23.同じ空の下5 

2024/07/12(金) 暁シリーズ
1789年8月4日

アンドレが中央指令室へ出勤するようになって一週間余り経った。彼は毎朝、衛兵交代直後に前日の業務報告を届けさせてくれる。

病室にうんざりしたわたしが司令部に押しかけるのを未然に防ぐために、師団の状況を詳細に報告する作戦だろう。作戦は大成功で、その有難くも憎たらしい報告書が届くのをわたしは毎日待ちわびている。

彼の手書き文字は美しく読みやすいので、公文書の清書は昔から彼の役目だった。今、視力を失ってなお、彼はより文書を整然と美しく仕上げる。文書の作成者が盲目であると言っても誰も信じまい。

丁寧に定規をあてがって文字を綴る作業には倍の労力がかかる。だから、彼は一語一句を厳選した簡潔な文を心がけるようになった。その結果、彼の文書は読む側の時間をも節約する。

しかしひとりで時間を持て余す今のわたしには、実はもの足りない。情報伝達の精度が日々研ぎ澄まされていくさまには目を見張るものがあるが、事務的過ぎる。

しかも、めったに私信は入っていない。アンドレの全力を尽くした報告書であることを知りながら、わたしの要求は限りなく贅沢になる。習い性とは恐ろしいものだ。

勝手な不満一杯のわたしだったが、あるときあることに気が付いた。アンドレは紙束の余白部分を使ってわたしにメッセージを送っていたのだ。

例えば。
わたしの勤務計画案が届いた日。二案ほど目を通し終える頃には、わたしはすっかりそのふざけた計画に腹を立てていた。わたしの嫌いな『現場不在司令官』用の勤務計画案だったからだ。

しかし、三案目のページの前に突っ込まれた参考資料を見た途端、脱力した。そこにはかのタコ親爺、もとい上官だったブイエ将軍を含む名だたる将校殿の勤務実績が過去五年にわたって一覧にまとめられていた。

優雅なお仕事ぶりは散々この目で見てきたわけだが、いざ数字で可視化されると、そのいい加減さは圧巻だった。

これだけ鋭気を養う余暇をお持ちであれば、お顔の艶もよろしくなろうというものだ。

おっと、いけない。皮肉るのは主旨ではなく、つまり。

『お偉い御仁でさえ、このふざけた勤務日数で最低限の義務を果たしている。ならば、週二日勤務であろうが隔週勤務であろうが、おまえにできないはずはない』

と、奴はしっかり釘を刺してくれているのだ。

いや、むしろ煽っている。さあ、やってみろと。出仕日こそ少なくても、彼の作った計画通りに動くなら、小隊、中隊、大隊ごとに指示と報告が行き届くように練り上がっている。

これではできないなどと、絶対に悔しくて言えない。それどころか余裕でこなしてあいつの鼻をあかしてやりたくなる。完全に乗せられているな。全く嫌になるほどわたしを良く知っている。

かくしてわたしは譲れぬ点数箇所にチェックを入れただけで、週休四日という言語道断のスケジュールを、苦笑交じりで承諾した。

こんなのもあった。

わたしの復帰後、アンドレは常時四人のガードが付くように手配してくれた。身元調査済みの兵士が私の管轄下の中隊から一人ずつ選出されるのだが、人選は当日に行われる。何某かの陰謀に護衛の立場を利用されないための措置だ。

三万の一般市民が集結した国民衛兵隊である。内部の人間に注意を怠る訳にいかないのは当然だとしても、四人も引き連れて歩くのは気が重い。断固異議を表明するつもりで次のページをめくると、何ページもの有給専属兵士と市民登録兵との諍いの記録が現れた。

ガードの一人を斥候に出したとき、わたしと他のガードが一対一にならないために必要なのは最低三人だが、有給専属兵と市民兵のバランスをとるためには四人必要だとアンドレは主張しているのだ。

やれやれ、商店街の親爺と一日中顔を付き合わせることになるのかと辟易しながらページをめくると、次に目に入ったのは但し書きつきの各大隊長、中隊長、小隊長との面談スケジュールだった。

『師団長のガードを努めた人物は面談の必要なし』
なるほど、効率化を図ったな。

その後に市民の小競り合いや、貴族への私刑行為のレポートと衛兵出動記録と続けば、彼が深くわたしの身の安全を憂慮していることが伝わってくる。そして多分…、自らが護衛できない現状を突破しようとしている。

それなら、わたしも意識を変えねばなるまい。アンドレが常時そばにいたときには注意を払う必要がなかった側面をきちんと自覚して行動しよう。つまり男の群れの中でひとり女であることを常に忘れない。それでいいか?

