10.家路

2017/09/03(日) 暁シリーズ
1789年7月23日

思いがけない人物が俺を訪ねてきたのはその日の昼前だった。その日も医師宅を数件尋ねる予定で仕度していたが、オスカルとのやり取りの後、俺は後悔に苛まれる余り、どう時間を過ごしていたのか、腑抜けのようにただ座り込んでいた。そうでなければ、俺は目的の場所にたどり着こうと手探りで路上を進んでいたはずの頃だ。

よく知ってる足音だった。少々蟹股なので、靴の外側の踵を引きずる特徴のある歩き方。そのお陰でいびつにすり減ってしまった靴底が独特の摩擦音を出す。ぼうっと輪郭が見えた。ずんぐりとした広い肩幅と、肩にかかる髪を、簡単に後ろでひと括りに縛り、頭の形はやや角ばっている。だがそんなことよりも、その人物にこの場所で会うことが衝撃的だった。

「よ、調子はどうだ?思ったより元気そうだな。死にかけていると聞いたんだが」
間違いなくジャルジェ家の御者頭で調教係のシャルルだった。声には懐かしそうな親しみがこもっていた。
「シャルル…!」
「もう出歩いているのか。凄いな。顔色は…ぱっとしないが」
「よく、此処が…」
「なに、簡単さ。オスカルさまの動向は今や何処にいたってすぐわかる」

一回り年上の同僚。彼と俺はほぼ同時期にジャルジェ家に来た。馬丁として下積み生活を始めたばかりの彼は、毎日生傷だらけになっていた俺をよく構った。
『おまえと一緒に飲めるようになる頃は、おまえも俺もこんな傷とはおさらばだ、なあ坊主』
そう言って、気の短い先輩にムチでつけられた傷のある腕をひらひらさせて笑っていた。彼の方が何年も先に生傷からは卒業した。俺は、今だにこんなへまをしている。

「座ってくれ、暑かっただろう」
サン・クレール邸入り口を入ってすぐのホール端に置いてあるテーブルに彼を招いた。邸内で一番風通しが良い場所だ。手探りで椅子の背を探し当てて薦めると、シャルルは俺の負傷していない方の肩を黙ってポンポンと叩いた。肯定の意味で軽く頷いて見せると、シャルルは俺の肩を静かに抱き寄せて背を叩いた。

「よく、生きていた。上等だ」
彼は俺の目のことには触れずに、それだけを言った。懐かしさで胸が一杯になる。オスカルがオスカルであるためにどうしても譲れない行動の結果、彼女と一緒にジャルジェ家を出たことに後悔はないが、残されたオスカルの両親やおばあちゃんの心情を思うと心が二つに引き裂かれそうになる。

それでも、旦那様や奥様は、同じ道を歩まなかった娘の生き方をどこか一部でも認めていらっしゃるような、一縷の救いを感じるが、おばあちゃんを思うと、どうしようもなくやりきれなくなってしまう。おばあちゃんはオスカルの内なる声を理解するには年を取りすぎている。どんなにかショックだったことだろう。どんなに理解に苦しんだだろう。

視力を失いつつあった俺は自分のことだけで精いっぱいだった。おばあちゃんが、幾らかでもオスカルを理解できるよう、オスカルの旅立ちに耐えられるよう、オスカルの中で起きている変化を、納得がいくまで時間をかけて話してやることをしないでしまった。俺自身が考えていることを話してもやらなかった。せめてもう少し一緒に時間を過ごせば良かった。いずれはこうなることなど、わかっていたのに。あまりの突然に訪れた別れにどんなにが心を痛めたことだろう。ただ、そのことが悔やまれる。

ジャルジェ家を出ても、主家への敬愛は変わらない。そのジャルジェ家から訪ねて来てくれたシャルルの変わらない温かさは、俺の心の重しを幾分和らげてくれた。少なくても彼はオスカルの選択を受け入れているのだ。それは聞かなくても彼の雰囲気がそう言っている。

腰を下ろすと、シャルルが先に口火を切った。
「実はな、オスカルさまの動向は、旦那様の私設諜報部員が調べているから、情報は新聞なんかよりよっぽど正確に伝わってるんだ」
心臓がゴトリと音を立てて、裏返ったような気がした。さっと体全体の血が引けていった。

「……」
「おい、そんなに怖い顔をするなよ。旦那様が奥様の為に調べさせている、と言えば、安心するか?」
「本当にそれだけか?」
「心配か。まあ、無理もない。会えばわかるよ。自分で確かめろ」
「会う?」
「そうだ、今日はおまえを迎えに来た。旦那様からのお呼び出しだ」

聞き間違いかと思い、説明を求めようとしたが、何をどう聞いてよいやらもわからなかった。旦那様が俺を?オスカルではなく俺を呼びつけて一体何をなさろうと言うのだろう。皆目見当がつかない。一介の使用人など今更何の利用価値がある?

