*注意* 映画ならR-15指定になる言葉を使っています🙏 男女の絡みはありません
恋文未満のソネを無事ヴィルナへ手渡したフランソワは、手応えを感じたようだった。次の休暇には第二弾を渡したいと渋るアンドレに構わず纏わり付いていたが、十二月の声を聞く頃になると、見るも無残な憔悴ぶりを見せるようになった。
もともと栄養失調気味であったところに加えて青白い頬はこけ、皮膚は光沢を失い、眠れていないことを示すくまが目の下に現れている。
小うるさく頼られている間は、適当に突き放しもしていたアンドレだが、抜け殻のように憔悴したフランソワを放っておくにはあまりにも忍びなく、周辺状況を調べてみることにした。
状況を正しく知ることが、気持ちの整理に役立つこともあるからだ。かつて、オスカルの縁談が破談になった時、ジャルジェ将軍がふとアンドレに実情をぼやいたことがあった。
表向きはジェローデル家から破談申し入れだったが、実は当のオスカルが勘当をも辞さない覚悟で縁談を蹴ったのだ、と。がっくりと肩を落とした将軍には申し訳ないと思いつつ、その事実はアンドレを救った。
「で、どうだったのだ?」
報告も兼ねてオスカルの部屋を訪ねると、珍しくオスカル自身が扉を開けてくれた。一兵卒の恋愛模様など、隊長が懸念することではないが、調査にあたってジャルジェ家専従の諜報部員を使わせてもらったので、アンドレは進捗を報告するようにしていた。
しかし逐一報告する本当の理由はほかにあった。内密に行動すると何故かオスカルが不機嫌になったし、アンドレも妙ちきりんな後ろめたさを覚えるからだ。
アンドレが罪悪感を持つ筋合いも、オスカルが拗ねる理由もないのだからして、何か不自然な状態であることは双方とも自覚していた。ただ、そこを深堀するのは大層危険な香りがするので、二人ともあえて触れないようにしている。
その道の経験者が見れば、浮気がバレた亭主が、関係修復のために女房に逐一行動を報告する、あの何とも肩身が狭い状態と同じに見えただろう。浮気どころか、生殺し状態のアンドレには気の毒な限りである。
「どうも、こうもあまり明るい話ではなかったよ」
アンドレはデカンタージュしたワインをグラスについでオスカルに手渡すところまでは美しい所作で従者として振る舞い、その後は友人の顔に戻って定位置の窓枠に寄りかかった。
「オッフェンバック男爵を調べてみたが、どうやら破産寸前のようだ。パリに不動産を二、三持っているが借金の担保として差し押さえられていて、期日までに債務が処理できなければすべて手放すことになる」
「フランソワのヴィルナはその沈没しかかったオッフェンバック家の養女に望まれていると?」
「うん」
「・・・そうか、ではほぼ間違いないな」
「ああ。オッフェンバック家はヴィルナを養女にし、貴族の娘として彼女を見初めた誰かの家へ嫁がせて謝礼を得る。よくある話だ」
よくある話。
アンドレはさらりとそう言ってのけたが、彼が窓の外を眺めるふりをしながらきりりと唇を噛みしめるのをオスカルは見逃さなかった。一気に飲み干したワインは古い酢のようだ。フランソワ青年に伝えてやりたい話ではなかった。
🍷 🍾 🍷 🍾
ヴィルナが貴族の養女に望まれている。承諾すれば、彼女の家族の生活は保障されるが、彼女自身は今後一切家族と縁を切らねばならない。
とつとつとフランソワがアンドレに話したのはそれだけだった。詳細は何も知らないのだろう。知ったとしても、事態は彼の手の届かない所で動いて行く。
ただ、家族と縁を切るとは、過去一切を切り捨てて別の人間になるという意味だと彼も理解しているようだった。つまり、フランソワも彼女の過去として消えねばならない。
