20.同じ空の下2 

2019/07/07(日) 暁シリーズ
同じ空の下 synchronicity2 1789年7月28日~8月1日

1789年7月28日~8月1日

出勤初日。
衛兵隊時代に親交を深めた秘書室の連中は、途方に暮れ切った様子で俺を迎えてくれた。まるで言葉が通じない外国人か、瀕死の病人を前にしたようだ。

そこまで腫れ物に触るような態度をとらなくても、取って食うわけでなし、俺の中身は何も変わっちゃいないのだが、俺の失明を事前に知らされていた室長、ル・クレジオ中尉以外は一様に戸惑いを隠せなかった。

もし衛兵隊時代に築いた信用がなかったら、確実に門前払いだったろう。

パリで目につく盲人と言えば、ポン・ヌフの上でオルゴールを回し物乞いのように日銭を稼ぐ芸人か盲人喫茶の楽士だが、自活できる分まだ幸運な方だ。救護施設に収容された盲人は悲惨だ。

住環境は家畜小屋より劣悪であると聞いている。引率の修道士を先頭に、前方を歩く者の肩に手をかけて縦列を組んで歩く姿を一度ならずとも見たことがあるが、日に一度、運動のために町に連れ出されるということだ。

彼らはいつも通行人に投石されたり唾を吐かれたり卑猥な言葉を投げかけられたりしていた。そればかりではない。通行人は足をかけて転ばせ、腐った食物を投げ与えてはそれを手探りで追い求める盲人を笑いものにすらするのだ。

身分の違いや貧富の差、教養の有無に関係なく、パリの健常者はそのような振る舞いをする。高い教養や知性には虐待に歯止めをかける力はないらしい。

盲人、気狂い、白痴。ここパリでは全て虐待の対象になる。心身に不具合を抱えた者が隠れるように身を寄せる社会の片隅には、良くも悪くも革命の波は届かない。

だから、秘書室での俺は、これで非常に優遇され、恵まれている方だと、その幸運を喜ぶべきなのだろうか。

俺が幸運だとすれば、偏見に屈している暇などないことだろう。見えない事実は事実。特に文字が読めないことで第三者の協力を必要とする俺は、そのハンデを補う以上の存在価値を証明しなければならないのだから。

オスカルを身内に甘い評価を下す将校にしたくない。まあ、あいつがそれをするとは思えないけれど、俺はオスカルを支えたいのだ。

秘書室の連中が、遠慮がちに遠巻きにしていることを逆手にとって、俺は無遠慮に必要な手助けを矢継ぎ早に具体的に要求した。

俺に請われるまま一々書類を読み上げたり、書棚の位置を教えたりするうちに、彼らは俺の扱い方の心配から開放されて安心したようだった。見えないこと以外は、今まで通りの俺であることもわかってもらえたようだった。

得体の知れないものの正体がわかってくれば恐くなくなるという訳だ。彼らのこの反応は俺にも意外だったが、これからどうやって動けばいいかが、おぼろげながら見えて来た。今のうちに俺の方から主導権を取って仕事の形態を作りあげてしまおう。

いずれは人の手を借りずに仕事ができるよう、手始めにオスカルに関わる書類作成用紙を勝手に発注した。手触りで裏表が判別できる紙に種類別に立体的なエンボス模様を入れたものや、エンボス印を多数。

例えば曜日を表す小型印が七つあれば、それだけで一年分の日付けを区別できる。印が一つなら第一週、二つなら第二週。月は印を付ける位置で判別すればいい。ただし、書類を一年以上溜め込むことは厳禁だ。これはオスカルの協力(?)が必要だが、さてさてどうなることやら。

枠内に字を収めるための定規、罫線を立体的に彫り込んだ下敷き板など、書字に関する道具なども細かく指定し注文した。書類仕分け、保存用のラックなども一工夫する必要がある。試行錯誤を重ねるうちに工夫のアイデアは洗練されていくだろう。

納期を急かされた文具屋は頭を抱えて帰って行った。気の毒だが今日の注文などまだまだ序の口に過ぎない。

そして取り急ぎオスカルに送ってやりたい情報を纏めることと、秘書室と参謀本部室の詳細な物品の配置を覚えることに最初の二日を費やした。

他に急を要する仕事として、オスカルの勤務シフト再作成と、元衛兵隊の仲間が自発的に買ってでているオスカルの警護を正式に人事申請することがあった。

きっと問題なく受理されるだろう。国民衛兵隊はどれほどの代償を支払ってもオスカル・フランソワを手放したくはない。発足したばかりの国民衛兵隊は、市民の支持を保たねばならないし、内部分裂を何とか収めなければならない。

