怒りにまかせて叩きつけた寝室扉の衝撃音がまだ鳴り止まぬ前から、オスカルは頭を抱えて後悔していた。
どうしてわたしはこうなんだ!
とんだ八つ当たりだ。わたしはただ・・・素直になることが超絶照れくさかっただけだ。飢えた獣のような自分に驚いて。
あいつには何ら関係ない、わたしの問題だ。なのに、羞恥を感じる隙を与えないぐらい強く押さえ込んで欲しいとあいつに勝手に期待して、甘えて。
かゆいところに手が届くように面倒を見てもらって当然と思っているから、わずかに空いた空白にあんなに激怒してしまったのだ。
オスカルはシーツに包まったまま、右に左にもんどり打った。衛兵隊で仕込んだ悪態をいくつかついて、勢いよくもうひと転がりしたら、もうベッドの縁の外だった。
「うわっ」
物理法則に則り、当然転がり落ちた。この家のベッドは、マロン館で使っていたベッド幅の半分しかないことをすっかり失念していた。
「オスカル?どうした?」
小さなノックとともに、恋人の心配そうな声がしたが、シーツに絡まったまま落ちたので、返事するよりもがく方が先立った。情けない。子供のように涙がにじんだ。アンドレ、おまえは優しすぎる。
「オスカル、ごめん、入るよ」
遠慮がちにドアが開く。オスカルは床に転がったまま複雑に絡まったシーツから出口を求めてうごめいていた。ほうほうの体でやっと布から顔だけ出すと、手探りでオスカルの位置を探し当てた恋人が床に膝をついた姿勢で目の前にいた。
「どこか痛くしなかったか?」
優しく問われてふるふると首を横に振った。ふわふわそよいだ髪先が恋人の手の甲をかすめたから、多分伝わっただろう。恥をかくだけかききって、オスカルは放心したまま木偶のように恋人を見上げた。
恋人は怒ってはいなかった。ただ、オスカルに触れて良いものかどうか、一瞬迷った様子を見せてから、そっとオスカルの状態を遠慮がちに探り、目を丸くした。
「何をどうしたらこんなにぐるぐる巻きになるんだ?」
答えを期待している風でもなく、恋人はオスカルからシーツを外しにかかる。オスカルはされるがまま大きな彼の手に委ねた。今まで何十年もそうしてきたように。怒りも恥ずかしさも放出しきって、かけらも残っていなかった。
シーツから脱出させてもらうと、立ち上がるのも手伝ってもらい、ベッドに腰掛けた。まるで大きな子供のようだが、こうしてひとつひとつ面倒を見てもらうことで心がほぐれてゆく。恋人のやさしさは、筋金入りだった。
オスカルが抵抗なく身を委ねている様子から、恋人はとりあえずの台風一過を察しているに違いない。恋人歴は短くも、幼馴染み歴27年。こんなときふたりに言葉は必要ない。必要はないけれど。
今夜は、彼のごめんを聞く前に、自分の方から何かを伝えたいとオスカルは思った。でも何を?
もう数え切れないほどの衝突を経て来たが、最初のごめんはいつだって彼だった。ほとんど自分のせいだったにも関わらず。そろそろ成長してもいい頃だ。
恋人は何も言わず、腕と腕が触れあう距離で静かにオスカルの横に腰掛けた。伝わりくる温もりの何と愛しいこと。オスカルの胸はたちまち温かく切ないものでいっぱいになった。そうか、わたしはこれを伝えたくて、伝える術なくして自爆したのだ。
オスカルはわずかに体重を恋人の腕にかけた。恥もプライドも思い切りかっこ悪く暴発させてしまったあとだ。今なら八つ当たりして悪かった、くらい難なく言える。
けれど、それは後でいい。あとからあとからあふれ出るこの想いを何としてでも先に伝えたい。身を寄せてきたオスカルに応えるように、恋人は肩を抱いてくれた。
オスカルも恋人の腰に腕を回して頭を預けた。話すことを覚えたばかりの子供のような素朴な言葉が胸の中からぽろりとこぼれ落ちる。
「好きだ」
ほんの一瞬間の間をあけて、脳天にキスが落とされた。豊かな髪越しのくちづけなのに、身体中がわなないた。
「知ってる」
いや。わたしの胸の内がどれほどおまえでいっぱいなのか、おまえはまだ知らないだろう。オスカルは恋人の裸の胸に手のひらを沿わせ、くちびるを当てた。
**************
恋人が激高したときは、無理になだめず引き潮を待つ。27年ものあいだ、それが正解だった。しかし、今夜は間髪入れずに後を追った方が良かったかも知れない。
寝室でひとりにしてしまった数分間、それはそれでいたたまれない時間を与えてしまったことだろう。
今となってはもう手遅れだが、アンドレは寝室の前で逡巡していた。
もう眠っただろうか。出動前夜のように、差し迫った状況ではないのだから朝までそっとしておくべきか。笑顔でお早うと挨拶すれば、何もなかったような顔で決まり悪さを覆い隠し、挨拶を返してくれるだろう。
夫婦のあれやこれは始めたばかり。加減は少しずつ習得すべきものだから、タイミングが合わなかったことを謝られるのも居心地が悪いだろう。気分はごめんねを言いたいけれど。
そっと、ベッドの隣に滑り込んだら、朝まで一緒に寝かせてくれないかな。いや、やめておこう。絶対無理だ。・・・おれが。
仕方ない、荷物の中から上着か何か引っ張り出して、もう一晩床で寝るか。
肩を落としたアンドレが寝室扉に背を向けたそのとき。寝室の中から何か大きな物が落ちる音と小さなうめき声が聞こえた。アンドレは秒速で扉前までとって返し、耳を澄ました。やはりオスカルのくぐもった声がする。
ノックをしたが、返事もままならない様子だ。アンドレは一言断ってからそろそろと扉を開けた。
恋人がもぞもぞ動く気配がするのでその方向に近づくと、小さな悪態が寝台と壁の間の床から聞こえてきた。床に膝をついてかがみ込むと、目の前でバサバサと乱暴な布ずれの音がした。
恋人はシーツに二重に包まったまま床に落ちたらしい。思わずこみ上げるものをアンドレは飲み込んだ。ここで笑ったら確実に地獄を見はめになる。そっと手を伸ばし、無事を確認してみたが、恋人に振り払われることはなかった。良かった、脈ありだ。アンドレはガッツポーズを心の中で決めた。
複雑にからまったシーツから恋人を救出し、ベッド縁に腰掛けさせた。恋人は素直にされるがままになっている。台風は去ったのだ。アンドレは胸をなで下ろし、静かに恋人の真横に腰を降ろしてみた。
念のためにこぶし一個分くらいの間を開けようと思ったのだが、目測を誤った。ぴったりくっつく位置に座ってしまい、突き飛ばされるかとヒヤリとする。身体は熱いのに変な感じだった。
幸い恋人は拒まずじっとしていてくれている。次は手を握る?太ももに手を置くのはやめておいた方が無難かな。膝なら?それとも焦らず様子を見ようかな。
生まれて初めて好きな女の子の手を握るチャンスを伺う少年の気分だとアンドレは天を仰ぐ。しかしまあ、これはこれで幸せなことだ。
実際の恋人は、固いつぼみの少女ではなく美しく開花した大人の女性。少々待たされたとしても、たかが知れている。
睦事の進み方が早すぎたのなら、緩めればいい。明日が来ないことを覚悟して抱き合ったあの夜とは違い、ゆっくり進む余裕を手にした二人なのだから。
ときどきに形を変える幸せを、アンドレは噛みしめた。
右肩にふと重みを感じた。恋人が身を預けてくれたのだ。仕切り直しのお許しか?そうだとしても、少し速度を落とそうか、オスカル。今のおれたちには許された明日がある!アンドレは恋人の肩を抱き寄せた。
恋人は左腕をアンドレの腰にまわし、頭も預けてきた。アンドレにとってたまらない仕草だ。男を凌駕する度胸、潔い決断力、思慮深いのに短気、意地っ張り。キレるときはどの女性よりも女性らしく、たま~にこんなに可愛い仕草をする。おまえの振り幅大きすぎだろ・・・。
「好きだ」
え?