相次ぐ王族の亡命、無法状態と化したパリ。オスカルの造反で厳罰に処されていなければ、旦那様は最も頼りになる将軍として国王から召集がかかっているはずだ。俺を切り捨てるにしたってその手間の方が惜しいだろう。オスカルを呼び出す餌としての俺なら利用価値もあるだろうが、旦那様がそんな姑息な手段に出るとは思えなかったし、オスカルにしたって逃げ隠れするような人間ではない。オスカルと相対したければ、ただ一言来いと言うだけで事足りる。

「大丈夫か?聞こえたか?」
「一体、どういうことだ?何故俺を…」
「来ればわかる。一言で説明できるほど、俺は賢くないからな。さあ、行こう」

何度尋ねても、シャルルは来ればわかるを繰り返すだけだった。彼の物腰や、口調から、下手な説明はしたくないと言う意図が感じられた。それは、どちらかと言えば思いやりと感じられたので、俺は彼を信じることにした。

「わかった、行くよ」
「よし。そのままの恰好でいいのか?」
「いいも悪いも、俺は身一つしかないんだ」
「ひでえな」
「そうだろうな。見えなくて幸いだ」

俺が腹を決めたことを確認すると、シャルルが立ち上がった。俺も立ち上がり、後をついて行こうとして、重要なことを思い出した。

オスカル。

今朝、あんな風に口論になってしまったが、あれが彼女の本心でないことは分かっている。オスカルが戻って来た時に俺の姿が見えなければどんなに心配するだろう。只でさえ気持ちも体も疲弊し切っているのに、俺が言葉通りに受け取って出て行ったなどと思わせてしまっては傷口に塩をすり込むようなものだ。

「ちょっと待っててくれ、シャルル」
「お、やっぱり着替えるか。その方がいい。マルグリットがおまえのその姿を見たら縄と麻布持って追いかけてくるぞ」
「それは非常に怖いが、そうじゃないんだ。その旦那様の所用は長くかかるのか?」
「それは…何とも言えんな」
「オスカルに…伝言を残して来る。心配するなと言っても心配するだろうけど、無いよりはいいだろう。シャルル、旦那様はその後どのような扱いを受けている?あいつが気になっていないはずはないから、わかるのであれば一言それも書いておいてやりたい」

「相変わらずだな。まあ、そうでなきゃ困るが。俺がわかる範囲などたかが知れているが、知る限りじゃ旦那様はあの後宮廷にずっと詰めていらっしゃる。お咎めは無かったようだ。アルトワ伯を始め国王夫妻の側近が次々亡命して宮廷側に残った軍もいつ寝返るかわからない状態だ。感情的になって処分するよりも、味方は少しでも傍に残しておきたいと言うのが本音だろう。国王陛下はオスカル様も旦那様も双方を良く知っていらっしゃるから、オスカル様の行動に旦那様が関与されていないことは御承知なんだろう。と、まあここは俺の推測だがね」

旦那様にお咎めはなかった。それだけで充分だ。良かった。オスカルに一刻も早く知らせてやりたかった。おばあちゃんのことが、ちらっ頭を掠めた。それは、これから会えばいい。ヤキをくれるだけの元気を保っていてくれ、と俺は短い祈り捧げた。

「伝言を書くなら、書いてやるよ。なあに、わかんねえ綴りさえ教えてくれりゃ、俺だってその位は何とかなる」
「それじゃ、まるで俺が誘拐されたみたいじゃないか。大丈夫だ、字は書ける。読めないけどね」
「おっと、失敬、失敬」

俺は急いで部屋に戻り、文をしたためた。判読できる程度には書けているだろう。人目に触れることもあろうかと、最後に一言だけ今朝の詫びを入れて。ロザリーは昨日から職場へ戻ったから、フランソワに託すことにした。ここの屋敷のメイドのサリーさんは、少々物忘れをするのだ。

「へえ、ラブレターにしては薄いね」
「残念ながら、事務連絡。戻ったら必ず渡してくれ。ラブレターなら豪華本革装丁全二十巻くらいで出版しないとな。じゃあ、出かけて来るから頼む」
「了解。アンドレ…戻って来ないなんてことはないよね」
フランソワに何を言った訳ではなかったが、俺の様子から何か不安を覚えたのだろうか。何も知らない彼にすら伝わってしまうほど、不安なのは俺なのだ。
「必ず戻るよ」
俺は、フランソワを通り越し、自分に言い聞かせていた。