庶民の熱狂的な支持を集めるバスティーユの女神の牽引力をラ・ファイエット候は必要としている。なぜなら、オスカルがヒロインだからだ。

ラ・ファイエット候はパリの父、人民の英雄とまつりあげられているが、オスカルならば英雄人気を侵食することなく宣伝に使える。そして、都合が悪くなれば切り捨てるには易しい。やはり女であることを利用すればいいのだから。

昔なら、俺はオスカルがそのように扱われることに激しく憤ったろう。だが今の俺はなりふり構ってなどいられない。

オスカルの意図とは全く違うところで、シンボリックに利用されることを憤慨する暇があったら、こっちが都合よく利用し返してやるくらいのふてぶてしさで行動してやる。

オスカルのカリスマ性は彼女の持つ力の一つなのだから目一杯生かして然るべきだ。このあたりは、当の本人と意見が別れるリスクがあるが、その時はその時だ。

出勤三日目にもなると、秘書室の連中は俺の状態にかなり慣れて、警戒を解き始めてくれた。俺が普通に話もすれば、ジョ-クも飛ばす元の俺と変わらないことを少しずつわかってくれたようだ。

偏見の壁は厚いけれど、なりふり構っていられない状況のおかげで、俺は失明を嘆くヒマがないのだから、何が幸いするかわからない。

未知への挑戦が始まった。何もかもが手探りだがとにかく小さくも一歩を踏み出すと、次にやるべきことが見えてくる。

手持ち時間の少なさに強く焦りを感じるが、オスカルとの約束通り、きっちり半日で事務所を出た。中央司令部玄関のホールを出ると、今日も刺すような日差しが足元から照り返していた。

門柱に寄りかかって張り詰めた神経の糸を少し緩めると、ようやく猛烈に体がしんどいことを思い出した。

胸の傷がここぞとばかりに存在を主張し、どくどくと痛みを拍動に乗せて体中に送り出している。がたいがでかいと、総身に回り切らないのは知恵ばかりではないらしく、血流が足りないのか頭を真っ直ぐに保っているのが難しい。

見えなくても目は回るんだよな。ごめん、オスカル。ぶっ倒れたなんて知らせがおまえに届くはめにならないよう、もっと良く気を付ける。

門柱に寄りかかって、眩暈を何とかやり過ごした。疼く胸。こんなにも胸が痛いのは、傷のせいじゃない。たった一人で病に向き合っているおまえの傍にいられないせいだ。

司令部から北にわずか三百トワーズのところにいるおまえを思った。身体は楽になったか?ちゃんと食べて眠っているか?寂しくはないか?

淋しいのは俺の方だ。今すぐにでも向きを変えて駆け出したい!その衝動を必死で押さえ、俺は南に向かって歩き出した。オスカル、オスカル。おまえに会いたい。


・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*・*


四日目の夕方になると、随分体が楽になった。身体が楽になると、孤独感と焦りにさいなまれるようになった。毎日手元に届けられる報告書をもう何度読み返したかわからない。

早急に決めるべきは、参謀の選定だった。師団長には通常二名から三名の参謀が付くが、私はまだ誰も指名していなかった。アンドレが内諾をとって来てくれた数名のリストの中に思いがけない名があった。

ダグー大佐。

この変換期に、国外へ脱出するか、除隊請願を出して軍から離脱する貴族軍人が増える中、彼は国民衛兵隊へ吸収されることを受け入れたのだ!

