花嫁のパパ 8 ★New★

2026/08/10(月) 18世紀パラレル


宮殿外警護を統括するオスカルよりも、近衛総司令官である将軍の方が宮殿内の噂をキャッチするのは早かった。一応コンフィデンシャルマターなのに由々しき事態である。王妃がムードンへ出向いてしまった以上、下手に動くことができない将軍はジリジリしながら職務に励んでいた。

ほどなく、その将軍の下に、王妃と病状が快方に向かった王太子が宮殿に戻ると連絡が届いた。待っていました!とばかりに近衛総司令官である将軍は自ら随伴警護の指揮を執り、ご一行様は無事宮殿にお帰りあそばした。一仕事終えた将軍は、ホクホクしながら自邸に戻った。

めでたい。実にめでたい。噂も困るが、万が一のことでもあれば、娘の結婚も流れてしまうと危ぶんでいただけに、王太子殿下の御快癒は将軍を大いに安心させた。

有り難い、助かった。
おっと、失敬。

次代の国王陛下であらせられるお方だ。ご快復は王国にとって何よりの慶事。
済みません、王妃様。

ちょっと反省もした将軍であった。

これで、近いうちにオスカルに召喚がかかるだろう。そろそろ妻に自慢しに行ってもいい頃合いだが、その前に婿に警告を入れておくか。暴風雨に備えろとな。よし、今夜あたり…

と、今夜も美味い酒が飲めることを期待して、将軍は従者のラヴァルに手伝わせながら部屋着に着替えていた。

そこへトレードマークの深い笑いじわを一層濃く刻んだ執事デュポールが、書簡を載せた銀盆を手に訪れた。爺様には珍しく妙に深刻な雰囲気である。笑いじわは笑っていなかった。

「ん?どうしたデュポール」
「実は、アンドレがこんなものを」
「何だ」
「辞表でございます」

トルソーに軍服をかけていたラヴァルが慌ただしく振り向いた。最古参の上級使用人が、感情を外に表すのは珍しい。ジャルジェ家の御神酒徳利と称される片割れが辞表を提出する。この家族の力学を誰よりも理解している二人の背筋に、要石が抜け落ちる予感が通り抜けた。

「ふむ」

将軍の口端が片側だけ上がった。

婿よ、辞表とは律儀なことを。何も家内で形式張らぬとも良いのだぞ。そうか、おまえもオスカル召還が近いと察して動き出したか。抜け目のない奴め。

変化は少しずつ、を狙っておるのか?特に指示したわけではないが、冷静沈着なはずの執事と従者のうろたえようからすると賢明な判断だ。突然すべて発表すれば、全員がドミノ倒しに卒倒しかねん。ジャルジェ家の秩序崩壊だ。まあ、見てみたい気もするがな。

オスカルの補佐を通して、婿殿はなかなかどうして組織調整力を鍛えられたようだ。わりと頼もしいではないか、うん。任せておこう。

まあ、何だ。よく考えれば、オスカルが家督を継ぐ以上、指揮官タイプの夫より女房役の務まる男を添えるべきなのは当然だった。さもなければ、主導権争いの挙げ句、婚礼から三日で我が家は廃墟だ。

それに気づかずジェローデルと縁組みを進めてしまったとは。危ないところだった。オスカル、最終的に絶妙な縁組にたどり着けたのは、儂の柔軟な発想のおかげだぞ。わかっておるか?

使用人棟の最上階で、女房役が二十五年かけて熟成されていたなぞ、誰が思いつく?儂はそれを見越して、あれをオスカルの遊び相手につけたのかもしれん。

参ったかオスカル。これぞ父の真骨頂だ!

