14.諺

2017/09/03(日) 暁シリーズ
1789年7月23日

サン・クレール邸に急いで戻ってみたが、アンドレの姿はなかった。まさか、本当に出て行ってしまった?そんなことはあり得ないとは思うが、今朝のわたしは本当に酷かったから、自己嫌悪極まりない。それに、出歩くにしても この暑さの中、今のアンドレの体力では半日も保つまい。

アンドレを見つけられなかった私は軍務に戻ることをあきらめ、そのまま邸内で彼が戻るのを待つことに決めた。そこで私に付いていてくれているアランとピエールを解放してやるためホールへ戻る階段を下りると、フランソワが片松葉をついて出てきたところだった。 元班長に小突かれて何やら言い返していたが、私を見て急いで駆け寄って来る。片足でもなかなかすばしっこい。「隊長、預かりものです」
手渡された紙片は、細い蛇腹状に折り畳んだ跡があった。折れ筋に沿って、見慣れた文字がやや収まり悪く並ぶ。インクが右に向かって滑った跡が所々あった。文字が重ならないように一文字一文字指で間隔を確認しながら折れ筋を頼りに書いたのだろう。少々崩れていても、アンドレの力強く流麗な筆跡は一目でわかった。


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イニシャルの後に書かれた記号は、わたしとアンドレの間で子どものころから使っていた暗号で、キスとハグを送るという意味だ。使用人としての仕事を与えられるようになったアンドレが常時わたしの相手をしてくれなくなった時、わたしは寂しさのあまりよく苛立った。

そんなわたしにアンドレが時々投げ文を投げて寄越すようになった。わたしたちは手短に交信するために、さまざまな暗号を開発するのに夢中になった時期があった。

ホールの簡易応接セットに腰を降ろし、もう一度短い文面を食い入るように見直した。二三度見直してようやく意味が頭に浸透した。父の意図は何だろう。わたしのことで王室から処罰があろうがなかろうが、自らの信念を曲げる父ではない。

同時に、怒りの矛先を間違える父でもない。もし、王家に忠誠を誓う家臣として、わたしの造反を捨て置くことができないと言うのなら、直接わたしを呼び出すはずだ。わたしが逃げ隠れしないことも知っている父が、アンドレを人質にわたしを呼び出す必要はない。

では、アンドレを呼び出す父の目的は何だ?今すぐにでも馬を駆ってヴェルサイユに向かいたい衝動が沸き上がる。落ち着かなければ。

わたしのいない時間帯を狙ってシャルルを寄越した?それとも偶然か?後先考えずに行動に移す血の気の多さを持つ父ではあるが、曲がりなりにも将軍だ。策士の一面も併せ持つ。

我が家の諜報員を使って、わたしの状況については全て把握しているはずだ。アンドレの負傷も、その経緯についても。だからこそ何かある。

父の意図は読めないが、傷ついたアンドレに危害を加えたり利用したりするなど、卑劣な手段に手を染めることは父のプライドが許さないだろう。それにアンドレの勘。これには何度も助けられたことがある。理屈抜きで信用できる。アンドレがそう感じたのなら…。わたしの理性は過度な心配をせずに待て、と結論づける。

けれど、気もちはアンドレを追いたくて堪らない。たった数行の短い文面から伝わる彼の、思いやりにわたしの胸の奥がじんじんと疼いた。わたしが投げつけた酷い拒絶の言葉の、その裏だけを彼は見ていたのだ。今すぐ後を追って、許しを請いたい。

あの夜と同じだ。熱く突き上げるものにただ身を委ね、決して告げまいと決心していた思いを開放したあの夜と。

告げてしまえばもうあと戻りはできない。おまえが世間が与える罪びとという名札を両手を伸ばして受け取ることも、微笑すら浮かべて手に届くはずの良識的な幸せを手放すことも、わたしは知っていた。

だから、わたしはたとえ心が壊れても愛の言葉を閉じ込めておく覚悟だった。あの夜までは。けれど、あの夜は真実を封じ込めてしまうことこそが罪だった。

何かが起きている。。父の目的がなんであれ、アンドレの身はおそらく丁重に扱われるだろう。わたしはただここで待てば良い。けれど、わたしの中で、あの夜と同じ熱いほとばしりが生まれ出ようとしている。それに抵抗するよりも、流れに乗って御するより他のない激しいものが。彼に会いたい、今すぐに。

「隊長…」
顔を上げると、心配そうに身を傾げてわたしを覗き込むフランソワがいた。その後ろに立つアランとピエールも思案気にわたしを見ている。
「大丈夫だ、フランソワ。アラン、ピエール、済まなかったな。今日はもう軍務には戻らないから、おまえ達も自由にしろ」

アランが近づいた。
「隊長が今日はもうどこにも出歩かないで休まれるなら、俺たちもそうさせてもらいますがね、そうでないなら隊長から目を離すわけにはいきませんね、窮屈でしょうがね」

ピエールもめずらしく食い下がる。
「昨日も女神の血を飲めば不老不死になると信じている気狂いに切りつけられそうになったじゃないですか!その前はどこの一味かわからない黒装束の一団に、馬車に押し込められそうになったんですよねっ」