しかも、素直じゃないくせに、忘れた頃に意表をつくタイミングでこういうことを言う!アンドレは恋人を揉みくちゃにしてキスしまくりたい衝動を抑え、桃の葉が香る金髪頭にくちびるをつけて囁いた。
「知ってる」
みるみるうちに恋人の腕に力が入り、裸の胸に柔らかなくちびるが押し当てられた。アンドレの頭の先からつま先まで稲妻が走る。ゆっくり速度を落とそう?・・・できるだろうか、そんなこと。
**************
恋人が、ぐるぐる巻き騒ぎで暴発した金髪に指を差し入れ、地肌から毛先まで優しくすき始めた。オスカルは彼の胸に頬を乗せたまま、目を閉じてその感触を味わった。規則正しくすき降ろされる指先が、ときどき乱れて項をなぞった。
それだけで全身が逆毛立つ。わたしをこんな風に乱すのはおまえの指先だけなのだと、どうやって伝えよう。オスカルは恋人の腰に回した側の手のひらで、脇腹に斜めに走る筋肉の盛り上がりをなぞってみた。
恋人が身をよじる。
「くすぐったいよ」
くすぐったいにはそぐわない低く甘い声を髪の厚み越しに聞いた。小さく笑い返した自分の声も甘かったに違いない。
脇腹から肩甲骨に向けて手のひらを滑らせると、包帯に触れた。広い背中を斜めに走る包帯の下縁を二本の指で数回なぞった。背骨の両脇に盛り上がる堅い筋肉の柱を下にたどると、腰の急な曲線が現れた。その下はキュロットに阻まれて進めない。
恋人は、オスカルが欲した身体的特徴を全て持っている。皮膚の下に走る筋肉は男も女も同じ構造のはずなのに、押しても簡単に形を変えない強さと厚みで、男以上に鍛えた自分のそれとは別物だ。
筆舌に尽くしがたいほどの悔しい思いをした。努力で手に入るなら、何でもすると神に祈ったのは10代の頃。神は恋人を通して願いに応えてくれた。すべておまえのものだと彼は言う。
努力は必要なかった。ただ愛しただけだった。男と競い勝利するために欲したそれは、願いとは違う形で手に入り、愛し合うためにそこにある。
オスカルは男の腰から背中の線を両手で確かめたくなり、胸から頬を離すと寝台から腰を浮かせた。
恋人の膝を大きく跨いで両大腿に腰を降ろしてみたが、上背のあるオスカルのこと、思ったよりも恋人の顔の位置が低くなり、自然に伸ばした両腕は恋人の胴ではなく、首の周りに収まった。
逆に恋人の腕がオスカルの脇を通って背中に回され、恋人は嬉しそうに顔を上げた。左の頬だけが窓からの月光に照らされ、普段は甘さの方が立つ顔つきが野生じみて見える。左側の髪をかき上げると、さらさらと指の間から黒いくせ毛が滑り落ちるまでの短い刹那に、閉じられたままの左目が照らし出された。
もう一度髪をかき上げてオスカルは恋人の閉じられた瞼にくちづけた。そのまわりにも幾度かくちびるを落としていたら、恋人の大きな手で両頬を挟まれた。掠れた声で名前を呼ばれ、導かれるままくちびるを重ねる。心臓がきゅ・・・んと締め付けられた。
オスカルのくちびるは、離れる直前、自分でも気づくより先に言葉を発した。
「おまえが大好き」
恋人の腕に力がこもった。オスカルは負傷した左肩を避けるように恋人の右肩に顎を乗せ、右腕の下と首の左側から背中に腕を回し身を預けた。恋人の両腕もオスカルの背中を抱きかかえる位置に戻ったが、居心地悪そうに腰をずらし、寝台に浅く座り直した。
「おまえ、足長すぎ」
オスカルの両膝が寝台に当たるので、胸から下は身体が寄せられないのだ。耳元でクスクス笑いながら、オスカルは膝を折り曲げて寝台の上に片方ずつ乗せた。すると、恋人は手早くオスカルの靴を床に払い落としてしまった。
そして寝台の上で軽く膝立ちになったオスカルの腰を強く引き寄せ、恋人はオスカルを抱きしめた。恋人の両大腿の付け根あたりに腰を降ろしたオスカルは、恋人のキュロットの下で熱く滾るものを下腹部でとらえた。
そのこと自体はもうオスカルを狼狽させたりはしない。むしろ、原始的な喜びが沸き起こるのを感じた。
肉の喜びをまだ深くは知らないにも関わらず、自分に向けられた男の情欲が嬉しい。他の男達から向けられるそれを、身の毛がよだつほど忌み嫌った自分であるのに、不思議だった。
恋人の腰を太腿でぴったりと挟み込むようにしてオスカルも恋人を抱きしめる。恋人の喉の奥から、耐えきれずかすかなうめき声が漏れた。
愛おしい。オスカルはしっとりと汗ばんできた恋人の頸にくちづけながら右の肩から肩甲骨をゆっくりと撫でた。皮膚の下で肩甲骨の突起が滑るように動くのがわかる。もう少し下まで掌を下げ、太い上腕を撫で上げた。
左側も包帯の上を触れるか触れないかのところで掌を滑らせた。一度は砕けた鎖骨、包帯の下から延びる頸の筋。触れるものすべてが、一度失いかけて取り戻した大切なもの。
顎の下まで触れ上げてからゆっくり降ろし両掌を胸の上まで滑り降ろそうとしたところで、それまでオスカルに好きなようにさせていた恋人が両手首を掴んで止めた。
「待って」
荒い息の恋人は懇願した。
「頼む、休憩しよう」
*****************
初めて触れられたわけではないのに、恋人の手が触れたあとの皮膚は、さざ波がたつように震えた。あるいは、言葉にやられてしまったのかも知れない。ぼくとつに彼女がつぶやいた『好きだ』は心臓を震わす威力があった。
愛されている。こんなにも自分は愛されているのか。
アンドレは恋人を膝に乗せたまま、息が落ち着くまで身じろぎせずじっとしていた。首元に恋人の息がかかるたびにざわざわと背中を撫で上げられるようにざわつく感覚に耐えながら。
外側の花びらから開花をはじめた初々しい恋人の官能に目眩がする。しかし、自分の中で荒れ狂うそれと、彼女の間にはまだまだ乖離があることを知った以上、制御が必要だ。なかなか厄介そうだけど。
恋人はアンドレの窮状を知ってか知らずが、動きを止めてじっとしている。ゆっくり、ゆっくりだ。アンドレは抱きしめる腕の力を緩め、恋人の背中にそっと掌を当てた。空気の薄い層を一枚挟んだくらいの触感で撫でると、恋人が適度に高まることは知っていた。
ただ、いつも(と呼べるほどの経験はないが)と違うのは、湯浴みのあと彼女はコルセットを着けていない。自分の方が先にノックダウンされるやも知れぬ。
