One and Half Love Stories 6章 ★New★だけど再掲

2025/12/04(木) Trashy Closet様 掲載作品
翌朝。夜勤明けのフランソワは眠い目をこすりながら調馬場にいた。補佐が無くても自主練習ができるようになった彼は、厩の手伝いをすることを条件に隊長から施設使用の許可を与えられ、勤務前後の時間はここで過ごすことが多くなっていた。

乗馬練習を始めたのは幼馴染である想い人、ヴィルナを馬に乗せてやるためだった。気が強く頭の回転が早い勇敢な彼女である。自然と彼女が主導権を取るようになった幼馴染の関係性の中で、『優しいけれどちょっと頼りないフランソワ』である自分が、軍生活を経て頼もしい男に成長した姿を見せたかった。

彼女を馬に乗せ、力強いリードでパリを一周した後に、下馬を助けてやりながらその時こそはストレートに『好きだ』と告白しようと思っていた。もう、それも叶わない願いとなってしまったけれど。

今は、ただ頭を空っぽにするために馬の背に揺られている。凍てつく朝の調馬場で、規則的な鞍の上下運動にひたすら同調していると、終わりのない思考のループが解けて静かになるのだ。

大きな生き物の体温と息遣いを感じ、冬の大気に蒸発した馬の汗が靄となって立ち上る様子を見ていると、フランソワの悲しみも透明に昇華していくようだった。

『あの娘には装飾なしの直接的表現でなければ伝わらないぞ』

彼女とは一緒に育ったも同然だ。そんなことはアンドレに言われるまでもなくわかっていた。わかっていたけれど、わからないふりをしていた。頼りないフランソワのままで彼女に直面する勇気が無かったから、功を奏さない遠回しなラブレター作戦で外堀のまわりをぐるぐると回っていたのだ。

フランソワが怖気づいている間にヴィルナはさっさと養子縁組を受け入れた。ヴィルナが幼い頃から守られるよりも守る側の人間だったことを熟知していたフランソワは、彼女の決断を聞いた時も驚かなかった。

ただ来るべき時が来たことを深い悲しみを持って受け入れた。家族を何が何でも守るという彼女の決断をもひっくるめて、そんなヴィルナが好きだと思った。

養子縁組の実態はアンドレが教えてくれた。渋る彼に食らいついて聞き出したのは、ただ貴族の家に養女に行くという単純な話ではなかった。教育を受けた後の結婚は爵位を得るための形式的なものであること。

男爵夫人の称号を得た後は愛人として望まれることが多いこと。どれだけ大貴族の愛人になれるか、どれほど寵愛を得られるかによって人生の自由度が左右されること。聡明な寵姫の場合、従順な仮面を被りながら実権を握る場合すらあること。

『それじゃ、娼婦と変わらないじゃないか』
『実もふたもない言い方をすれば、正式な結婚だって同じだよ。女性は家の道具扱いだからね』

『ねえ、聞いてもいい?』
『今更いちいち断るなよ』

『あのさ、もし、隊長が結婚したら...それでも気持ちは変わらない?』
『はーっ...おまえ...聞くね。ああ、変わらないだろうな』

『他の男が...その...純潔とか...』
『そりゃ辛いさ。考えたくもない。だがな、純潔は軽んじるものじゃないが、愛さない理由にはならない。おれにとってはだけど』

『おれはさ、そのところよくわからないんだ』

失恋大先輩は、愚行を繰り返した挙句に三十過ぎてようやくそんな風に思えるのであって、おまえの年頃のおれは直情と所有欲だけで生きていたよ、おまえは大したガキだとフランソワの頭をくしゃくしゃと撫でてくれた。

今だって危険な男ナンバーワンじゃないかと絡んだら、おまえらのお蔭でなと首を羽交い絞めされたが。この先輩がいてくれて本当に良かったとフランソワは思った。お陰でヴィルナの旅立ちを子供っぽい感情で邪魔しなくて済む。

フランソワは彼が教えてくれた通り、馬が自然に減速するように上り坂道を利用しながら脹脛で馬の腹を抑え、重心を前方へ移動し厩舎へ向かった。そろそろ給餌の時間だ。

手綱だけに頼ろうしてよく叱られたが、四肢全てを使った意思伝達の感覚がわかって来てからは馬とのコミュニケーションもうまく行くようになった。

馬を厩舎に戻し、衛兵隊専属の馬丁の仕事を一通り手伝っても次の勤務まで10時間ほどあった。今夜は準夜勤だ。何も考えずに兵舎で眠ってしまいたいが、今日は特別な日だからきっと眠れないだろう。