将軍は両手を腰に当て、ふんぞり返ると豪傑笑いをかまそうとした。

「ぐわっはっは・・・」
「旦那様!受理されるのでございますか?」

見れば、まるで降伏書を差し出す敗軍司令官のように笑いじわを凍り付かせたデュポールが、鷹揚な彼らしからぬ厳しい眼光を将軍に向けていた。御神酒徳利ペアの解消は、次代のジャルジェ家存続の危機ですぞ、と言わんばかりに。

デュポールと言えば、ジャルジェ家の家格を盛り立てて来た重要人物である。その彼がむき出しにして見せる危機感に、将軍は満面の笑みを浮かべた。極上の一杯を酌み交わすより気分がいい。

ジャルジェ家運営グループの重鎮二人がこれほど婿を不可欠な存在と見なしているとは。それに退職が意識されて初めて存在感が浮上する婿のあり方も好ましい。まさに、陰から支えるアトラスではないか。

婿の受け入れがある程度難航することは想定内だったが、親戚縁者や使用人達の納得は思ったより容易に進むかも知れない。

「旦那様」

ラヴァルも執事に並び立ち、もの問いた気に将軍を見ている。アンドレなしで、どうやったらジャルジェ家の平和が保たれるのか。当主の突飛な言動を、何とか通用する一般常識内に連れ戻し、世間通りを渡らせるのか。

次代もその役割を担い続けるには、自分らは老体過ぎる。

「受理しておけ」
「えええっ?」
「ま、まさかっ!」
「長年の功労に報いてやらねばな。報償としてナンシーの葡萄荘園でもやるか」
「はああああああ?」
「重要な収入源でございますが」
「かまわん。手続きしておけ」

ジャルジェ家崩壊の予感に戦慄する二人をよそに、ジャルジェ将軍は悦に入った。

まあ、そのうちわかる。荘園をやると言っても我が家の婿。財布は同じだ、問題ない。オスカルに献身する以外野心のない男だしな。当主に据えるには頼りないが、オスカルの婿には丁度いいのだ。何というか、あのオスカルに頭が上がらない情けないところが、妙に親近感が湧く。

情けないと言えば、儂が許可したも同然なのに、未だにオスカルを口説き落として既成事実を作ろうとしないところだ。話が早く進むと言ったろうが。あれの年齢をわかっておるのか。跡取りについては、時は金なりだというのに。

仕方ない、今夜はそっちも背中を一押ししておくか。

執事と従者は、鼻歌でも歌うような足取りで書斎に引っ込んでしまった将軍を唖然と見送った。天井がたてるピシリという音を背中で受け取りながら。

しかし、情けない未来の婿は、その夜、帰っては来なかった。

***

「オスカル!よく来てくれたわ。今から衛兵隊に使いを出すところだったのよ」

飛び込みであったにもかかわらず、オスカルの謁見願いは即座に受理された。ウキウキと飛ぶように現れた王妃の顔色は、オスカルの知るそれより数段明るかった。ムードンから帰還した王太子の体調が良好なのは間違いないようだ。

「この度は、王太子殿下の御快癒と御帰還、心よりお慶び申し上げます」

逸る気持ちを抑え、オスカルは頭を垂れた。

「まあ、ありがとう、オスカル。ジョゼフは見違えるほど元気になりました。帰る早々、いつ貴女に会えるのか矢のような催促が止まらないの。近いうちに時間を作ってやってね。で、オスカル」

オスカルの挨拶が終わるのもそこそこに、嬉々として話し出した王妃だったが、久しぶりに会う気に入りの臣下を一目見て、強烈な違和感を覚えた。

何て思い詰めた表情をしているの?オスカル。可愛そうに、表に出せない恋は貴女をそれほどまでに苦しめているの?でも、大丈夫よオスカル。あなたの辛さは、私が一番良く理解しています。貴女の苦しみは今日で終わりよ。

王妃は母の顔を一旦引っ込めると、ふんわりとした威厳を載せた女王の笑みを浮かべた。

「まず、貴女に謝らないといけないわ。ムードンへ行っている間に、とんでもない噂が広がってしまって。気をつけていたのだけれど、国王陛下と私の話を誰かに聞かれてしまったのね」
「王妃様」