恋人の引き締まったウエストは両手のなかにぴたりと収まった。その曲線を楽しんでから、アンドレは背中から脇腹にかけて、慈しむように交互に撫でた。恋人がはっと息を呑む。その耳元にアンドレも囁いた。
「大好きだ」
月明かりの下、恋人の唇がそっと微笑んだのが見えた気がした。少しずつ、掌が描く円は大きくなる。脇の下近くを親指が通ると恋人はくすくす笑って身をよじった。そのたびに充血した男の持ち物が刺激され、頭の片隅で火花が散る。
恋人の息も少し早くなった。背中をなで下ろすたびに、彼女が気づかない程度にキュロットにたくし込まれたブラウスを引いた。何回かそんな隠密行動を繰り返し、手を差し入れるのに十分なくらいに裾がキュロットから引き抜かれると、頃合いを見計らって素肌に触れた。
恋人の腰が小さく跳ねる。
あ・・・あ、そうだ、これが恋人独自の肌のきめだ。これだ。触れれば決して他人とは間違いようのない肌触り!視力を失ってから、指先でものを見分ける感覚を研ぎ澄ませてきたアンドレの知覚が、出動前夜に触れたあの肌だと狂喜している。これが最後と万感の思いを込めたあの夜に。
皮膚の真下には鍛え抜いた背筋が垂直に通っている。その中心にはすっと一本通る美しい曲線を描く溝。何度か撫で下ろしてからキュロットの上から臀部まで掌を滑らせる。間違いなく女性の持つまろやかな線を手が捉えた。
少し掌を上に滑らせ、張りのあるみずみずしい皮膚の下に等間隔で並ぶ肋骨を一本一本確かめた。恋人はもう動かずじっとアンドレの胸に顔を埋めている。ときおり乱れる呼吸は次第に大きくなった。
形の良い肩甲骨の下角に到達したとき、アンドレはそこで手を止めた。この下のどこかに病魔が潜んでいる。両手で包み込むように置いた掌から、ぬくもりで病魔を溶かしてしまえたら。
祈る場所には相応しくないことはわかっていた。それでもアンドレは恋人を胸に抱き、祈らずにはいられなかった。神よ、どうか愛しい人を病からお救いください。教会は否と言うだろう。けれど、愛する人を最も愛すこの瞬間と、祈りはむしろ同質なのだとアンドレの自然の叡智はそう言っていた。
************
オスカルは波のように寄せては帰す甘い感覚に身を任せていた。背中の愛撫は強すぎず、ぼんやり受けていても安心していられた。恋人の心臓の鼓動を聞いていると、ふわふわとどこまでも漂流していきそうだった。
うっかり意識を手放しそうになるたびに、恋人の指が脇の下あたりをなぞるので目が覚めた。そのうち大きな掌はウエストまで降りてきて、愛撫の熱量が上がった。下腹にズンと衝撃を受け思わず恋人を見降ろしたら、耳元で低く囁かれた。
「大好きだ」
幸せに溺れてしまいそうだ。誰に何と誹られようと、もうこのままどうなってもいい。そう思ってオスカルは思い出す。もうわたしたちは社会的にも夫婦だった。堂々と、どうにでもこうにでもなっていいのだ。
急に恋人の手の感触が変わった。いつどうしたのか、気がつかないうちにブラウスはキュロットから引き抜かれ、恋人の掌は裾の下から直接素肌に触れていた。ざわざわと皮膚の細胞が騒ぎ出す。
たった布一枚でこうも違うものか。恋人のためにコルセットを着けなかったものだから、すでに素っ裸の気分だ。恋人は、掌の感触を楽しむように肌と戯れている。布の抵抗がなくなった分、オスカルの肌の上で掌が滑りよく動いている。
この感触は嫌いではない。彼の手である限り、むしろ気持ちがいい。ただ、安心して身を委ねてしまうのは危険な予感がする。すべらかに動く恋人の手はいつかもっと奥まで探検に出かける。確かな予感だった。
大きな掌が次に動く方向を、オスカルの皮膚は期待を込めて待っている。まだ触れられていない身体の前面のほうまであちこちでちりちりとうずき始めた。
安らかな愛撫は終わったのだ。この先は次第に熱波に呑まれていくのだろう。そう思うと胸が高鳴った。そんな新しい自分も嫌いではない。刻一刻と敏感に反応する身体が吹き飛ばされぬよう、オスカルは恋人の胸にしがみついた。
つと、恋人の手が止まった。訝しく見上げると、恋人の眉間は苦しげにゆがんでいる。滑らかに肌の上を滑っていた両手はオスカルの肩甲骨下をくるむような形で静止し、きゅっと胸に抱き込まれた。
恋人はそのまま動かなくなった。オスカルもしばらく待ってみた。とく、とく、とく、と恋人の心臓だけが音を立てる。誰よりも大切な人が生きている証の音。恋人も背中から自分の鼓動を聞いているのだろうか?それにしてはこの苦しそうな表情は。オスカルは恋人の名を呼んだ。
「アンドレ」
うん?と頸を傾げて見せた恋人の口元にはたちまち微笑が浮かんだが。その変わり身の早さにオスカルは恋人に去来している何かを理解した。
両頬を手で挟み、オスカルは恋人を引き寄せた。何度も何度もくちびるで恋人のくちびるを食んだ。おまえを置いて逝きはしないと、言葉で約束できぬ分、込められるだけの愛を乗せて。
重ねるだけのくちづけに恋人が熱くなった。片腕でオスカルの後頭部を抱え込み、もう片手で耳をなぶる。オスカルも知らなかった弱点を優しく責め立てられると、背中から下腹までいかづちが走る。舌を求めて深く絡みあうくちづけの火蓋が落ちた。
**************
セキレイのつがいが、窓枠の外ででツツッと鳴いた。やっぱりオスカルのために餌付けしてみようかな、とアンドレは半分眠ったまま、ぼんやりと考えながら大きく伸びをした。あ、左肩痛いけど前ほどじゃないな。あれ、何で右肩まで痺れているんだろう。
薄目を開け一瞬戦慄する。アンドレの目にも夜が明けきっていることがわかるほど室内が明るい。やばい、寝過ごしたか!?
ガバッと起き上がろうとして起き上がれないのが、右側の腕から胸にかけて人ひとり乗せているからだと気がついて心臓が止まりそうになる。
この髪はオスカル?しまった、マルタが起こしに来る時間を過ぎている?だめだ、もう間に合わない!万事休すか!?
ところが、胸の上の人は暢気にうーん、とあくびをしながらアンドレの上にうつ伏せに寝返ると、右腕でアンドレの胸を抱き、不平を言った。
「眠い・・・ぞ」
アンドレははた、と我に返った。部屋が明るいのはカーテンが薄いからで、侍女は来ないし、そもそもここは狼谷村の家。で、一昨日結婚式をあげたばかり。ここは、ジャルジェ邸のオスカルの寝室じゃなかったんだ・・・!