ヴィルナのために少しずつ貯めていた馬賃が内ポケットに入っている。豪遊できる額ではないが、街に出てぱっと気晴らしするのもいいかも知れない。

フランソワはのろのろと重い足取りを引きずって厩舎を出た。すると、衛兵隊長の美しい白い愛馬と黒い牝馬を引いた失恋大先輩が厩舎に向かって歩いて来る姿が目に入った。フランソワを認めたのっぽの先輩はやあ、と手を挙げたがすぐに気遣わしげに首を傾げた。

「どうしたフランソワ?まるで幽霊屋敷の掃除夫みたいな顔しているぞ?」


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厩舎に馬を繋ぎに行ったアンドレが執務室に戻って来た。どこがどうとはっきり言える変化ではないが、先ほど本部前で別れた彼の様子と何かが違う。長年一緒にいる者にしかわからない微妙な変化の理由をオスカルは尋ねてみた。

「何かあったか?」

ここ最近、具体的に言えばポルシュロンへ出かけた夜をきっかけに二人の間の緊張感が何とはなしに解けた感があり、昔のように相棒が発する非言語的な表現にも気楽に語りかけられるようになった。

アンドレは指先まで神経を研ぎ澄ませる過剰な気の使い方をしなくなり、ふいの身体接触に対して熱湯でも浴びた猫のように飛び上がる-少なくともオスカルにはそう見えていた-ような過敏な反応もしなくなり、自然体でいられるようになっていた。

オスカルはこの嬉しい変化を新しい関係性の再スタートと捉えていた。ゆめゆめ幼馴染の安住に甘えてはいけない。これからは自分の方が二人の関係性をより真剣に考えるのだ。彼なしのオスカルはあり得ないし、オスカルなしの彼もあり得ない。

そのような明々白々な事実を第三者から指摘される自分なぞ、相棒のためにももうまっぴらだった。

オスカルにそう問われ、アンドレは三秒ほど迷った様子を見せたが見聞きしたそのままを答えた。

「厩舎にフランソワがいたんだが、生気のかけらもなくてね。聞けば、ヴィルナが今日修道院に入るらしい。読み書き作法の基本教育は修道院で奉仕の傍ら学ぶという言わばエコノミーコースだろう」

「昨日は何も言っていなかったようだが」
「修道院入りが急に決まって、見送りの機会すら作れなかったそうだ。だから、仲間内で話をする気にもなれなかったらしいよ。一班のノリの良さが時に辛い時もあるだろう」

「あれほど乗馬を一生懸命練習していたのに何もできなかった・・・か」
「ああ、おれも残念だ。まあ、乗馬ができてこの先困ることはないだろうし、ヴィルナも読み書きを勉強するのだから、あいつもこれから文字を勉強すれば手紙を... 」

オスカルに背を向けて本日の予定と連絡事項を確認しながら説明していたアンドレの首筋をぞわり、と羽が撫でるような悪寒が走る。これは...危険な兆候だ。おそるおそる危険信号の発信元方面を振り向くと。

「まだるっこしいな」

オスカルが執務机に両手をついて何もない机を凝視している。両肩から滑り落ちた黄金の髪は風もないのにゆらゆらと揺れ、体からは陽炎のようにもやもやと青いエネルギーが立ち上っているように見える。アンドレはごくり、と生唾を飲み込んだ。

「オスカル・・・」
「まだるっこしい…実に情けない!」

顔を上げたオスカルの目は据わっていた。やばい、導火線に何かの火がついたぞ。アンドレは後ずさった。

「一班の次の交代時刻はいつだ」
「ちょっと待て」

アンドレは最速で勤務表を確認する。
「10時間後、準夜勤だ」
「その修道院とやらはどこだ」

「えっと、確かサン・ジェルマンだったか」
「サン・ジェルマン・アン・レーの方か
、パリよりはるかに近いな。よし、いいぞ」
「よし?」

オスカルは立ち上がるとずんずんと歩き出す。アンドレは慌てて後を追いながら本日の予定表をかろうじて引っつかんだ。ついて来いとは言われなかったが、オスカルは全身でそう命じている。間違いようがない。

「フランソワはどこにいる」
「夜勤明けだから兵舎だろ、普通は」

アンドレは無駄と知りながら思いっきり恨めしそうに慈悲を乞う視線を投げかけたが、オスカルの慈悲はアンドレとは反対方向を向いていることは明らかだ。

「兵舎へ行くぞ。いや厩舎だ。わたしの馬に鞍はついているか?」
「ついたままだよ。今日は新兵募集予算会議が午後一番、それから次に参謀会議、会場が違うから小回りがきくように騎乗で来たんじゃないか」
「ふむ、好都合だ」

