輪の注文もまだだった。でも、ここで会えて良かった。こいつの気持ちがよくわかったし、勘のいいやつだから俺が感謝していることもわかってくれたろう。非常に手間はかかったが。

大義名分を得て、元一班の連中を引き連れたアランは、今夜楽しくやるだろう。俺も参加したかったけれど、また次回を待つことにする。ただその場にいられないことで、一つ心配なことがある。ツケに回していいのはあくまでも飲み食いまでだぞ。ロザリーが怖い。
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