ほーっと長いため息をついて、胸を撫で下ろそうとしたが恋人が乗っかっているので、代わりに彼女の乱れた髪を撫でた。心臓に悪いほどの安堵ってあるんだな。と、間抜けたことを考える。
「起こしちゃったな、ごめん。まだ寝ていろ、オスカル」
とりあえず、鳥の食事より先にオスカルに何か用意して、午後からの出勤に備えて・・・と忙しく頭の中で段取りを始めたアンドレが、新妻の腕を胸元から外そうとした途端、その腕で首をぐっと抱き込まれた。
「おまえもだ」
新妻はそれだけ命令すると、どこにも行かせないとばかりに右足をアンドレの腹と下腿に巻きつくように大きく乗せてから、すうっと寝息を立て始めた。こいつ、寝ぼけていてもちゃんと現状把握しているんだ、凄いな、しかも、もう寝てるし。
と変なところに感心してアンドレは頭をとすんと枕の上に戻した。起こさないよう気をつけながら、右手でまた新妻の髪を撫でながら、遅ればせながら、じわじわとアンドレも今の現状の把握を始めた。
おれたちが、同じ寝室で朝まで一緒に過ごすことは、もう誰が見ても当然なんだ。貴賤結婚だ、何だと、異議を唱える向きがあったとしても、結婚の秘蹟を受けた以上、誰にも手出しができないんだ。
誰にも隠さなくていい、人目を避けなくてもいい、見つかることを恐れなくてもいい、引き離されることを心配しなくてもいい、手打ちにされることで最愛の人を泣かす可能性を考えなくてもいいんだ。
毎日、朝まで抱いて眠って、同じ寝台で目覚めるのか。これからずっと。たまの喧嘩で寝室から閉め出される日以外は。
初めての夜と夜明けに、神に感謝したっけ。これ以上望むものはありません、と。当然だ。今朝のこの幸せを知らなかったのだから、望みようがなかった。
だんだん泣けてきた。左の手の甲で涙を拭ってみたが、ダメだ止まらない。いっそ、大声で吠えまくりたい。幸せだ、幸せだ、幸せだ。
いろいろ重たい課題だらけだけれど、幸せでいるのにそんなの関係ない、って凄いことだ。もっと凄いのは、この奥さん。この状況をあったりまえのように享受して眠りこけている。これなら、病魔も裸足で逃げるというものだ。
アンドレは両手で顔を覆い、声を出さずに泣いた。ぺしっと額を叩かれるまで。
「聞こえないのか、アンドレ、何を泣いている」
アンドレの胸を枕にしていた新妻がむせび泣きの振動に気づかないはずはなく、次第に激しくなる嗚咽に起き上がり、観察していたのだ。アンドレの両手が自由に動かせたのもそのせいだったのだが、幸せに浸るのに夢中で気づかなかった。
「あ”・・・?」
「どうした?」
どうした、と聞かれても胸がいっぱいなのであるからして、即答できるものではない。そこは幼馴染み歴27年の新妻も心得たもの。数秒の観察の結果、悲嘆の涙ではないことを見て取って、無慈悲に額に一発お見舞いしたのだった。この男の泣きを一番数多く側で見てきたのは伊達じゃない。
返事の替わりに両腕を伸ばしたら、新妻は黙って胸に納まってくれた。いわゆるあれだ。言葉は必要ない、というやつだ。おまけにキスの雨で涙を吸い取ってくれた。
彼女が胸元にしっかり巻き付けているシーツを取り去りたい誘惑に駆られたが、明るい室内でそれをするのは妻のために我慢した。お返しのくちづけは、朝仕様よりは少し濃厚にするに留めおき、人心地ついた。
「初めて一緒に迎える朝に感動した」
**************
初めてではないだろう?と何の気なしに返したら、全然違う!と珍しくムキになる夫に、なぜか出会った頃の幼い姿が重なった。大の大人が涙目で、鼻先もほんのり赤くしている様子が何とも可愛いくて、オスカルは顔中にキスを浴びせた。
昨夜の男と今朝の男が同一人物とは信じがたかった。オスカルから、オスカル自身が知らない女をこれでもかと引き出し、翻弄した男が、今朝は幸せすぎるとべそをかいている。
幸せで泣いているのなら、好きなだけ泣くがいい。本当は、どこであんな技を覚えたのかを問いただしてやろうと思っていたオスカルだが、武士の情けをかけてやることにした。
「夜明け前にベッドを離れるのと、今朝こうしていられるのと。違うんだよ、全然別物なんだって」
夫はまだ涙目で、違う違うと子供のように主張する。それが泣くほど嬉しかったのか。オスカルは伸び上がって夫の頭をかき抱き、撫でてやった。自分にはいざとなれば、使いうる権力があり、財力もあり、切り抜ける手段があると高をくくっていたのかも知れぬ。
オスカルの想像以上に、彼にとって伯爵令嬢と愛し合うことは、刃の上を渡るような日々だったのだろう。今朝の目覚めが幸せだったのはオスカルとて同じこと。だから、早起きしようとする夫を引き留めた。しかし、ふたりには明確な温度差があったのだ。
「そう・・・だな」
悪かった。思い至らなかった。これから少しずつその差を埋めて行こう。つんとした痛みが鼻の奥を刺し、オスカルも涙声になる。おまえまで泣くなよ、と抱き返され、大丈夫だから、と瞼にキスを貰って。夫とは違うポイントで泣けてきたことは、今は言わないでおくことにした。
「よし、今日はベッドを注文しよう」
オスカルの夫は切り替えが早い。もう本日の段取りに意識を向けている。オスカルとすれば、昨夜の今朝でまだ少し気恥ずかしいのに。そんなことより早く帰ってこいと言うのも何だか照れる。今日は夫のみ出勤だ。
「おまえが落ちるのではないかと気が気じゃないから」
「落ちるものか」
「じゃ、おれのために。ひとり用の寝台じゃ毎晩おまえを襲いそうだから」
「ぶっ」
そんなことを言いながら、夫は手早く身支度を終えていた。これから洗面やら朝食の支度をしてくれるのだろう。ふたりの朝寝が泣くほど幸せだと言っていたくせに。新しいシャツを着終えた夫が、もう一度抱かせてと腕を広げた。
「う~ん、離したくないなあ」
「では、わたしも行こう」
「だめだ。ちゃんと食べたらまた寝ること」
「ひとりにしてみろ、泣くぞ」
「泣き落としはおまえの戦法じゃないよ。説得力ゼロ」
「泣き脅しならどうだ」
「それは・・・あったな過去に」
え?いつのことだ、それは?オスカルが返答に窮した隙に夫は身を離して立ち上がった。
ジャルジェ家で、わずかな隙間時間の逢瀬を心の糧にしていた頃、一番辛かったのがこの瞬間だった。
離れがたいのは今朝も同じで、ふたりだけの時間が足りないのも同じでも。別れ際のくちづけは、全く違う。明るく軽く爽やかで、少し官能の味がした。この変化に関しては、ふたりの間に温度差はなさそうだ。
「ベッドはいいから、早く帰って来い」
言ってみれば、正直な気持ちを伝えるのはわりと簡単だった。夫は笑って頷いた。それが、早く帰るという意味なのか、じゃあまた襲うぞと言う意味なのか、今夜まで謎のままにしておこう。
どうしてわたしはこうなんだ!