だから、何が何に好都合なんだよ!何となく察しはつくものの、アンドレは心の中で悲鳴を上げた。今日の午後スケジュールは時間ぎりぎりの設定だ。急な予定変更に対応できるだけの余地はない。

などと、少しでも考え事をしていると、前を歩くオスカルにたちまち引き離されてしまう。もうなるようになれとアンドレは捨て鉢になった。

オスカルに命じられるままアンドレは厩舎から馬を引き出し、二人は騎乗し兵舎へ馬を走らせた。兵舎の馬繋場にアンドレが向かった間にオスカルは早くも兵舎屋内にずかずかと入って行ってしまう。

「フランソワ・アルマン!いるかフランソワ!」

オスカルの声が響く。フランソワは一人食堂で遅めの朝食を摂っていた。他の一斑の仲間はすでに居室に引き上げて爆睡中だろう。フランソワは隊長の突然の来訪に慌てて食堂から顔を出す。

「隊長?」
「そこにいたか!すぐに外に出ろ!」
「?」

フランソワは訳もわからずあたふたと表に急いだ。眠りに就いたばかりの一班メンバーを初め、非番の兵士達が兵舎になぞいるはずのない隊長の声を聞きつけ、わらわらと居室から出て来る。

兵舎をすたすたと出ていこうとしている隊長の後ろ姿と後を追うフランソワ、出入り口付近で困り果てているアンドレを認め、娯楽に飢えた兵士たちは夜勤明けの睡眠不足などものともせずに寝起き姿のまま彼らのあとに続いた。

これは何かきっと面白い事が起きるに違いない。ほうほうの体で後を追う二人の男のあとに寝起き姿の兵士数十人を引き連れたまま、オスカルはわき目もふらずに大股で馬繋場へ向かった。そして目的地に到着するとゆっくりと振り返った。

「フランソワ」
「は、はいっ!」
「わたしの馬を貸してやる。今なら追いつくだろう。ヴィルナを追え」
「はいっ!・・・・・・・・・え~~~~~っ?」

フランソワは蒼白になった。これは…命令?膝下がかくかくと音を立てる。隊長を見ると、確信犯以外の何物でもない目つきでフランソワにぴたりと照準を合わせている。

「追いついたら思いのたけを洗いざらい告げるのだ、さあ早く!」
「た、隊長!待ってください。おれは…」

フランソワの頭の中は真っ白にバーストした。集まって来た一斑と他の隊員たちは何事かと成り行きを見守っている。時も選ばず衆目を集めてしまったこの場でフランソワに大きな決断を迫るなんて、なんて無茶な要求をする。アンドレはオスカルに歩み寄った。

「オスカル、これは誰かに言われてできることじゃない。無理強いされることでもない。彼が決めることだ」
オスカルはちらとアンドレの方を見やったが、すぐにフランソワに視線を戻した。

「なるほど、確かに筋の通った意見だ。では、おまえの決断を聞きたい。わたしの従者が随分とおまえのために時間を割いているようだが、その労力に見合った結論であって欲しいものだが、どうだ?フランソワ」

オスカルが意図的に理不尽な上司のモードに入った。アンドレはすぐにそれを察知し、これ以上口を挟まないことを決めた。彼女は感情で動いているのではなく何か意図があるようだ。

そうとわかれば任せておいて大丈夫という信頼がある。自分が何かのダシに使われていることはひとつ貸しにしておくとして。しかし、こうも威圧的に凝視されたらフランソワにかかる精神的圧力は相当な重みだろう。しかも大勢の隊員達に取り囲まれているのだ。

「すみません。アンドレに甘えすぎていました」

今にも消え入りそうな声でフランソワがやっと答える。オスカルは表情ひとつ変えず無言で先を促した。この無言が持つ迫力をオスカルは自分で知って使っているのか、いないのか。

アンドレにも定かではなかったが、フランソワがちらりと救いを求めるように目線を合わせて来たので、アンドレは大丈夫、正直に思ったままを言え、と小さく頷いて見せた。

フランソワはしどろもどろで言葉を探す。

「ア…アンドレには助けてもらいました…。でも、おれの力でヴィルナを、ヴィルナと彼女の家族を支えることはできません。おれにも家族があります。こればかりはどうすることもできないんだ…。

だから、せめて彼女が養女になる前におれをずっと覚えていてくれるような思い出を作りたかったんです。それだけが望みだったのに、彼女の修道院入りが急に決まってそれもできなくなった。