「良かったんだ、それでさ。彼女はいいところのお嬢様になって、家族はもう飢えることがないならさ。酒場で男に体触れさせるよりよっぽどいいに決まってるよ」
自嘲気味にそう笑ってみせる青年の瞳は笑っていなかった。しかし、飢えを知る青年だからこそ、彼女の選択の重さを理解していた。それ以上のものを自分が彼女に与えられないことも。
「そうかも知れない・・・な」
他に何と言えるだろう。アンドレはフランソワ青年から見れば飢えを知らぬぼんぼんだ。恋した相手が伯爵令嬢だったために求愛を許されぬ立場にいるが、もし恋人が平民の娘ならその家族を丸ごと支えてやるくらいの貯えもある。
身分を超えて誰かを愛し続けるために支払う代償の大きさなど青年に語ったところで何にもならない。
「ヴィルナはきっと受け入れるよ。親と妹を助けられるなら何でもできる。そういう娘なんだ」
「強い子なんだな」
「最強でかわいいんだ」
アンドレは黙って青年の背中を優しく叩いた。
一方、オスカルは何度も喉元までせり上がる『私が援助してやろう』という一言を押し殺していた。それは、部下に対し公平、中立の立場を貫かねばならないオスカルには許されないことだ。
経済的困窮や病といった家族の問題を抱えているのはフランソワ青年だけではない。ロザリーを拾った時とは状況が違うのだ。
オスカルは己の無力さが悔しかった。一方、一兵卒の恋が破れることがたまらなく切なかったり、恋愛小説に涙したり、自分の心は今までに見たことのないほど揺れている。オスカルは見えそうで見えない自分の変容にいら立っていた。
アンドレはと言うと、もう一度フランソワのために最後の手紙の代筆を引き受けてやるつもりでいたので、一度客を装ってヴィルナの働くキャバレーを尋ねてみようと思い立った。
オスカルに報告の義務はないものの、フランソワのために調馬場使用許可を出してもらった手前、後でバレた場合の気まずさを考えると無断で出かけることははばかられた。
そこで一報したところ、アンドレの恐れていた通り、市民生活に一層興味を示すようになったオスカルに同行を要求された。目立たずおとなしくしている約束は取り付けたが、果たして彼女にそのような芸当が出来るとはにわかに信じがたい。アンドレは、その日まで極力体力の温存に努めようと決意を新たにした。
💃 🍷 💃 🍷 💃 🍷
右から三番目、小柄なブルネット、どんぐりまなこは緑色、黄色の小花模様のドレスに緑色のリボン。一つだけの目を眇めつつ、アンドレが目的の少女を識別しようとしている間、オスカルは初めて足を踏み入れたキャバレーなる場所の騒音、喧騒、人いきれと、ありとあらゆる飲食物やらかつては食物だったものらが発する鼻の曲るような悪臭に順応しようと試みていた。
「大丈夫かオスカル」
「何とかなるだろう」
曲がりなりにもフランス衛兵隊の大ボスである。平素から過剰な男性ホルモンが発するさわやかならぬ有機物質を鼻息一つで吹き飛ばしているのだ。このくらい何とかせねば面目が立たぬ。
オスカルはいつものように襟元をきりりと引き締めようとして失敗した。どうしてもキャバレーに同行したいならこれを着ろとアンドレが借りて来てくれた厩番見習い少年の擦り切れた綿シャツと上着には、襟の形が残っていなかった。
乱暴に皿がぶん投げられ、パンくずや料理の汁が飛び、酒瓶が割れ、あちこちで喧嘩や女の嬌声が沸き起こる。すし詰めの客席間の通路を酔っ払いや給仕の娘が往来するたびに床がメリメリときしむ。切れ間なく演奏されている艶っぽい流行歌、客の怒鳴り声、食器の壊れる音。