直に会って話さなければ真意はわからないが、目先の利害をめぐって対立と分裂の危機を孕む軍隊の中で、歩み寄りを思わせる兆しがあることが嬉しかった。彼は決まりだ。再びそばにいてもらいたい。

昨日までの出動記録を丹念に辿った。所々アンドレのチェックが入っているのは、捜査乃至は巡回と称して隊員が貴族の館で略奪行為をしている節がある部分だ。早いうちにそれぞれの大隊長とじっくり話し合う必要がある。

人民が人民のために立ち上げた国民衛兵が、略奪という古い思考の仕組みに捕らわれていてはいけない。早く是正に動きたい。それなのに病を抱え、思うに任せない自分がもどかしい。

夕方になると熱が上がった。開け放った窓の外にはまるで動く気のない真夏の熱気。風はそよともふく気配はない。まるで、私の上に居座る病のようだ。夏の日はいつまでもだらだらと残照を引きずり暮れ渋る。

それでも時が来れば日は沈むのだ。私も時が来るまで耐えねばならない。その傍らに彼がいないことがこんなにこたえるとは。

食欲は相変わらずなかったが、アンドレを思い無理やり詰め込んだ。その結果胸焼けを起こした私は、起き上がる気力もなくごろごろと寝返りばかりを打っていた。

すると、パタパタと軽い足音が廊下にを走る音が聞こえ、ノックとリュシェンヌの緊張しきった声が聞こえた。この若い見習い修道女は必要以上には決して口を開かず、話す時も一言一言力を込めて必死で力んでいる。

初対面の時から一貫してそうだった。そうかと言って、とてもよくしてくれるところを見ると、私を嫌っているわけではなさそうだ。もう少し緊張を解いてくれるといいのだが。

「お客様をお通ししても良いでしょうか、オスカルさま」

白地に金塗りの蝸牛型のレリーフで縁取った両開きの扉の片方だけを、顔半分が見える程度に開けてリュシェンヌが顔を覗かせた。粗末な尼僧衣の裾が煌びやかな扉からはみ出している。それは気の毒なほど不自然な組み合わせに見えた。

修道院で育った孤児であるリュシェンヌは僧院の厚い壁の外で暮らすのは初めてだと聞いた。命じられるままに奉仕に派遣されるのは見習い修道女の定めではあが、清貧を通し、徳を積むことだけを教えられた少女にとって、この派遣先は、ある意味非常に過酷なところなのだろう。

それにしても、来客とは思いがけない知らせだった。たった四日でもう居所がマスコミに知られてしまったか、と思いきや、リュシェンヌが告げた名は、一人部屋の広すぎる空間に花を咲かせてくれた。

飛び込んで来たのは私の春風。どっこい風力は台風を吹き飛ばしそうな勢いだった。季節風にもいろいろあるが、今の私には恵みの突風だ。

「オスカルさま!」

私の病を知っているはずなのに、ロザリーは躊躇することなく私の懐に収まった。もう数え切れないほど受け止めた旋風だが、彼女の勢いに押されてロザリーごとベッドに倒れこんでしまった。

酷く体力を失っていることを改めて痛感する。ロザリーも一瞬驚いたように顔を上げ、それから微笑んだ大粒の瞳には、お馴染みの涙が一杯に盛り上がった。

「ロザリー、一人で来たのか、街は物騒だというのに」
「ここまで送ってもらいました。この先のキャバレーに繰り出す兵隊さん達に…あっ」

行先は隊長に内緒にしてくれ、と言われてたんです、とロザリーは両手を口元に当て、肩をすくめてから、お会いしたかったと泣き笑いした。

おまえは次々に咲きこぼれる朝露を乗せた野薔薇のようだな。おっと、野薔薇は賞賛だぞ。温室の外でも可憐な初々しい花を咲かせ、大地には強靭な根を張って立つ。

彼女の潤んだ瞳に見詰められて、私の中で何かがするするとほどけていく。昔からおまえは私のオアシスだった。

「良く来てくれたな、ロザリー」
「お店の方が営業再開するのに大変だったので来られなくて。オスカルさま、心配でどうかしそうでした」
「心配させることばかり得意だな、私は」
「皆さんもお口は悪いですけど、くれぐれも無理はしないで欲しいと伝えてくれとことづかりました」
パリの外れの城壁外にいくつもある行楽街が、確かにこの先にもあった。私がここにいることを知る兵と言えば、限られているからすぐに察しがつく。彼らの気持ちを嬉しく思う反面、上官として不甲斐ない自分に愛想をつかしそうだ。

「アラン・ド・ソワソンか」
「はい、この頃よくベルナールを訪ねて来てくれます」
「ふふ、成るほど。今更夜遊びを隠しだてしても仕方がないのに可笑しなやつだ」
「今夜はアンドレのおごりだそうですから、後ろめたいんじゃないかしら」
「ほお、わりと殊勝なところがあるんだな。で、あの体でアンドレまで参加か」