アランがピエールを押しのけ、言葉の後を引き継ぐ。
「隊長の姿を見ればジャーリストどもが寄って来る。俺達は非番の日を繰り合わせて隊長についているんです。軍務とは関係ない。今、隊長は一人でパリを出歩けるような人ではないのはわかっていらっしゃるでしょう!それに…」

急にアランが言いよどんだ。眉間に皺をよせ、一寸考えたようだが、結局一気に言い切った。
「誰かが隊長を見ていて、隊長が倒れたりしたら、すかさず担いで戻らんじゃいかんでしょうが!隊長を欲しがる輩に奪われる前に!」

「やれやれ、わたしはまるで歩く疫害だな」
わたしはは苦笑した。
「アラン…、おまえ達には感謝している。後ろめたそうな顔をするな。言いたいことを言っ たからと言って、取って食ったりはしない」
私の病を知っていることを後ろめたく思っています、と顔に書いてある。この男は知れば知るほど奥が深い。内に宿る無垢で繊細な感性は滅多に表に出ることはなく、とんでもなくシャイなくせに一生懸命ワルな仮面でそれを隠す。可愛いなどと言ったら、気の毒だから言わないが。

ふん、といった様相で私を睨んでいた視線を外すと、アランは続けた。殆ど言い訳じみているが。
「とにかく、目ェ離すわけにはいかんのです。何か起きちまったら悔やんでも悔やみきれないっす!」
心配してくれているのだが、口ぶりは駄々っ子だ。もっとも今の私も手のつけられない暴れ馬とそう変わりはない。

「では、ついて来い。その代わり、馬鹿を見るぞ」
私は立ち上がり、小僧っ子のような目をむくアランを遮った。ぱっとアランの表情が晴れる。そんなについて来たいのか。大いに気の毒な気がしたが、悪いなアラン、手垢にまみれてはいるが、恋は盲目って諺を知っているだろう?

アンドレ、迎えに行く。無謀だと怒られるだろうが知った事か。おまえと違ってわたしは待つ訓練ができていない。誰かさんが私を甘やかしたせいだから諦めろ。

わたしは嬉々としてついて来るアランとピエールを振り返った。 それなら、地獄の3丁目までとことん付き合っててもらおうか。同じ馬鹿を見るのなら、中途半端では健康に悪いだろう。

「ただついてくるだけでは面白くないな。どうだ、外で張っている記者連中をまいてやろう。乗るか?」
そう彼らに問いかけると、益々表情が生き生きとしてくる。後ろで聞いているフランソワまでが身を乗り出した。・・・全員、何か勘違いをしているな。まあ、いい。どうせついて来るのなら、気遣いは無用だ。

「面白いっすね。作戦は?」
「考えている暇はないから、シンプルにいくぞ」
「おっ、それなら得意っす」
「いいな~」

遊び相手を見つけたように元気になる大きな餓鬼どもに、とっさに思いついた行動の指示を飛ばした。果たして全員が固まった。
「止めるか?無理はしなくていいぞ」
「止めませんよ、ね、アラン!」
「お、おまえは良くてもなあ!冗談抜きでやるんですね、隊長?」
「おまえ次第だアラン。私は行くぞ、時間が惜しい」
「わ…分かりました隊長。あなたをそこまで駆り立てることなら、やるだけの価値 も理由もあるはずだ」

アランは重大な任務を言い渡されかのようにごくりと生唾を飲み込んだ。違うぞアラン。わたしはただ恋に溺れているだけだ。気の毒なので、一応忠告しておくことにした。

「誰がそんなことを言った?」
「え?な、何か危険な陰謀でも発覚したんじゃないんっすか?」
「陰謀?知らんな、私はただ私の男が恋しくて迎えに行くだけだ」
そう言い放ち、わたしは軍服の上着を脱ぐと、突っ立っているフランソワに投げた。
「あ、な~んだ、ほっとし・・・、 えええええっ?」
危なっかしく上着を受け取ると、幾分頬を赤らめたフランソワが、一気に真っ赤になって叫んだ。遅いぞフランソワ。

「ア、アンドレのやつ~っ!やっぱりラブレターだったんじゃないか~っ!事務連絡なんて大嘘つき!」
「ふっふ、強烈なやつだったぞ。フランソワ、わめいている間にさっさと化粧部屋へ行って頼んだものを借りて来い。アラン、まだリタイヤする気がないなら先に 駐屯所へ行って私の馬に鞍を付けさせておけ。私の許可を得ていると言えばいい。 ピエールとすぐに追いつく」

ブラウス一枚になって、階段を駆け上がりながらもう一度振り返ると、唖然としたアランが大きく口を開けたまま、一歩踏み出したそのままの格好で止まっていた。人の言うことは良く聞いておくものだ、アラン。馬鹿を見るぞと言ったろうが。