とんだ八つ当たりだ。わたしはただ・・・素直になることが超絶照れくさかっただけだ。飢えた獣のような自分に驚いて。
あいつには何ら関係ない、わたしの問題だ。なのに、羞恥を感じる隙を与えないぐらい強く押さえ込んで欲しいとあいつに勝手に期待して、甘えて。
かゆいところに手が届くように面倒を見てもらって当然と思っているから、わずかに空いた空白にあんなに激怒してしまったのだ。
オスカルはシーツに包まったまま、右に左にもんどり打った。衛兵隊で仕込んだ悪態をいくつかついて、勢いよくもうひと転がりしたら、もうベッドの縁の外だった。
「うわっ」
物理法則に則り、当然転がり落ちた。この家のベッドは、マロン館で使っていたベッド幅の半分しかないことをすっかり失念していた。
「オスカル?どうした?」
小さなノックとともに、恋人の心配そうな声がしたが、シーツに絡まったまま落ちたので、返事するよりもがく方が先立った。情けない。子供のように涙がにじんだ。アンドレ、おまえは優しすぎる。
「オスカル、ごめん、入るよ」
遠慮がちにドアが開く。オスカルは床に転がったまま複雑に絡まったシーツから出口を求めてうごめいていた。ほうほうの体でやっと布から顔だけ出すと、手探りでオスカルの位置を探し当てた恋人が床に膝をついた姿勢で目の前にいた。
「どこか痛くしなかったか?」
優しく問われてふるふると首を横に振った。ふわふわそよいだ髪先が恋人の手の甲をかすめたから、多分伝わっただろう。恥をかくだけかききって、オスカルは放心したまま木偶のように恋人を見上げた。
恋人は怒ってはいなかった。ただ、オスカルに触れて良いものかどうか、一瞬迷った様子を見せてから、そっとオスカルの状態を遠慮がちに探り、目を丸くした。
「何をどうしたらこんなにぐるぐる巻きになるんだ?」
答えを期待している風でもなく、恋人はオスカルからシーツを外しにかかる。オスカルはされるがまま大きな彼の手に委ねた。今まで何十年もそうしてきたように。怒りも恥ずかしさも放出しきって、かけらも残っていなかった。
シーツから脱出させてもらうと、立ち上がるのも手伝ってもらい、ベッドに腰掛けた。まるで大きな子供のようだが、こうしてひとつひとつ面倒を見てもらうことで心がほぐれてゆく。恋人のやさしさは、筋金入りだった。
オスカルが抵抗なく身を委ねている様子から、恋人はとりあえずの台風一過を察しているに違いない。恋人歴は短くも、幼馴染み歴27年。こんなときふたりに言葉は必要ない。必要はないけれど。
今夜は、彼のごめんを聞く前に、自分の方から何かを伝えたいとオスカルは思った。でも何を?
もう数え切れないほどの衝突を経て来たが、最初のごめんはいつだって彼だった。ほとんど自分のせいだったにも関わらず。そろそろ成長してもいい頃だ。
恋人は何も言わず、腕と腕が触れあう距離で静かにオスカルの横に腰掛けた。伝わりくる温もりの何と愛しいこと。オスカルの胸はたちまち温かく切ないものでいっぱいになった。そうか、わたしはこれを伝えたくて、伝える術なくして自爆したのだ。
オスカルはわずかに体重を恋人の腕にかけた。恥もプライドも思い切りかっこ悪く暴発させてしまったあとだ。今なら八つ当たりして悪かった、くらい難なく言える。
けれど、それは後でいい。あとからあとからあふれ出るこの想いを何としてでも先に伝えたい。身を寄せてきたオスカルに応えるように、恋人は肩を抱いてくれた。
オスカルも恋人の腰に腕を回して頭を預けた。話すことを覚えたばかりの子供のような素朴な言葉が胸の中からぽろりとこぼれ落ちる。
「好きだ」
ほんの一瞬間の間をあけて、脳天にキスが落とされた。豊かな髪越しのくちづけなのに、身体中がわなないた。
「知ってる」
いや。わたしの胸の内がどれほどおまえでいっぱいなのか、おまえはまだ知らないだろう。オスカルは恋人の裸の胸に手のひらを沿わせ、くちびるを当てた。
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恋人が激高したときは、無理になだめず引き潮を待つ。27年ものあいだ、それが正解だった。しかし、今夜は間髪入れずに後を追った方が良かったかも知れない。
寝室でひとりにしてしまった数分間、それはそれでいたたまれない時間を与えてしまったことだろう。
今となってはもう手遅れだが、アンドレは寝室の前で逡巡していた。
もう眠っただろうか。出動前夜のように、差し迫った状況ではないのだから朝までそっとしておくべきか。笑顔でお早うと挨拶すれば、何もなかったような顔で決まり悪さを覆い隠し、挨拶を返してくれるだろう。
夫婦のあれやこれは始めたばかり。加減は少しずつ習得すべきものだから、タイミングが合わなかったことを謝られるのも居心地が悪いだろう。気分はごめんねを言いたいけれど。
そっと、ベッドの隣に滑り込んだら、朝まで一緒に寝かせてくれないかな。いや、やめておこう。絶対無理だ。・・・おれが。
仕方ない、荷物の中から上着か何か引っ張り出して、もう一晩床で寝るか。
肩を落としたアンドレが寝室扉に背を向けたそのとき。寝室の中から何か大きな物が落ちる音と小さなうめき声が聞こえた。アンドレは秒速で扉前までとって返し、耳を澄ました。やはりオスカルのくぐもった声がする。
ノックをしたが、返事もままならない様子だ。アンドレは一言断ってからそろそろと扉を開けた。
恋人がもぞもぞ動く気配がするのでその方向に近づくと、小さな悪態が寝台と壁の間の床から聞こえてきた。床に膝をついてかがみ込むと、目の前でバサバサと乱暴な布ずれの音がした。
恋人はシーツに二重に包まったまま床に落ちたらしい。思わずこみ上げるものをアンドレは飲み込んだ。ここで笑ったら確実に地獄を見はめになる。そっと手を伸ばし、無事を確認してみたが、恋人に振り払われることはなかった。良かった、脈ありだ。アンドレはガッツポーズを心の中で決めた。
複雑にからまったシーツから恋人を救出し、ベッド縁に腰掛けさせた。恋人は素直にされるがままになっている。台風は去ったのだ。アンドレは胸をなで下ろし、静かに恋人の真横に腰を降ろしてみた。
念のためにこぶし一個分くらいの間を開けようと思ったのだが、目測を誤った。ぴったりくっつく位置に座ってしまい、突き飛ばされるかとヒヤリとする。身体は熱いのに変な感じだった。
幸い恋人は拒まずじっとしていてくれている。次は手を握る?太ももに手を置くのはやめておいた方が無難かな。膝なら?それとも焦らず様子を見ようかな。
生まれて初めて好きな女の子の手を握るチャンスを伺う少年の気分だとアンドレは天を仰ぐ。しかしまあ、これはこれで幸せなことだ。
実際の恋人は、固いつぼみの少女ではなく美しく開花した大人の女性。少々待たされたとしても、たかが知れている。
睦事の進み方が早すぎたのなら、緩めればいい。明日が来ないことを覚悟して抱き合ったあの夜とは違い、ゆっくり進む余裕を手にした二人なのだから。
ときどきに形を変える幸せを、アンドレは噛みしめた。
右肩にふと重みを感じた。恋人が身を預けてくれたのだ。仕切り直しのお許しか?そうだとしても、少し速度を落とそうか、オスカル。今のおれたちには許された明日がある!アンドレは恋人の肩を抱き寄せた。
恋人は左腕をアンドレの腰にまわし、頭も預けてきた。アンドレにとってたまらない仕草だ。男を凌駕する度胸、潔い決断力、思慮深いのに短気、意地っ張り。キレるときはどの女性よりも女性らしく、たま~にこんなに可愛い仕草をする。おまえの振り幅大きすぎだろ・・・。
「好きだ」
え?