では、本当にただの噂か?父上がわざわざアンドレにわたしの結婚の話をしたくらいだ、それはないだろう。

底冷えのベルサイユ宮殿では、王妃の謁見の間である貴族の控え室であっても身体の芯まで冷える。それでもオスカルの掌はじわりと汗ばんだ。

「貴女らしくもない急な謁見希望の理由はそれでしょう?」

心臓がどくりと裏返る。聞くのが怖いが、何があっても結婚だけは回避せねばならない。もう二度とアンドレが打ちのめされないように。

「仰せの通りでございます。ご帰還早々に我儘を申し上げましたこと、どうぞお許しください」
王妃はくすりと笑ってから、絹手袋に包まれた指先をこすり合わせた。


「では、単刀直入にお話しするわね。噂は概ね本当よ」
「王妃様!それは一体・・・!」

居並ぶ女官や謁見待ちの貴族がざわっとどよめいた。謁見の儀は自由会話の場ではない。オスカルは思わず発しそうになった疑問をぐっと飲み込んだ。

「落ち着いて頂戴。貴女が先に無責任な噂を聞いてしまったのは残念だったわ。せっかくのいいお話が、いたずらに貴女の心をかき乱してしまったのね」

王妃は、この場にいる貴族達にやんわりと箝口令を敷いた。しかし、素晴らしい知らせを大事な友に届けることに心が逸るあまり、跪いたオスカルの頬がたちまち蝋のように白くなったことに気づかなかった。

一方、自分の結婚が噂通りに決まっていたことに、オスカルの動悸は痛いほど激しく乱れ打っていた。脳裏に浮かぶのは、一人きり。絶望の眼差しを静かに閉じて、背を向ける幼馴染みの姿だけになった。

王妃は大切な秘密を打ち明けるように、興奮を滲ませた早口で続ける。

「オスカル。実は国王陛下が新令をご用意くださいました。我がフランスでは、今後婚姻に関して一切の制約をつけることを禁じる法律です。どういうことかわかりますか?」

オスカル、あなたまで私のような思いをしないで。大好きな人と結ばれなさい。貴女はまだ知らないでしょうけれど、それは一瞬で世界が光に満ち溢れる幸福なのよ。貴女はそれに値する人。どうぞ、私の分まで幸せになって頂戴。

「『愛の特別令』発布と同時に貴女の婚礼も発表されます。新令に則って一番先に幸福を掴むのがオスカル、貴女です。きっと、全フランス国民の希望の星になるわ。大丈夫、私が婚礼を采配します」

王妃はうっとりと目を閉じた。天使のラッパから幸せなカップルを祝福する花吹雪が吹きこぼれる様子が目蓋の裏に浮かび、幾重にも響き合う鐘の音とボーイソプラノの愛らしい合唱が耳に響く。

ところが。

「王家が一臣下の婚礼を主催なさるなど、前例がございません」

妙なる響きは普段より1オクターブ低い臣下の無粋な一言で遮断された。

え?いきなり関心事そこ?前例がないって、貴女がそれを言うの?史上初の女性将校にして近衛連隊長まで務めた貴女が?

あまりにも予想の斜め上方向から飛んで来たオスカルの返しに、王妃が言葉を失っている間に、次の追い撃ちが放たれた。

「三部会を控えたこの時期に、大がかりな催事は民の不興を買う恐れがございます!」

えっと…そこは貴女らしい反応ね。

でも、違うのに。いったいどんな噂を聞いたのかしら。何を誤解しているのか、今にも倒れそうなほど青い顔しているけれど。これは彼女を幸せにする話だとどうしたら伝わるの?

王妃は聞こえるように上品な咳払いをして、オスカルを黙らせた。

「『愛の特別令』が成功すれば、民の和合が進んで三部会の成功にも繋がると国王陛下はお考えなのよ」

頭でっかちな臣下には、国王陛下の言質の方が効くかしら。

と、切り込んでみた王妃だったが、オスカルの顔色は蒼白なままだった。王妃の胸がざわつく。なぜ、新令はオスカルに福音として響かないのだろう。最愛の人と、大手を振って結ばれることができると言ったも同然なのに。

ガラス越しの対話みたいだわ。精一杯の好意が貴女に届く前に跳ね返ってしまうみたい。

対するオスカルは、後頭部を金属棒で打たれたような衝撃に身体が揺れるのを必死に耐えていた。内耳に不穏なパイプオルガンの不協和音が響き渡る。

婚姻に一切の制限をつけることを禁じる法律?では、では、相手は本当に王族なのか?今、独身の王族と言えば…まさか、まさか、そんな馬鹿な!