騒々しいこと、ガラガラ蛇すら失神させる勢いである。パリ市城壁外にひしめく酒場は課税されない分安く酒を飲ませるが、人間の文明圏外でもある。近くに点在する家畜小屋の四足の住人の方がよほど上品と言うものだ。
舞台上で尻を振ってはシューミーズをちらつかせ、男どもを湧かせている踊り子の一団の中から、アンドレがそれらしい娘を発見した。
「あの娘かな?」
オスカルがアンドレの視線の先をたどると、居並ぶ踊り子の中でも特に敏捷にきびきびと飛び跳ねている小柄な娘が目についた。安っぽい煌びやかな原色あふれるスカートの花園の中で一段とエネルギッシュな花を咲かせている。
「ああ、あの子か、黄色いスカートの」
「多分ね。いやあ、元気一杯だなあ。お色気は未知数だけど」
正直な感想をつい漏らすと、オスカルが片眉を吊り上げたので、アンドレは慌てて口をつぐんだ。場所に相応しく振る舞うならば、女の尻談義で盛り上がることこそマナーに即しているのだが、この場合オスカルを女性扱いすればいいのか男扱いすればいいのか。さすがのアンドレも対処に苦慮するしかない。
「身長の倍は跳躍しそうだ。だが、まだほんの子供じゃないか」
「そうだなあ、あんな子にそそられるようじゃ犯罪だよな」
アンドレがついまた口を滑らせると、オスカルが三白眼を剥いた。他の男性客が欲望丸出しの目をぎらつかせている中、アンドレの発言はむしろ聖句レベルの清らかさだったが、ご主人様の賛同は得られなかったようだ。
アンドレは、いびつに磨り減った収まりの悪い木の椅子をきしませて、いま少し座り心地よい姿勢はないものかと無駄な努力などしつつ、女給に声をかけた。
「あの、この店はどんなシステムになっているのかな?」
オスカルの美貌と圧倒的な存在感はつんつるてんの擦り切れた上着で隠しおおせるほど生易しくはない。余計な注意を引かぬために、彼女は極力静かに石化している約束なので、交渉役はアンドレだ。
「システ・・・?なんて小洒落た酒は置いてないよ!テーブルの大皿料理とワインは好きなだけ追加して一人20スー!パンは別だよ!白パンひと切れ5スー、ライ麦パンならひと切れ5リアール!」
「食事はいい。銘柄は問わないから未開封のワインがあったら・・・」
「あんたらが食おうが食わんが知ったこっちゃないね。飲んで食って20スーって決まっているんだ!前払いだよ、早くしとくれ。言っとくがうちには樽入りワインしかないからね。未開封を一樽持って来いってかい?」
40がらみの女給は前歯が抜け落ちている割には巧みな喋りを展開した。汚れたボンネットからはみ出た髪はほつれて何やら干からびた食物らしきものが毛先を覆っている。隣のテーブルを見れば、皿に盛られている料理は獣の内蔵の煮込みらしいが、一見しただけでは正体の判別できない塊がいくつも浮いている。
一応赤ワインと覚しき液体が入ったピッチャーは累積した汚れに覆われ、その素材がガラスなのか陶器なのかもはや見分けがつかない惨状を呈していた。
カフェだけで。
無理だな。そんな贅沢な選択肢はないだろうな。仮にあったとしても。それをオスカルが口にすることを想像するだけで、本人より先にアンドレの方が貴婦人よろしく床に卒倒してしまうだろう。しかもその床と来たら・・・いや、具体的な描写はもうやめておこう。それよりヴィルナと話すにはどうしたらいいだろう。
と、時間にしてほんの数秒、アンドレが思考を巡らせている間に、商魂あっぱれな女給が、ピッチャーをテーブルにどおん、置く直前の体勢で石化した。
「連れの我儘を許して頂けないだろうか、マダム。20スーのスぺシャリテは是非頂こう。あなたのお勧めなら間違いないに決まっている」