だから、もういいんです。もう出来ることはなにもない。アンドレを振り回したことは謝ります。すみませんでした」

フランソワは頭を下げた。可哀想に、これでは傷にただ塩を塗り込むだけだ。皆の前に引きずり出して―まあ野次馬どもは勝手に出て来たのだが―公開裁判のような仕打ちがオスカルの意図ではないはずだが、どうするつもりなのだろう。アンドレの無言の独白が聞こえたかのようにオスカルはいきなりアンドレの方を向いた。

「成る程。フランソワの意思はわかった。アンドレ、おまえもただ振り回されたのではたまらないだろう。せっかく彼に乗馬の手ほどきをしてやったのだ、それを生かして…」

オスカルは再びフランソワに向き直った。

「ヴィルナを支えたい、思い出を作りたい、という二つの望みを果たして来るのはどうだ?今からでも遅くはないぞ。アンドレを無駄に使ってもらってはわたしも困る」

おれは一向に困ってなぞいない。減るもんじゃなし。おれを好き勝手に使っているのはおまえだろう。だんだんアンドレにはオスカルの意図が読めて来た。今日は大変な一日になりそうだ、とも。

「今からって…ど、どうやって…」
「さっき言っただろう。彼女を追って思いのたけを告白して来い」

フランソワの目に生気が戻った。オスカルの無茶苦茶な要求に怒りが生じたのだ。大事な時期にいるヴィルナの気持ちをかき回すようなことなどできるもんか。いくら隊長でもそんなことを強いる権利はない。

フランソワは初めてオスカルの瞳を真っすぐ見返した。それを捉えたオスカルはにっと唇の端を上げて不敵な笑みを浮かべた。そうだ、フランソワ食らいついて来い。吸い込まれそうな深い青い瞳に見詰められても、今度はフランソワも怯まなかった。

「それが、どうしてヴィルナを支えることになるんですか?ヴィルナは…、これから修道院で淑女教育を受けるんです。それは彼女にとって、とても辛いことなんだ。だけどおれに彼女を幸せにできる力がないから…あいつは他の誰かのものになる。悔しいです。

それに彼女は家族と別れて今一番辛い時なんだ。そんな時に彼女の気持ちを騒がせるようなことをわざわざ言いになんか行けません!アンドレには悪いけど、アンドレの協力を無駄にしないためにそんなことするなんて、おかしいです!」

言い募るほど、フランソワに力が戻って来るようだった。それが狙いであることは承知のアンドレが『最後のところは至極その通りだよな』とこっそりぼやいたのをしっかりとキャッチした地獄耳隊長は従卒のつま先を思い切り踏んだ。

「アンドレ!」
「は、はいっ!」

「おまえもそう思うか?こいつに協力したのだろう?だったら事情はよく知っているはずだ。おまえの見解も聞いてやろう」

事情なら、おまえも知っているくせに。はいはい、わかりました。フランソワを単独血祭りに上げるのは余りにも気の毒だからおれも道連れにしてくれるって?いやあ、優しいな隊長。

この無言の独白も隊長に筒抜けと分かっていたが、アンドレは真剣に正直なところを答えた。

「修道院生活の前に、フランソワは彼女を馬に乗せて楽しい時間を贈りたかった。それが叶わなかったのはおれも残念だと思う。だが、こいつが彼女に寄せる思いを告げなかったのは、彼女のために熟慮した結果だろう。それは尊重するべきだ」

「成る程、概ね本人と同じだな」

オスカルは腕組みをし、目を閉じた。集まって来た非番の兵は誰一人去ろうとせずに次の展開を待っている。くそ、こんなに野次馬を集めてしまったのは失敗だった。許せ、フランソワ。

しかし、おまえには少々きついだろうが、おまえの覚悟を決める為にはこのギャラリーの存在も追い風になるかも知れないぞ。オスカルは腹に力を込めた。

「つまり、好いた女の幸せを熟慮したということか?」
「普通はそうだよ」

アンドレが答え、フランソワは唇をかんで黙っている。
「そこの野次馬ども!おまえ達はどうだ!好きな女は自分の手で幸せにしたいか!」
急に自分たちにふられた野次馬兵はどよどよとざわつき、顔を見合わせる。

「そりゃ、そうだよな」
「聞くほどのことなのかねえ」

何でそんなことをわざわざ聞くのだ、という反応はあちこちで上がったが異議ありの手はひとつも上がらなかった。それを確認したオスカルは全員を見渡した。

「兵士諸君、良い機会だから言っておこう。君たちの大変結構な心意気は良くわかった。だがな」
オスカルはそこで言葉を切り、大きく一呼吸した。

「女を舐めるな」

WEB CLAP



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