そうだとしたら…うわ…。か、勘弁して欲しい。しかし…相手があの御仁なら、たとえ王妃様がお許しくださっても、逆らえば王家の体面を潰したかどで家族にまで咎が及ぶ可能性があるやも知れぬ。

国家のために生きながら死ねと仰せか。確かに貴女以上にそれを命じる資格のある人間がいるとは思えませぬ。よろしい。もとよりフランスに捧げたこの身、今更死など厭うものではございません。されど。

他の道なら、どのような形でも喜んで祖国に殉じましょう。ですが、彼を道連れにする地獄道だけはお受けするわけにはいかないのです。

オスカルの声が地に低く響いた。

「恐れながら、王妃様。私は一生結婚しないと決めております」

重い錠が下りる無情な金属音が王妃だけの耳に届いた。王妃は錠前師の女房でもあるのだ。

何でそうなっちゃうの?

王妃は為す術もなく豪奢な天井を仰いだ。中央には天界の光を模した青に浮かぶ雲。取り囲む女神達の中でも、子を抱く慈愛の女神が王妃に微笑みかけている。

そうよ、ここでめげちゃダメ。オスカルは辛い恋をしているのだから。ここが謁見の場でなかったら、駆け寄って肩を抱いてあげるのに。彼女が耳を傾けるまで、『愛の特別令』は貴女のために誕生したのだと言い聞かせるのに。

しかし、それを女官や侍従、近衛兵が立ち会う場で口にするわけにはいかない。王妃は仕方なくこう締めた。

「謁見はこれで終わりです。オスカル・フランソワ、お下がりなさい」


つづく(になっちゃった、ごめん)

WEB CLAP



WEBCLAPにコメントを下さるお客様へ
コメントにはいつも元気を頂いています。もう、本当に嬉しいです。
で、使用しているこのシステム、どの作についてのコメントなのか、見分けがつかない構造になっているのです。もし良かったら、どの作に対する感想、ご意見なのか、ちょっとメモって下さると、もっと嬉しいです。ありがとうございます。

COMMENT

お盆も過ぎようとしています
地震に大雨、今も東北の地震の速報が流れています
今年の夏はどうなっているのか
せめてこれ以上、災害が起きませんように

マリー アントワネット スタイル
せめて近畿圏内でも開催して貰えたら(泣)

もんぶらんさま
ワクワクしながら待ってます
でも、無理はなさらないでくださいね


お元気ですか? まこ 2026/08/15(土) 10:30 EDIT DEL
まこさま

お盆が過ぎると、まだ暑いのにちゃんと秋の気配がやって来ますね。いかがお過ごしですか?

この夏は、日本が災害大国であり、災害は「来るもの」をデフォルトとして日々の暮らしを設計する必要があることを再認識しました。熊本も千葉も、よりによってこの酷暑の時期に……と思います。本当に、これ以上大きな災害が続かないことを願います。

マリー・アントワネットスタイル
わたしはいつ行こうかと虎視眈々と狙っています。まこ様お住いからは横浜は遠いんですね。

続き、頑張ります。実は母の介護とかいろいろあって、それなりにハードですが、こうして声をかけていただけると元気がでます。ありがとうございます。

まこさま もんぶらん 2026/08/20(木) 02:18 EDIT DEL
あっちこっちふらふらとコメントを差し上げて申し訳ありませんm(__)m
王妃様とオスカルさまのどうにもかみ合わない会話が楽しすぎる!(オスカルさまは相当お辛い様ですが💦)。
アンドレ、お宝(笑)葡萄荘園ゲットおめでとう!
太っ腹な将軍も最高です💕
この先一体どこへ着地するのでしょうか…楽しみすぎます\(^o^)/
NO-TITLE またたび 2026/08/21(金) 16:32 EDIT DEL
あっちこっち、大歓迎です!

そのうちだんだんかみ合ってくると思うんですけど、どう着地するのか私にも全然見当がつかないのですよ。皆さん思い込み激しくて。将軍は太っ腹と言うか、婿なら自分の腹は痛くないと思っているだけなんです。駆け落ちされたらどうするんですかね。まあ、なるように着地するんではないでしょうか。💦
またたびさま もんぶらん 2026/08/24(月) 01:01 EDIT DEL

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