しかも、素直じゃないくせに、忘れた頃に意表をつくタイミングでこういうことを言う!アンドレは恋人を揉みくちゃにしてキスしまくりたい衝動を抑え、桃の葉が香る金髪頭にくちびるをつけて囁いた。
「知ってる」
みるみるうちに恋人の腕に力が入り、裸の胸に柔らかなくちびるが押し当てられた。アンドレの頭の先からつま先まで稲妻が走る。ゆっくり速度を落とそう?・・・できるだろうか、そんなこと。
**************
恋人が、ぐるぐる巻き騒ぎで暴発した金髪に指を差し入れ、地肌から毛先まで優しくすき始めた。オスカルは彼の胸に頬を乗せたまま、目を閉じてその感触を味わった。規則正しくすき降ろされる指先が、ときどき乱れて項をなぞった。
それだけで全身が逆毛立つ。わたしをこんな風に乱すのはおまえの指先だけなのだと、どうやって伝えよう。オスカルは恋人の腰に回した側の手のひらで、脇腹に斜めに走る筋肉の盛り上がりをなぞってみた。
恋人が身をよじる。
「くすぐったいよ」
くすぐったいにはそぐわない低く甘い声を髪の厚み越しに聞いた。小さく笑い返した自分の声も甘かったに違いない。
脇腹から肩甲骨に向けて手のひらを滑らせると、包帯に触れた。広い背中を斜めに走る包帯の下縁を二本の指で数回なぞった。背骨の両脇に盛り上がる堅い筋肉の柱を下にたどると、腰の急な曲線が現れた。その下はキュロットに阻まれて進めない。
恋人は、オスカルが欲した身体的特徴を全て持っている。皮膚の下に走る筋肉は男も女も同じ構造のはずなのに、押しても簡単に形を変えない強さと厚みで、男以上に鍛えた自分のそれとは別物だ。
筆舌に尽くしがたいほどの悔しい思いをした。努力で手に入るなら、何でもすると神に祈ったのは10代の頃。神は恋人を通して願いに応えてくれた。すべておまえのものだと彼は言う。
努力は必要なかった。ただ愛しただけだった。男と競い勝利するために欲したそれは、願いとは違う形で手に入り、愛し合うためにそこにある。
オスカルは男の腰から背中の線を両手で確かめたくなり、胸から頬を離すと寝台から腰を浮かせた。
恋人の膝を大きく跨いで両大腿に腰を降ろしてみたが、上背のあるオスカルのこと、思ったよりも恋人の顔の位置が低くなり、自然に伸ばした両腕は恋人の胴ではなく、首の周りに収まった。
逆に恋人の腕がオスカルの脇を通って背中に回され、恋人は嬉しそうに顔を上げた。左の頬だけが窓からの月光に照らされ、普段は甘さの方が立つ顔つきが野生じみて見える。左側の髪をかき上げると、さらさらと指の間から黒いくせ毛が滑り落ちるまでの短い刹那に、閉じられたままの左目が照らし出された。
もう一度髪をかき上げてオスカルは恋人の閉じられた瞼にくちづけた。そのまわりにも幾度かくちびるを落としていたら、恋人の大きな手で両頬を挟まれた。掠れた声で名前を呼ばれ、導かれるままくちびるを重ねる。心臓がきゅ・・・んと締め付けられた。
オスカルのくちびるは、離れる直前、自分でも気づくより先に言葉を発した。
「おまえが大好き」
恋人の腕に力がこもった。オスカルは負傷した左肩を避けるように恋人の右肩に顎を乗せ、右腕の下と首の左側から背中に腕を回し身を預けた。恋人の両腕もオスカルの背中を抱きかかえる位置に戻ったが、居心地悪そうに腰をずらし、寝台に浅く座り直した。
「おまえ、足長すぎ」
オスカルの両膝が寝台に当たるので、胸から下は身体が寄せられないのだ。耳元でクスクス笑いながら、オスカルは膝を折り曲げて寝台の上に片方ずつ乗せた。すると、恋人は手早くオスカルの靴を床に払い落としてしまった。
そして寝台の上で軽く膝立ちになったオスカルの腰を強く引き寄せ、恋人はオスカルを抱きしめた。恋人の両大腿の付け根あたりに腰を降ろしたオスカルは、恋人のキュロットの下で熱く滾るものを下腹部でとらえた。
そのこと自体はもうオスカルを狼狽させたりはしない。むしろ、原始的な喜びが沸き起こるのを感じた。
肉の喜びをまだ深くは知らないにも関わらず、自分に向けられた男の情欲が嬉しい。他の男達から向けられるそれを、身の毛がよだつほど忌み嫌った自分であるのに、不思議だった。
恋人の腰を太腿でぴったりと挟み込むようにしてオスカルも恋人を抱きしめる。恋人の喉の奥から、耐えきれずかすかなうめき声が漏れた。
愛おしい。オスカルはしっとりと汗ばんできた恋人の頸にくちづけながら右の肩から肩甲骨をゆっくりと撫でた。皮膚の下で肩甲骨の突起が滑るように動くのがわかる。もう少し下まで掌を下げ、太い上腕を撫で上げた。
左側も包帯の上を触れるか触れないかのところで掌を滑らせた。一度は砕けた鎖骨、包帯の下から延びる頸の筋。触れるものすべてが、一度失いかけて取り戻した大切なもの。
顎の下まで触れ上げてからゆっくり降ろし両掌を胸の上まで滑り降ろそうとしたところで、それまでオスカルに好きなようにさせていた恋人が両手首を掴んで止めた。
「待って」
荒い息の恋人は懇願した。
「頼む、休憩しよう」
*****************
初めて触れられたわけではないのに、恋人の手が触れたあとの皮膚は、さざ波がたつように震えた。あるいは、言葉にやられてしまったのかも知れない。ぼくとつに彼女がつぶやいた『好きだ』は心臓を震わす威力があった。
愛されている。こんなにも自分は愛されているのか。
アンドレは恋人を膝に乗せたまま、息が落ち着くまで身じろぎせずじっとしていた。首元に恋人の息がかかるたびにざわざわと背中を撫で上げられるようにざわつく感覚に耐えながら。
外側の花びらから開花をはじめた初々しい恋人の官能に目眩がする。しかし、自分の中で荒れ狂うそれと、彼女の間にはまだまだ乖離があることを知った以上、制御が必要だ。なかなか厄介そうだけど。
恋人はアンドレの窮状を知ってか知らずが、動きを止めてじっとしている。ゆっくり、ゆっくりだ。アンドレは抱きしめる腕の力を緩め、恋人の背中にそっと掌を当てた。空気の薄い層を一枚挟んだくらいの触感で撫でると、恋人が適度に高まることは知っていた。
ただ、いつも(と呼べるほどの経験はないが)と違うのは、湯浴みのあと彼女はコルセットを着けていない。自分の方が先にノックダウンされるやも知れぬ。