目立たぬようじっと石化している約束のオスカルが100万リーブルの微笑みを彼女に向けていたのだ。そして、テーブル下ではアンドレに手のひらを上に向けて合図を送って寄越している。
彼女のわずかな指の動きが何を要求しているか、瞬時に理解したアンドレはさっとそのスペシャリテとやら二人分の代金とチップ用の硬貨をオスカルに手渡す。受け取ったオスカルは女給を流し目で秒殺した。
「そして願わくばマダム、あの黄色いスカートの元気な娘に料理を運ばせてはくれまいか。遠縁の娘なのだよ。無理を申し上げて済まないが、あなたのような親切な女性がテーブル担当だったおかげでこんな勝手なお願いができるとは、今日は何と幸運な日だろう」
さきほどの勢いとは裏腹にのぼせ上がった女給がしどろもどろに了解すると、オスカルは女の手を取ってとどめを刺した。
「今日は残念ながら急ぎの用があるのだが、この次はぜひあなたのためにワインを一樽飲み干して見せましょうぞ」
本来ならアンドレの役目の交渉を鮮やかにやってのけたオスカルは、呆然と固まっている幼馴染にほくそえんで見せた。さっきの100万リーブルの笑みの持ち主と同一人物とはとても思えない戦略家の勝ち誇った笑みで。
アンドレのみぞおちを薄ら寒い風邪が通り抜ける。危ない危ない。運よく女給が悩殺されてくれたから事なきを得たけれど、貴族だとバレたら家畜の餌にされてしまう。
「宮廷専門用語を使うな。出自がばれる。おまえ、下町専門用語ならもうすっかり使いこなしているじゃないか」
「女性を口説き落とす下町専門用語は隊では学べんから、知らんのだ」
「そんなことで胸を張るなよ」
大体口説いて落としてどうしようってんだ。口説くなら、おれを口説いてくれ。アンドレは肩を落とした。かくしてヴィルナが小さな体でよろよろと大皿を抱え、二人のテーブルにやって来たのである。
小さな卵型の顔、くるくるとよく動く大きな緑の瞳は綺麗に弓を描いた濃い睫毛で縁取られている。ややせり出たおでこと少し上を向いた丸みのある鼻先が愛らしくも知性を感じさせる。
黄色いリボンでまとめた豊かなブルネットの巻き毛、後れ毛が揺れる額にはきらきらと汗が光り、きゅっと小さく引き締まった唇は健康的な赤味を帯びていた。踊り子用の品のいいとは言えないドレスも彼女の頬も薄汚れていたが、男の欲望渦巻くキャバレーに咲いた向日葵のような健康美あふれる娘だった。
「ほう」
「へえ、可愛いな」
ヴィルナは一大盆に乗せた皿とピッチャーをひっくり返さないよう、バランスを取りながら真剣に歩いている。そのそばを酔っ払いが大きくよろめきながら通り過ぎる。少女のようなヴィルナの尻を触ろうとする輩もいる。その度に少女は器用に態勢を立て直し、大盆の水平を保っていた。
あ~あ、危なっかしいなあ。アンドレははらはらした。
あの盆をひっくり返したら、本人が悲惨な状況に見舞われるだけではなく、周りの客や店への被害の補償は全てヴィルナに課せられるだろう。あのドレスが店の支給品だったりしたら、法外な値を要求されそうだ。
アンドレの見たところ、この店の料理は貴族の館から出た残飯の下げ卸しと家畜の解体後に残った内臓である。ワインは水で薄めたものだ。盆のひとつやふたつぶちまけたって大した損害ではない。それでも往々にしてこの手の店は従業員に額面以上の弁償を課すことが多い。
一方オスカルは、滅茶苦茶に腹を立てていた。
ヴィルナの両手が塞がっていることをいいことに、右から左から男が彼女に触ろうと手を出して来る。そういう場所なのかも知れないが、抵抗できない状況を利用するのは卑怯にもほどがある。というより虫唾が走る!