「くっそう~っ!おっもしれええええっ!」
彼が凝固していたのはほんの僅かの間だけだった。雄叫びを一つ残して、アランは玄関口へ向かって駆け出して行った。そうか、面白いか、それはよかった。
アラン、おまえはつくづく上官に恵まれない星の下に生まれたのだな。まあ、これだけハズレが続けば次は当たりが来ると思って今はおまえも諦めろ。アンドレ、今行く。

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愉快でなかったと言えば嘘になる。今まで、お世辞でも品行を褒められたことなどなかったが、ここまでやったのは初めてだ。やれと言う方も酔狂だが、やれと言われてやっちまう方もかなりイカレている。ま、どっちも同じ病にかかっているんだからこんなもんか。

言われた通り、パリ駐屯所へ先に着き、隊長の白馬を出した。いつ見ても毛艶も筋肉の発達具合もいい馬だ。その辺を歩いている人間よりよっっぽどいいもん食っているように見える。少し興奮しているが無理も無い。鞍を着けるのはバスティーユ以来だろう。

そうこうしているうちに俺らと同じ国民衛兵隊の軍服を身に着けた隊長が、荷物を抱えたピエールと到着した。 ピエールから荷物を受け取る。マジかよ本当に。往生際悪くぐずぐずと荷を開けないでいる俺に、隊長は口の端で笑って見せ、興奮して蹄で地面を引っ掻く仕草を繰り返す馬の馬首を撫でて落ち着かせると、ひらりとその背に跨った。

「一回りして来るから、その間に支度しておけ」
いつもの、自信に満ちた笑みを残して、隊長はゆっくりと表門から出ていった。畜生、やけに色っぽく見えるのは俺のヒガミか。へたっぴいな手綱さばきのピエールがよたよたと続く。すると路地からいかにも尾行中といった人影がひとつ、ふたつと増える。互いにけん制し合いながら、ご苦労なことだ。

俺は、門の中に戻って引きつりながら支度した。 暫く近隣を馬で回って来た隊長と入れ替わると、俺は隊長の白馬を駆ってパリ中を疾走した。フランソワのやつが借りてきた金髪の鬘をかぶって。鬘にはご丁寧にもピンクのリボンが編込まれていて、それが顔の前をひらひらしやがってまことに邪魔だった。

「人通りの多い場所では絶対に立ち止まるな。不気味すぎ…ぷっ!あーっはっはっはっ !」
「た、隊長がやれと言ったんですよ!」
「くっくっくっ…、は、す、すまん。な…に、疾走していれば十分私に見える・・・・・・と 思うか?ピエール?」
「ひゃっ、ひゃっ、ひ~~っ」
「そうか、怪しいか。心配するな、一生このまま過ごせというわけではない。しばし 誤魔化せればそれでいいのだ。なるだけ注目を集めろ」
「そ、それはいいっすけどね、隊長、俺が囮になっている間、ついているのはピエ ールだけになっちまいますよ。それにどこへ行くんですか?」

隊長は、俺に紙切れを手渡した。おいおい、これは例の強烈なラブレターじゃないか、いいのか隊長?
「仕方ない。体格からしてもピエールを囮にした方がそれらしいが、私の馬はそう簡単に操 れないだろう。おまえも落馬せんよう気をつけろ。結構気が荒いし、人を選ぶ馬 だからな」
「へい、へい」
「もし、捕まったら適当に…そうだな、オスカル・フランソワが乗り移ったとか、女神の姿になって注目されたかったとか何とか気がふれた振りをして大人しく 抵抗しないでどこにでもぶち込まれておけ。後で必ず出してやるから、天から 降った休暇と思ってゆっくりしろ」
「へ…い」

でもって、いやあ、走った走った。確かに気の荒そうな馬だったが、スタミナのある馬だった。最初こそは自分の情けねえ姿が恥ずかしかったが、その内パリ中で人が騒ぎ出したのを引っ掻き回すのが愉快になって調子に乗りすぎた。

途中で何とユランに捕まった。真面目なあいつは隊長もどきのイカレタ奴が俺だとわかると、世も末のような情けねえ顔をしやがったが、俺にとっちゃ渡りに船だった。訳を話して奴にモノホンの隊長の後を追わせた。やっぱりピエールなんかが一人ついていたって、何かの時には対処しきれんだろう。アンドレのヤローの行先を知るために奴が書いたラブレターとやらを見たわけだが、どこがが強烈なのかさっぱりわからなかっら。隊長が男に免疫がないのは確実だ。

時々、リュクサンブール公園やらブーローニュの森に紛れ込んで馬を休ませてやったが、持ち主以上に威勢のいい馬は、俺を気に入ったか嬉々として町中を走り回った。持ち主じゃなくて馬に好かれるってのも何だか空しいものがある。

夏の遅い日暮れがパリを薄闇に包み込む頃になって茶番劇はようやく幕を降ろした。 隊長が言った通り、俺は取り押さえられ逮捕された。そして俺は言われたように3日間の休暇にありついた。と、言っておこう。

隊長、隊長の言うところのすぐってえのはちっと長すぎやしませんかね。あんなに腹の減った3日間はなかった。 アンドレ、くそったれ。覚えていやがれ。

~to be continued~

2004.8.27 uploaded
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