恋人の引き締まったウエストは両手のなかにぴたりと収まった。その曲線を楽しんでから、アンドレは背中から脇腹にかけて、慈しむように交互に撫でた。恋人がはっと息を呑む。その耳元にアンドレも囁いた。
「大好きだ」
月明かりの下、恋人の唇がそっと微笑んだのが見えた気がした。少しずつ、掌が描く円は大きくなる。脇の下近くを親指が通ると恋人はくすくす笑って身をよじった。そのたびに充血した男の持ち物が刺激され、頭の片隅で火花が散る。
恋人の息も少し早くなった。背中をなで下ろすたびに、彼女が気づかない程度にキュロットにたくし込まれたブラウスを引いた。何回かそんな隠密行動を繰り返し、手を差し入れるのに十分なくらいに裾がキュロットから引き抜かれると、頃合いを見計らって素肌に触れた。
恋人の腰が小さく跳ねる。
あ・・・あ、そうだ、これが恋人独自の肌のきめだ。これだ。触れれば決して他人とは間違いようのない肌触り!視力を失ってから、指先でものを見分ける感覚を研ぎ澄ませてきたアンドレの知覚が、出動前夜に触れたあの肌だと狂喜している。これが最後と万感の思いを込めたあの夜に。
皮膚の真下には鍛え抜いた背筋が垂直に通っている。その中心にはすっと一本通る美しい曲線を描く溝。何度か撫で下ろしてからキュロットの上から臀部まで掌を滑らせる。間違いなく女性の持つまろやかな線を手が捉えた。
少し掌を上に滑らせ、張りのあるみずみずしい皮膚の下に等間隔で並ぶ肋骨を一本一本確かめた。恋人はもう動かずじっとアンドレの胸に顔を埋めている。ときおり乱れる呼吸は次第に大きくなった。
形の良い肩甲骨の下角に到達したとき、アンドレはそこで手を止めた。この下のどこかに病魔が潜んでいる。両手で包み込むように置いた掌から、ぬくもりで病魔を溶かしてしまえたら。
祈る場所には相応しくないことはわかっていた。それでもアンドレは恋人を胸に抱き、祈らずにはいられなかった。神よ、どうか愛しい人を病からお救いください。教会は否と言うだろう。けれど、愛する人を最も愛すこの瞬間と、祈りはむしろ同質なのだとアンドレの自然の叡智はそう言っていた。
************
オスカルは波のように寄せては帰す甘い感覚に身を任せていた。背中の愛撫は強すぎず、ぼんやり受けていても安心していられた。恋人の心臓の鼓動を聞いていると、ふわふわとどこまでも漂流していきそうだった。
うっかり意識を手放しそうになるたびに、恋人の指が脇の下あたりをなぞるので目が覚めた。そのうち大きな掌はウエストまで降りてきて、愛撫の熱量が上がった。下腹にズンと衝撃を受け思わず恋人を見降ろしたら、耳元で低く囁かれた。
「大好きだ」
幸せに溺れてしまいそうだ。誰に何と誹られようと、もうこのままどうなってもいい。そう思ってオスカルは思い出す。もうわたしたちは社会的にも夫婦だった。堂々と、どうにでもこうにでもなっていいのだ。
急に恋人の手の感触が変わった。いつどうしたのか、気がつかないうちにブラウスはキュロットから引き抜かれ、恋人の掌は裾の下から直接素肌に触れていた。ざわざわと皮膚の細胞が騒ぎ出す。
たった布一枚でこうも違うものか。恋人のためにコルセットを着けなかったものだから、すでに素っ裸の気分だ。恋人は、掌の感触を楽しむように肌と戯れている。布の抵抗がなくなった分、オスカルの肌の上で掌が滑りよく動いている。
この感触は嫌いではない。彼の手である限り、むしろ気持ちがいい。ただ、安心して身を委ねてしまうのは危険な予感がする。すべらかに動く恋人の手はいつかもっと奥まで探検に出かける。確かな予感だった。
大きな掌が次に動く方向を、オスカルの皮膚は期待を込めて待っている。まだ触れられていない身体の前面のほうまであちこちでちりちりとうずき始めた。
安らかな愛撫は終わったのだ。この先は次第に熱波に呑まれていくのだろう。そう思うと胸が高鳴った。そんな新しい自分も嫌いではない。刻一刻と敏感に反応する身体が吹き飛ばされぬよう、オスカルは恋人の胸にしがみついた。
つと、恋人の手が止まった。訝しく見上げると、恋人の眉間は苦しげにゆがんでいる。滑らかに肌の上を滑っていた両手はオスカルの肩甲骨下をくるむような形で静止し、きゅっと胸に抱き込まれた。
恋人はそのまま動かなくなった。オスカルもしばらく待ってみた。とく、とく、とく、と恋人の心臓だけが音を立てる。誰よりも大切な人が生きている証の音。恋人も背中から自分の鼓動を聞いているのだろうか?それにしてはこの苦しそうな表情は。オスカルは恋人の名を呼んだ。
「アンドレ」
うん?と頸を傾げて見せた恋人の口元にはたちまち微笑が浮かんだが。その変わり身の早さにオスカルは恋人に去来している何かを理解した。
両頬を手で挟み、オスカルは恋人を引き寄せた。何度も何度もくちびるで恋人のくちびるを食んだ。おまえを置いて逝きはしないと、言葉で約束できぬ分、込められるだけの愛を乗せて。
重ねるだけのくちづけに恋人が熱くなった。片腕でオスカルの後頭部を抱え込み、もう片手で耳をなぶる。オスカルも知らなかった弱点を優しく責め立てられると、背中から下腹までいかづちが走る。舌を求めて深く絡みあうくちづけの火蓋が落ちた。
**************
セキレイのつがいが、窓枠の外ででツツッと鳴いた。やっぱりオスカルのために餌付けしてみようかな、とアンドレは半分眠ったまま、ぼんやりと考えながら大きく伸びをした。あ、左肩痛いけど前ほどじゃないな。あれ、何で右肩まで痺れているんだろう。
薄目を開け一瞬戦慄する。アンドレの目にも夜が明けきっていることがわかるほど室内が明るい。やばい、寝過ごしたか!?
ガバッと起き上がろうとして起き上がれないのが、右側の腕から胸にかけて人ひとり乗せているからだと気がついて心臓が止まりそうになる。
この髪はオスカル?しまった、マルタが起こしに来る時間を過ぎている?だめだ、もう間に合わない!万事休すか!?
ところが、胸の上の人は暢気にうーん、とあくびをしながらアンドレの上にうつ伏せに寝返ると、右腕でアンドレの胸を抱き、不平を言った。
「眠い・・・ぞ」
アンドレははた、と我に返った。部屋が明るいのはカーテンが薄いからで、侍女は来ないし、そもそもここは狼谷村の家。で、一昨日結婚式をあげたばかり。ここは、ジャルジェ邸のオスカルの寝室じゃなかったんだ・・・!