市門は破壊し尽されたと聞いた。俺の目にははっきりとは映らなかったが、薄らと見える建物のの陰は、門を守るように両脇に建っているはずのドーム型の小さな屋根を欠いているようだった。シャルルは俺の体を気遣って、いつもよりゆっくりと馬車を走らせてくれていたが、揺れが酷い。道路には瓦礫が散乱していることが察せられた。

市門を通過する時にあるはずの積荷の検問も無かった。門の外では、昼間から屋外の掘っ立て小屋に人が集って飲んで騒いでいる。以前は少なくとも平日の昼間はもっと静かだったと思う。

たった十日ほどで、通い慣れた経路の印象がすっかり変わって、一種退廃的な喧騒があたりを支配していた。印象は変わっても、俺は勾配の一つ一つ、カーブの強さ、徐行すべき四つ角など、ジャルジェ家に通じる街道の表情を全て体で覚えていた。慣れぬ初めての場所を、手探りで移動することにこの数日間心を砕いていたこともあって、あたかも目で見ているように周囲の状況がわかる道のりを辿るうちに、胸のうちに言い知れぬ安堵が広がった。

これからジャルジェ家で起きることに対して、漠然とした不安は消えることは無かったけれど、頭の片隅で、なぜか絶対に大丈夫という確信めいた存在がどん、と居座り、誰かに守られているような気がした。

「お~い、連れて来たぞ。何とかしてやってくれ、このボロボロ男を」
シャルルは俺を厨房へ通ずる裏口から、屋敷の中へひっぱり込んだ。昼時をまわり、給仕を終えた使用人が食事をとる時間だった。大勢の人の気配がした。
裏口から一歩足を踏み入れる時、流石に俺は躊躇した。懐かしい場所。懐かしがるほど、長く離れていたわけではないのに、胸が詰まりそうだった。

此処は、この屋敷はオスカルの笑いと涙が刻み込まれている。どの空間を切り取ってもオスカルの名残が満ち満ちている。オスカルのいたところ。そこは家族を持たない俺にとっても、オスカルと長い時を刻んだ唯一、家と呼べる場所だった。

感慨にゆっくり浸っていることは出来なかった。小さな明り取りの窓しかない通路は殆ど暗闇に近かったが、重そうな足音とスカートをゆする音が聞こえたと同時に、もっと目の前が暗くなった。シャルルの一言で飛び出してきた人影が俺の上に覆いかぶさっていた。

「アンドレ!アンドレ!よく生きていてくれたねえ!でも酷い有様だ。こんなに包帯だらけで、痛いかい?痛いかい?可愛そうに!」
「や、やあ、マルグリット。その目方をかけている手をどかしてくれたら、多分痛くないと思うんだけど」
俺は床の上に押し倒される格好で、腹の上にメイド頭のマルグリットを乗せていた。マルグリットは、おばあちゃんの次に長くジャルジェ家に勤めているメイドで、おばあちゃんが体調を崩して起き上がれなくなってからは、ジャルジェ家の家政を取りまとめている女丈夫だ。

そのマルグリットが、助走つきで俺にに抱きついたのを、受止めきれなかった。最も、傷を負っていなくても受止める自信はない。彼女は巨体なうえ今やジャルジェ家一パワフルだ。
「皆心配していたんだよ。東の奥様のチャペルに毎日ろうそくを絶やさないように灯して、皆で交代でお祈りしたんだよ。あんたをお召しにならないでくださいって。あんたが酷い傷を負った知らせがすぐ届いたからね。ああ、本当にこうして顔を見るまで生きた心地がしなかったよ」

マルグリットは俺の上にに乗ったまま、泣き声でまくし立て、ぼたぼたと涙を落と
した。彼女のストレートな物言いは素直に嬉しかった。だがこのままではせっかく生きて戻ったのに窒息死するのは時間の問題・・・な気がする。
「そろそろ勘弁してやれよ、かあちゃん」
シャルルが、巨体を震わせて泣いているマルグリットに手をかけて、彼女を俺から剥がしてくれた。育ての母のようなマルグリットに抱擁を返す。が、それも束の間。