それは、穏やかではない。私もアンドレも体調が最悪だったから、留置所に放り込まれたアランを出してやるのに手間取ってしまった。アンドレが奴を労いたい気持ちはわかるが、一緒になって酒場に繰り出すのは駄目だ。

「オスカルさま、大丈夫です、アンドレは言伝だけ置いて男爵邸に戻りました」

しまった。他人の中で過ごすようになって気を張りすぎていた。久しぶりに身内の人間にほっとして…本音が顔に出たか。ロザリーにくすりと笑われた。今更だ。ああ、好きなだけ笑うがいい。

「アンドレは、ベルナールも誘いに来てくれたんです。アンドレの失明を知ってから、一人で深酒をすることが多くなった彼に、どうせ飲むなら楽しい酒を飲んで来いですって。止めてくれるのかと思ったのに」
「堪えたか、そうか・・・」

あれで繊細な男だったな。事故だったとか(そんなことはもうアンドレが言ったろうが)、責任は私が負うものだと言って聞かせてどうなるものでもあるまい。私にしたって、直接の加害者としてのベルナールに、割り切れないものがないと言えば嘘になる。

「では、おまえの亭主も今頃はポルシュロンの住人か」
「仕事の後、喜んで合流すると言ってました。男は死ぬまで治りませんわ、オスカルさま」

おや、いつの間にそんなことを言うようになったのか。愛ある妻の達観には恐れ入る。私はおおいに負けているな。いつから私を女性として見てくれるようになったのか。少し寂しいような気もするが。

「およその顔ぶれは予測がつくよ。確かに堅物べルナールにはいい刺激になるかも知れんな。楽しい酒盛りになることは私が保証しよう」
「ついでに、悪さもなしって保証もつけて欲しいです」

ロザリーが芝居がかった強面を作って見せたので、でっかい瞳を、指でくいと垂れ目にしてやった。

「男が死ぬまで治らないなら、それは難しそうだが・・・私がおまえの亭主なら、恐くて悪さなどできないな。よし、保証してやろう」
「酷いわ、オスカルさまったら!」
「あははは、ほら言った通り恐い恐い」

拳を振り上げて威嚇する振りをするロザリーと、防御の姿勢をとって見せる私とで、ベッドの天蓋がゆれるほど笑った。ベルナールにとって、おまえを失うことより恐いことはないに決まっている、だから心配するな、と笑いの隙間から言ってやった。するとロザリーはキュートなふくれっ面を見せてこう言った。

「あたりまえです」

ロザリーはその夜、マロン館に泊まって行った。
熱っぽさの残る私を心配して、何度も部屋を出ようとしてはことごとく失敗したのだ。

私たちは夜っぴて話をした。衛兵活動報告だけでは見えない隙間を埋めてくれる話も聞けた。彼女の勤める洋品店でも、貴族の亡命や自粛のためにドレスやコートの注文が激減したこと。贅沢品専門店が立ち行かなくなる危惧から職人の間でも緊張が高まっていること。

アンドレを通し、元フランス衛兵らから大量に軍服の注文が入ったことでロザリーの店は辛うじて窮地を脱したものの、慣れない軍服縫製に苦労していること。

貧しい市民にとっては理想の追求の前に飢えが深刻な脅威であり、暴力と不信がパリを覆い尽くしていること。

そして、初めてゆっくり聞くシャトレ家の日常の様子。小さないさかいと、助け合いと、思いやり。そうやって、地道に信頼を積み上げていくふたりの生活は他のパリ庶民と同じく時に過酷だ。

けれど、ささやかで、本当に平凡な毎日なんです、と微笑むロザリーは、内側から輝くように美しいと思った。温室で咲き誇る大輪の薔薇の美しさしか知らなかった私に、生命が輝く美しさを教えてくれたのが彼女だったのだ。

アンドレ。

私は今でもおまえにとって美しいだろうか。そうだ、と言葉にして言って欲しい。
離れていると、無性に言葉が欲しくなる。わかっていても、不安がつのる。
馬鹿野郎、もう限界だ、何とかしろ。

少々僻みの混じった私の目に、彼女の健やかさがより美しく映るのるのは当然だったのだが、ロザリーはもっと決定的な理由を私に明かした。

「ロ…ザ…!おまえは!どうしてそれを先に言わない!」
「こんな時に、オスカルさまが大変な時に、とても言い出せなくて…」
「ばかだね、ロザリー。こんなに嬉しい知らせを聞けば、一度に元気になるに決まっているだろう!」
「オスカルさま」

お約束のように泣き出した彼女を抱きしめて、私は際限なく祝福を浴びせた。
ロザリーが母になる!