ほーっと長いため息をついて、胸を撫で下ろそうとしたが恋人が乗っかっているので、代わりに彼女の乱れた髪を撫でた。心臓に悪いほどの安堵ってあるんだな。と、間抜けたことを考える。
「起こしちゃったな、ごめん。まだ寝ていろ、オスカル」
とりあえず、鳥の食事より先にオスカルに何か用意して、午後からの出勤に備えて・・・と忙しく頭の中で段取りを始めたアンドレが、新妻の腕を胸元から外そうとした途端、その腕で首をぐっと抱き込まれた。
「おまえもだ」
新妻はそれだけ命令すると、どこにも行かせないとばかりに右足をアンドレの腹と下腿に巻きつくように大きく乗せてから、すうっと寝息を立て始めた。こいつ、寝ぼけていてもちゃんと現状把握しているんだ、凄いな、しかも、もう寝てるし。
と変なところに感心してアンドレは頭をとすんと枕の上に戻した。起こさないよう気をつけながら、右手でまた新妻の髪を撫でながら、遅ればせながら、じわじわとアンドレも今の現状の把握を始めた。
おれたちが、同じ寝室で朝まで一緒に過ごすことは、もう誰が見ても当然なんだ。貴賤結婚だ、何だと、異議を唱える向きがあったとしても、結婚の秘蹟を受けた以上、誰にも手出しができないんだ。
誰にも隠さなくていい、人目を避けなくてもいい、見つかることを恐れなくてもいい、引き離されることを心配しなくてもいい、手打ちにされることで最愛の人を泣かす可能性を考えなくてもいいんだ。
毎日、朝まで抱いて眠って、同じ寝台で目覚めるのか。これからずっと。たまの喧嘩で寝室から閉め出される日以外は。
初めての夜と夜明けに、神に感謝したっけ。これ以上望むものはありません、と。当然だ。今朝のこの幸せを知らなかったのだから、望みようがなかった。
だんだん泣けてきた。左の手の甲で涙を拭ってみたが、ダメだ止まらない。いっそ、大声で吠えまくりたい。幸せだ、幸せだ、幸せだ。
いろいろ重たい課題だらけだけれど、幸せでいるのにそんなの関係ない、って凄いことだ。もっと凄いのは、この奥さん。この状況をあったりまえのように享受して眠りこけている。これなら、病魔も裸足で逃げるというものだ。
アンドレは両手で顔を覆い、声を出さずに泣いた。ぺしっと額を叩かれるまで。
「聞こえないのか、アンドレ、何を泣いている」
アンドレの胸を枕にしていた新妻がむせび泣きの振動に気づかないはずはなく、次第に激しくなる嗚咽に起き上がり、観察していたのだ。アンドレの両手が自由に動かせたのもそのせいだったのだが、幸せに浸るのに夢中で気づかなかった。
「あ”・・・?」
「どうした?」
どうした、と聞かれても胸がいっぱいなのであるからして、即答できるものではない。そこは幼馴染み歴27年の新妻も心得たもの。数秒の観察の結果、悲嘆の涙ではないことを見て取って、無慈悲に額に一発お見舞いしたのだった。この男の泣きを一番数多く側で見てきたのは伊達じゃない。
返事の替わりに両腕を伸ばしたら、新妻は黙って胸に納まってくれた。いわゆるあれだ。言葉は必要ない、というやつだ。おまけにキスの雨で涙を吸い取ってくれた。
彼女が胸元にしっかり巻き付けているシーツを取り去りたい誘惑に駆られたが、明るい室内でそれをするのは妻のために我慢した。お返しのくちづけは、朝仕様よりは少し濃厚にするに留めおき、人心地ついた。
「初めて一緒に迎える朝に感動した」
**************
初めてではないだろう?と何の気なしに返したら、全然違う!と珍しくムキになる夫に、なぜか出会った頃の幼い姿が重なった。大の大人が涙目で、鼻先もほんのり赤くしている様子が何とも可愛いくて、オスカルは顔中にキスを浴びせた。
昨夜の男と今朝の男が同一人物とは信じがたかった。オスカルから、オスカル自身が知らない女をこれでもかと引き出し、翻弄した男が、今朝は幸せすぎるとべそをかいている。
幸せで泣いているのなら、好きなだけ泣くがいい。本当は、どこであんな技を覚えたのかを問いただしてやろうと思っていたオスカルだが、武士の情けをかけてやることにした。
「夜明け前にベッドを離れるのと、今朝こうしていられるのと。違うんだよ、全然別物なんだって」
夫はまだ涙目で、違う違うと子供のように主張する。それが泣くほど嬉しかったのか。オスカルは伸び上がって夫の頭をかき抱き、撫でてやった。自分にはいざとなれば、使いうる権力があり、財力もあり、切り抜ける手段があると高をくくっていたのかも知れぬ。
オスカルの想像以上に、彼にとって伯爵令嬢と愛し合うことは、刃の上を渡るような日々だったのだろう。今朝の目覚めが幸せだったのはオスカルとて同じこと。だから、早起きしようとする夫を引き留めた。しかし、ふたりには明確な温度差があったのだ。
「そう・・・だな」
悪かった。思い至らなかった。これから少しずつその差を埋めて行こう。つんとした痛みが鼻の奥を刺し、オスカルも涙声になる。おまえまで泣くなよ、と抱き返され、大丈夫だから、と瞼にキスを貰って。夫とは違うポイントで泣けてきたことは、今は言わないでおくことにした。
「よし、今日はベッドを注文しよう」
オスカルの夫は切り替えが早い。もう本日の段取りに意識を向けている。オスカルとすれば、昨夜の今朝でまだ少し気恥ずかしいのに。そんなことより早く帰ってこいと言うのも何だか照れる。今日は夫のみ出勤だ。
「おまえが落ちるのではないかと気が気じゃないから」
「落ちるものか」
「じゃ、おれのために。ひとり用の寝台じゃ毎晩おまえを襲いそうだから」
「ぶっ」
そんなことを言いながら、夫は手早く身支度を終えていた。これから洗面やら朝食の支度をしてくれるのだろう。ふたりの朝寝が泣くほど幸せだと言っていたくせに。新しいシャツを着終えた夫が、もう一度抱かせてと腕を広げた。
「う~ん、離したくないなあ」
「では、わたしも行こう」
「だめだ。ちゃんと食べたらまた寝ること」
「ひとりにしてみろ、泣くぞ」
「泣き落としはおまえの戦法じゃないよ。説得力ゼロ」
「泣き脅しならどうだ」
「それは・・・あったな過去に」
え?いつのことだ、それは?オスカルが返答に窮した隙に夫は身を離して立ち上がった。
ジャルジェ家で、わずかな隙間時間の逢瀬を心の糧にしていた頃、一番辛かったのがこの瞬間だった。
離れがたいのは今朝も同じで、ふたりだけの時間が足りないのも同じでも。別れ際のくちづけは、全く違う。明るく軽く爽やかで、少し官能の味がした。この変化に関しては、ふたりの間に温度差はなさそうだ。
「ベッドはいいから、早く帰って来い」
言ってみれば、正直な気持ちを伝えるのはわりと簡単だった。夫は笑って頷いた。それが、早く帰るという意味なのか、じゃあまた襲うぞと言う意味なのか、今夜まで謎のままにしておこう。
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COMMENT
続きありがとうございます!
直情的で素直なオスカルさまと従者根性が抜けきれないアンドレの愛の物語。
いつまでモダモダしてるんだ~長年幼なじみやってて、今は夫婦だろ!とアランなら渇をいれてくれそうな気もしますが、この お互いを思いやりすぎてすれ違ってる感じがたまりません!
まさに純愛(^.^) いつまでも飽きることなくハネムーンを楽しむのでしょうね。 シーツぐるぐる巻きのオスカルさま、かわいいです!
武士の情け…なちょっとジェラシーオスカルさまも。
幸せ噛みしめて泣いてるアンドレも(*^^*)
直情的で素直なオスカルさまと従者根性が抜けきれないアンドレの愛の物語。
いつまでモダモダしてるんだ~長年幼なじみやってて、今は夫婦だろ!とアランなら渇をいれてくれそうな気もしますが、この お互いを思いやりすぎてすれ違ってる感じがたまりません!
まさに純愛(^.^) いつまでも飽きることなくハネムーンを楽しむのでしょうね。 シーツぐるぐる巻きのオスカルさま、かわいいです!
武士の情け…なちょっとジェラシーオスカルさまも。
幸せ噛みしめて泣いてるアンドレも(*^^*)
まここさま
おバカカップルの回になりました。
温かく見守ってくださってありがとうございます。
従者根性はもうぬけないでしょうね。
アンドレ君、最後救済しました。
まだ性懲りもなく続きますので、
良かったら是非お付合いくださいね!
おバカカップルの回になりました。
温かく見守ってくださってありがとうございます。
従者根性はもうぬけないでしょうね。
アンドレ君、最後救済しました。
まだ性懲りもなく続きますので、
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