どっと押し寄せる人の気配と大勢の足音。口々に俺の名を呼ぶ聞き覚え懐かしい仕事仲間の声が重なり合う。差し伸べられる手。抱擁と頬に与えられる接吻。思いもかけない温かい歓迎に、熱いものが俺の目頭に溢れ出た。

「ジャック、湯が足りないよ!アンナ!ぼやぼや突っ立っていないで新しい包帯と消毒液を持っておいで!アンドレ、あんたはさっさとそのおんボロシャツをお脱ぎ!肩の縫い目が半分も破れているじゃないか。どれ、手伝ってやるよ、きつくて脱ぎにくいんだろ。ジャンヌ、アンドレの部屋へ行って何か着る物を取って来ておやり。いいだろアンドレ」

良いも悪いも…。マルグリットはよく口も動くが、手は口より先に動く。俺は、されるがままに世話を焼かれるしかなかった。悪戯三昧後、こっそり戻って来た泥んこの子供のよう洗われるのもバツが悪かったが、もっと閉口したのは、半裸にされて洗濯場の床でタライに座らされ、やれ洗髪だの何だのとマルグリットに磨き上げられようとする俺の周りを、ぐるりと取り囲むかつての同僚達がいたこと。

そこにはジャルジェ家の使用人がほぼ全員勢揃いしていた。一通りの再会の拶を交わした後も、彼らは立ち去ろうとせず、子供のように世話を焼かれる俺の様子を見守っていた。

「衛兵隊の仲間が、古着屋で適当に見繕って来てくれたんだけど、俺の大きさの衣類はなかなか無いんだってさ、あ、痛いって」
「我慢をし。ちゃんと綺麗にして身なりを整えないと、マロンには会わせられない
よ。奥様だって心配なさるだろ。それにしても…酷い傷だねえ、あんたよくこれで…」
マルグリットは一時も動かせている手を休めずに、洟をすすった。

こんなに涙もろい彼女は初めて見た。子供の頃から何かと母親のように面倒を見てくれたマルグリットは、おばあちゃんとは戦友と言った間柄で、おばあちゃんと対等に張り合うくらいだから、なかなかの豪傑ツワモノでもあるのだ。泣いている所なんか、見たことはなかった。俺が知らないだけなのかも知れないが。

母を亡くしたばかりの年端もいかない子供にあんたは厳しすぎる、と俺をめぐっておばあちゃんと衝突することがしばしばあった。その都度、俺は間に入ってほとほと困ってしまったのだが、それも今では懐かしい一コマだ。ぶつかり合うとは言え、決して二人は仲が悪かったわけではなく、むしろお互いに歯に絹を着せずに本音でやり合える貴重な相棒同士だった。

そして立場上、俺に情をかけるより厳しくせざるを得ない自分に代わって、何かと俺を構うマルグリットに、おばあちゃんが内心感謝していたのを、俺は知っている。大人の言いつけを守らなかった結果として、オスカルと二人、泥だらけになった時など、丁度今の様におばあちゃんに見つからないように証拠を隠滅してくれたこともしばしばだった。勿論おばあちゃんにはお見通しだったのだが、知らないことにすれば厳しく叱り飛ばす必要もなく、ほっと胸をなでおろしたこともあったのだろう。

おばあちゃんは、俺を厳しく扱うたびに、本当は心の中で涙を流していた。
言いつけ通り、オスカルを夕食までに屋敷に連れ戻せなかったり、禁止されている遊びからオスカルの興味をそらすこと(これは簡単そうで非常に困難かつ成功率の低いミッションであることを言い添えておきたい。勿論今でも)に失敗したりすると、俺は夕食抜きの憂き目に遭うのだが、後でこっそりマルグリットが夜食を食べさせてくれた。おばあちゃんはそれを前提に俺に罰をくれていた。いいコンビだった。

最も成人してからのおばあちゃんのヤキは容赦なかったが。

衛生兵として出兵したことのあるピエールが、一回りも細く皺の深くなった指で、現役の医師を凌ぐほどのかくしゃくと自信に満た手つきで傷の処置をしてくれた。長年の門番としての功労に報いる形で、天涯孤独の身の上の小さな老人は、使用人棟の一角で隠居することを許されている。いまでもちょっとした事故などあれば、頼りにされている、心優しい皺だらけの笑顔が地顔のような老人だ。初めて会った時からおじいさんだったような気がする。彼は呼ばれてすぐに駆けつけてくれたのだった。