それぞれの視点から黙って見ていられなくなった二人がほぼ同時に立ち上がる。アンドレはおれに任せろとオスカルを目で制止した。狼藉男を投げ飛ばした挙句の大乱闘だけは絶対にご遠慮申し上げたい。とにかくお前は動くな。
たった一つの瞳でアンドレが放つ鬼気迫る気迫に風圧すら感じたオスカルは、催眠術にかったかのようにゆっくりと腰を下ろし我に返った。『おまえは絶対に何もするな』と背中で睨みを効かし、表側ではにこやかにヴィルナに近づく相棒に、覚えてろと地団駄を踏む。
アンドレは長い腕を生かしてヴィルナの持つ盆をひょいと持ち上げた。
「ありがとう、呼びつけて悪かったね。重かっただろう?」
少女は急に自由になった腕と肩をこきこきと回しながら、声の主を見上げた。思いっきり首をそらしても見えたのは男の胸元だけだ。
『なんてでっかい男!』
一歩下がってもう一度見上げる。男は自分が両手でやっと持っていた盆を片手で軽々と肩の上に掲げ、もう片方の手を膝に置いて身を屈め、にこにこと笑いかけている。負けじとヴィルナもわざわざ自分を指名したらしい男の値踏みをする。
わたしを買い取ろうとしている男爵が様子を見に来たのかしら。違うわね、男爵様だったらこんなにお盆を持つ手が手慣れているはずがないもの。着ているものは古そうなのに、髭はそってあるし髪の毛もさらさらで汚れていない、首すじに垢もないし臭くない。なんか不自然。金持ちが貧乏人に化けようとしているんだわ。新手の人買いかしら、ハンサムなのに残念ね。
大きな瞳にまじまじと見つめられて、アンドレの方はちょっとしたデジャヴを感じた。誰かに似てる?その時、客の一人が無防備になったヴィルナの尻を触った。手足が自由になったヴィルナは速攻反撃する。
「何しやがんだ、ドすけべじじい!犬のうんこでも踏んでくたばりやがれ!」
アンドレの真下から大音響が響いた。えっ?この爆音の音源はこの子か?まともに衝撃波を喰らったアンドレは高い位置で掲げた盆を思わずひっくり返しそうになった。慌ててそんな想像を絶する大惨事をさけるべく、複雑に体を捻じらせて何とか体勢を整えると、再び少女と目が合った。
「ぶったまげたあ!ばかでっかいおじさん!それに何てバカ力なの!」
ブッたまげたのはこっちだと言い返すには紳士過ぎるアンドレは、ついそんな状況でも優しい言葉をかける。
「や、やあ、大丈夫だったかい?」
「平気!おじさん人買い野郎のくせに親切じゃん」
「ひ、人買い?」
掃き溜めに可憐にたくましく咲く花のような少女、ヴィルナは恐ろしく口が悪かった。
ことの成り行きに、怒りを忘れ唖然としていたオスカルだったが、『人買い』のくだりで笑い出した。しかし、くたばれとののしられた助兵衛は子供のような少女の暴言を黙って笑い流してやれるほど大人ではなかった。
「なんだと!このくそ生意気なアマ!」
「はん!玉袋の穴つくろってから出直して来な!玉なしじじい!」
アンドレを挟んで、と言うよりはアンドレをうまく弾除けに利用しながら酔っぱらった客にヴィルナが一歩も引かずに応戦する。アンドレは掲げ持った盆を下ろすこともままならず、先ほどオスカルに放った凄みもどこへやら、ひたすら盾の役割をしている。
オスカルは腹を抱え、笑い声を出さないように四苦八苦していた。『これはこれは痛快な。下手な手助けなどおよびじゃないという訳だ』オスカルは笑いでひきつった腹をさすりさすり観戦を決め込むことにした。
15や16で世間を知らぬまま嫁ぐご令嬢方とは違い、オスカルは長年男の野卑た視線を浴びて来た。お上品な所作で包み隠されていようが、衛兵隊赴任時に受けた乱暴な洗礼であろうが、女を捕食対象として見下げていることに変わりはない。
直接的な身体への狼藉には対処できる。しかし、精神的ダメージは目に見えないだけに扱いづらい。14歳で宮廷に上がってから何年もかけて身に着けたオスカルの精神力をもってしても、気づかないうちに深手を負っていたこともある。
オスカルは17歳の少女の逞しさに感嘆した。若い分無謀な反撃に出る危うさはあるが、心に傷をつける前に男を気迫で圧倒するこの強さはどうだ。傷ついても何度でも立ち上がるロザリーの強さとは質を異にする、傷つくことを寄せ付けない強さ。