ページをめくるたびに、アンドレと対話しているかのようだった。興味の向くまま拾い読みし、書類の順番をでたらめに入れ替えてしまった初期の方告書を、わたしは口惜しい思いでめくり返した。

せっかくのメッセージを受け取り損なってしまったではないか。ページ番号くらい打っておけ。相変わらず変なところが抜けている。

番号のかわりに、毎日どこかのページの片隅に∞が小さく書き込まれていた。全然足りないぞ、大馬鹿野郎。それにわたしの方は、見えないおまえに気持ちを伝える術がない。

さて、わたしの感傷は脇に置くとして、体調は安定してきた。師団の組織化も整いつつある。国民衛兵隊内の緊張がこれ以上進行する前に復帰したいと考えたわたしは、その前段階として、ダグー大佐とル・フォージュ少佐を招聘した。

プライベートな昼食会であるが、二人を正式に参謀として任命するために、腹を割って話したかった。

マロン館に移ってから、アンドレが吟味に吟味を重ねた末に選んだ料理店『銀杯』から食事を取り寄せている。彼の超我儘な選択眼に適っただけあり、少量でも滋養が摂れる献立でわたしの体調回復に大いに寄与してくれた。

大の男には物足りないかも知れないが、昼食会用の料理もそこから届けてもらうことにしたが、ちょっとした問題があった。
いかに略式であっても一応は正餐であるのに、客を迎えるホストとして、クロス、ナプキン、食器の選択から配膳のタイミングなどを事細かに指示する技量をわたしは持ち合わせていない。

ジャルジェ家では何の指示を出さずともベテラン使用人が全て采配してくれていたし、母とばあやから、その方面の教育を一切受けて来なかったのだ。

アガットもリュシェンヌもよくやってくれるが、何分付き合いが浅く、詳細な指示なしには動けないだろう。じたばたしても始まらないので、客人が軍人なのをいいことに、野営地で食事をするとでも思ってくれ、と開き直ってしまうつもりだった。

わたしの開き直りはアガットを可哀相なくらい狼狽させたが、問題はあっさり解決した。訪問客と約束した時刻の一時間前に助手を連れた『銀杯』の店主が自らテーブルセッティング用品一式を携えてやって来たのだ。すべて言い付かっているからと、マロン館のダイニングに、『銀杯』と同じテーブルを再現してくれ、給仕までしてくれた。

わたしときたら、マロン館には食器も銀器も揃っていないことすら忘れていた。サーヴィスの心配よりも、まず鍋から手づかみで食事しなければならないことを心配すべきだったのだ。見当はずれもいいとこだ。

わたしにホストの役目ができるはずがないと踏んだアンドレが綿密な準備をしてくれたおかげで、昼食会は居心地よく進んだ。しかも、ワインを選ぶ仕事だけはわたしに残してあるという配慮つきだ。

『ワインはその場でお選び出来るように、各種お持ちするように承っております』と言われたときには怒鳴りたくなった。隠れていないでいい加減に出て来い、と。

おまえはいないのに、存在感だけがある。いるはずのない姿をつい探しては、わたしは子供のように泣きたくなる。

ともあれ、あわや野趣に溢れたサバイバル合戦となるかと思った昼食会は、ゆったりとくつろげる時間になった。ダグー大佐との再会を喜び、会話を通して経歴しか知らなかったル・フォージュ少佐の人柄を知ることもできた。

ル・フォージュ少佐とダグー大佐は親子ほども年が違う。わたしは、若くて自信に溢れるル・フォージュ大佐に、経験深いダグー大佐という組み合わせがうまくタッグを組んでくれることを期待している。

初めて会うル・フォージュ少佐は評判以上に強烈な印象の持ち主だった。彼はこの世で彼を好きにならない人間はいないと、本気で信じているし、そう公言してはばからない自信家だ。

不思議なことに、それがちっとも嫌味でない得な性分でもあると思う。曾祖父にトルコの王族がいると言う彼は伯爵の称号を持ち、真っ直ぐに切れ上がった太い眉が意思の強さを表し、シャープに整った顔立ちをしている。

しかし、良く動く人懐っこい真っ黒な瞳が豊かな表情を生み出し、肩で切りそろえられた濃い茶色の柔らかな巻き毛が冷たい印象を和らげているので、非常に親しみやすく感じた。ただ、あまりにもまっ黒な二つの瞳を見ていると、時折胸が痛んだが。

彼は快活でよく喋る好奇心一杯の青年で、新生国民衛兵隊においては最も重要な資質である変化を恐れぬ柔軟な心を持っていた。ダグー大佐はかつて否応なしに私の配下に付かされたにもかかわらず、女の上司を受け入れる柔軟性を持っていた。

年若い少佐に翻弄されることもあろうが、うまくやれるだろう。そして、二人とも互いから学ぶことができるだろう。こうして二人の参謀が決定した。一つ駒を進めることができたわたしは、本来の自分の力を取り戻しつつあった。

その夜。久しぶりに、深い眠りについていたわたしは、闇をつんざく少女の悲鳴で目を覚ました。急いで飛び起きると手近にある武器を探す。暗闇なら剣よりもピストルだ。

火器を掴むと、わたしは足音を立てないように素足のまま廊下に出た。すると、もう一度、同じ叫び声が上がり、すぐに口を塞がれたとおぼしき不自然さで声が途切れた。

リュシェンヌの声だ。二度目の悲鳴で、侵入者が階下にいることを確認したわたしは、足音を忍ばせ、壁に沿って廊下を進む。この屋敷の隠し通路を確認しておかなかった自分の迂闊さに悪態をつきながら。

階段を半分ほど下りたところで、暗闇の中から何やら揉み合うような気配が感じられた。それから硬いものにぶつかる金属音。近くだ。音の聞こえてくる方向を確かめると、わたしは力いっぱい床を蹴った。賊がリュシェンヌを傷つける前に取り押さえなければ。ああ、どうか間に合ってくれ。

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