よってたかって世話を焼かれ、身づくろいを終えると、食堂に引っ張っていかれた。申し訳ないことに、その頃までには衆目を集めていることへの気恥ずかしさよりも、皆の気持ちが嬉しくて胸が一杯になってしまい、豪華ではないが俺の好みを知った心づくしの料理が入る隙間はほんの僅かしか残っていなかった。そんな俺を見て、マルグリットをはじめ女性陣が心配してくれる。

「もっとしっかりお上がりよ。あんたを連れて来るって聞いてから、昨日から皆で準備したんだよ。好きだったろ七面鳥のパイ。それからカリフラワーのホワイトソース」
「どうしたの?元気そうにして見せているだけで、本当は体、辛いんじゃないの?あなたってば、食欲と好不調が直結してたものね」
「コンソメなら入るでしょ?食べられない時はこれが一番体力回復するわ。ほら、デミタスカップ一杯くらい、一口よ」

俺は、もう泣き笑いするしかなかった。人垣に囲まれて、注目を浴びながら大食いしろったって、健康な胃袋だって縮んでしまうよ。
屋敷中の使用人がほぼ総勢で、いつまでも油を売っていることが気になったが、彼らにも俺から離れがたい理由が他にもあったのだった。

「アンドレ、オスカルさまは?オスカルさまはどうなさっているの?」
「あなたがそんな様子では、オスカルさまのお世話は誰が?お髪やお肌のお手入れもちゃんとできているのかしら。お疲れの時は足湯を使って特別なやり方でマッ-ジして差し上げるのだけど、勿論誰もそんなことは知らないわよね」
質問攻めにあった。みなオスカルが心配で心配でたまらなかったのだ。

オスカル付きの侍女、マルタは特に心配そうに俺に聞いた。
「お体の具合は、どうなの?アンドレ」
マルタは知っているのだろうか。旦那さまがオスカルの動向を調べているのなら、もう事実にたどり着いた可能性はある。だが、使用人にいちいちそれを漏らしたりはしないはず。知っているとすれば奥様だけだ。俺は慎重に言葉を選んだ。

「とても…疲れているよ。でも気丈に頑張っている」
元気だと言えば良かったのだろうけれど、誤魔化す気分にもなれなかった。はぐらかしてしまうには、皆の、マルタのオスカルへの気遣いは真摯に深く広かった。
「お食事はちゃんとされている?十分お休みになっていらっしゃる?無理に無理を重ねていらしてるのではなくて?お痩せになったなんてことはない?顔色は…」

マルタはそこまで言って、はっとした様に口をつぐんだ。
「ごめ…」
「いいんだマルタ。そうだね、あまりいい状態ではないよ。弱い者に頼られると自分のことなど忘れてしまうやつだから、見ていて辛い」
「見て…って…アンドレ」
「ああ、比喩的にね。で、そっちの方は何時、バレた?」
「あ、それは…」

マルタは、触れてはいけないことに触れてしまった時のような、しまったという反応を見せた。別に俺は深く追求しようとする意図は無かったし、俺の口ぶりでそれはわかるはずなのだが。

困っているマルタに助け船を出したのは、シャルルだった。
「話は尽きないが、なあ。旦那様がお待ちだから、後にしようぜ。オスカルさまの様子は皆知りたがっているから、後でまたゆっくり聞かせてくれや」
そう、皆が寄せてくれる温かさからは、嘘も偽りも感じられないのだが、何か俺に知られては困ると言いた気な落ち着きの無さを最初から感じていたのだ。シャルルにしても、訪問の目的をはっきりとは言えない節があったし、今の遮り方にも同じ雰囲気があった。

旦那様に会えば、きっとはっきりするに違いない。皆の口から言う訳には行かないことがあるのだろう。俺は頷いて、もう聞かないから心配しないよう、テーブルから立ち上がることで、皆に身振りで応えた。
「ご馳走さま。久しぶりで食事らしい食事をしたような気がする。ありがとう」

口々に、後で必ずオスカルの様子をもっと教えてくれるように懇願する侍女らに見送られて、シャルルに背を押されて食堂を出た。
「大丈夫だよ、屋敷内は自由に歩けるから」
「おうさ。だが、手順があるんだ。旦那様のところへ連れて行く前に寄らなきゃならん所がある」
「怖いな。何が始まるんだ?」
「怖かないさ。ただばあやさんに先に会ってからにしろ、と言うだけだ」
「充分怖いじゃないか。でもそれなら尚更一人で行けるって」
「まあ、まあ」

シャルルはかまわず俺を引っ張ってずんずん進んだ。そして彼が俺を導いたのは、おばあちゃんの部屋がある方向とは全く違う方向だった。

         ~To be continued~

2004.7.28
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