「私の新しい甥か姪にはいつ会える?」
「多分、来年になってすぐに」
「来年か…」

来年。

そのひとことで、あまりの嬉しさにいっとき忘れていた現実を思い出した。半年後、私はその日を迎えることができるのだろうか。

その日その日を生き抜くことで精一杯の私には、半年先のことなど考えられない。いや、考えないようにしていたのかも知れなかった。私に未来は許されているのだろうか。

「だめです。オスカルさま」

ロザリーをもみくちゃにしていた腕を止めて中空の一点を凝視した私に、ロザリーが活を入れた。おおべそをかきながら。

「私の赤ちゃんは、病気で弱っている人になんか抱かせてあげません。それに、生まれる前の祝福も受け付けません。ちゃんと洗礼の時に立ち会って祝福してくださいっ!…ひ~ぃっく」
「ロザリー・・・」

私の腕を力任せに掴んで、春風は夕立を降らせてしまった。やれやれ、これでは宥めるのに忙しくて、未来を憂える暇がないではないか。

細い背中を擦りながら、ちょっとだけアンドレの気分を味わった。ふん、成るほど、思ったよりも悪くない。まてよ、それはロザリーが素直だからか。私の場合はもう少し。

「オスカルさま」

きっと目を向き、ロザリーがびしょびしょの可愛い顔を上げた。子供が生まれたら、ぱっと見親子の見分けがつかないのではないか、といらぬ心配をしたくなる。そんなおまえの姿を見ずにいるのは口惜しいな。

「弱気は許しません」

うん。そう決めたんだが、あいつが傍にいないと、私は私でいられないんだ。

「恐いな、ロザリー」
「まだ、やさしい方です」
「ふふ、わかった、きっと元気になるから、おまえの元気な赤ん坊を抱かせてくれ」
「それだけではないでしょう、オスカルさま」

ロザリーは、涙を拭うと私に改まって向き直り、居住まいを正した。彼女にしては珍しく、いらついているようにも見えるが、さりとて怒っている風でもない。

「何だ?尋問か?」
「ベルナールが挙動不審です」
「?」
「隠しても無駄です、オスカルさま」
「何を?」

挙動不審なベルナールと私の隠し事?全く分からない。今夜のキャバレーツアーだって知らなかったのだぞ。ロザリーはいよいよ真剣な眼差しで私をじっと見詰める。うっかり目玉を落っことさなければ良いが。

「夢中になると他の事なんかまるで見えなくなるベルナールが、私に内緒で記事なんか書けっこありません。書き損じが人目に触れないように処分するのは私ですもの」

あ、それか。

「ばれたか」
「おおばれです、オスカルさま!」
ロザリーは、またひしと私に抱きついた。

「ふっふ、おまえの亭主は義賊をやめて正解だったな。それでよくぞ正体がばれずに済んだものだ」
「酷いわ、私に内緒にするなんて!一番に祝福したかったのに!それなのに気弱になったりして、だめったらだめ!」

また大洪水だ。だから内緒にしたのに。

「お許しが出ないと思ったのだよ。本当に祝福してくれるのか?」
「…っく、…ったらひ~っく、あ~ん!」
そんなに泣いて、大丈夫か。お腹の子に障りはしないか。もっともこのくらいで吃驚していてはロザリーの子は務まるまいが。本当に楽しみだ。

「…ったい~ぃっく、元気になって…、あきらめない…で…えっ…」

条件付か。
そうだな、どれもこれもあきらめられないな。大切なものが私にはある。
そういうわけだ、アンドレ。早く会いに来てくれないか。

「絶対にお幸せになってください、オスカルさま」
幾分落ち着いたロザリーが、ようやくまともにしゃべれるようになった。ありがとう、おまえもだぞ。
「勿論」
「ただし、アンドレには下剤でも盛ってやります」
      
アンドレ、気をつけろ。ロザリーは多分…本気だ。

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