そして、どこかで同じ資質を持つ人物を知っているような気がしたが、にわかには思い出せなかった。
恋文未満のソネを無事ヴィルナへ手渡したフランソワは、手応えを感じたようだった。次の休暇には第二弾を渡したいと渋るアンドレに構わず纏わり付いていたが、十二月の声を聞く頃になると、見るも無残な憔悴ぶりを見せるようになった。
もともと栄養失調気味であったところに加えて青白い頬はこけ、皮膚は光沢を失い、眠れていないことを示すくまが目の下に現れている。
小うるさく頼られている間は、適当に突き放しもしていたアンドレだが、抜け殻のように憔悴したフランソワを放っておくにはあまりにも忍びなく、周辺状況を調べてみることにした。
状況を正しく知ることが、気持ちの整理に役立つこともあるからだ。かつて、オスカルの縁談が破談になった時、ジャルジェ将軍がふとアンドレに実情をぼやいたことがあった。
表向きはジェローデル家から破談申し入れだったが、実は当のオスカルが勘当をも辞さない覚悟で縁談を蹴ったのだ、と。がっくりと肩を落とした将軍には申し訳ないと思いつつ、その事実はアンドレを救った。
「で、どうだったのだ?」
報告も兼ねてオスカルの部屋を訪ねると、珍しくオスカル自身が扉を開けてくれた。一兵卒の恋愛模様など、隊長が懸念することではないが、調査にあたってジャルジェ家専従の諜報部員を使わせてもらったので、アンドレは進捗を報告するようにしていた。
しかし逐一報告する本当の理由はほかにあった。内密に行動すると何故かオスカルが不機嫌になったし、アンドレも妙ちきりんな後ろめたさを覚えるからだ。
アンドレが罪悪感を持つ筋合いも、オスカルが拗ねる理由もないのだからして、何か不自然な状態であることは双方とも自覚していた。ただ、そこを深堀するのは大層危険な香りがするので、二人ともあえて触れないようにしている。
その道の経験者が見れば、浮気がバレた亭主が、関係修復のために女房に逐一行動を報告する、あの何とも肩身が狭い状態と同じに見えただろう。浮気どころか、生殺し状態のアンドレには気の毒な限りである。
「どうも、こうもあまり明るい話ではなかったよ」
アンドレはデカンタージュしたワインをグラスについでオスカルに手渡すところまでは美しい所作で従者として振る舞い、その後は友人の顔に戻って定位置の窓枠に寄りかかった。
「オッフェンバック男爵を調べてみたが、どうやら破産寸前のようだ。パリに不動産を二、三持っているが借金の担保として差し押さえられていて、期日までに債務が処理できなければすべて手放すことになる」
「フランソワのヴィルナはその沈没しかかったオッフェンバック家の養女に望まれていると?」
「うん」
「・・・そうか、ではほぼ間違いないな」
「ああ。オッフェンバック家はヴィルナを養女にし、貴族の娘として彼女を見初めた誰かの家へ嫁がせて謝礼を得る。よくある話だ」
よくある話。
アンドレはさらりとそう言ってのけたが、彼が窓の外を眺めるふりをしながらきりりと唇を噛みしめるのをオスカルは見逃さなかった。一気に飲み干したワインは古い酢のようだ。フランソワ青年に伝えてやりたい話ではなかった。
🍷 🍾 🍷 🍾
ヴィルナが貴族の養女に望まれている。承諾すれば、彼女の家族の生活は保障されるが、彼女自身は今後一切家族と縁を切らねばならない。
とつとつとフランソワがアンドレに話したのはそれだけだった。詳細は何も知らないのだろう。知ったとしても、事態は彼の手の届かない所で動いて行く。
ただ、家族と縁を切るとは、過去一切を切り捨てて別の人間になるという意味だと彼も理解しているようだった。つまり、フランソワも彼女の過去として消えねばならない。
「良かったんだ、それでさ。彼女はいいところのお嬢様になって、家族はもう飢えることがないならさ。酒場で男に体触れさせるよりよっぽどいいに決まってるよ」
自嘲気味にそう笑ってみせる青年の瞳は笑っていなかった。しかし、飢えを知る青年だからこそ、彼女の選択の重さを理解していた。それ以上のものを自分が彼女に与えられないことも。
「そうかも知れない・・・な」
他に何と言えるだろう。アンドレはフランソワ青年から見れば飢えを知らぬぼんぼんだ。恋した相手が伯爵令嬢だったために求愛を許されぬ立場にいるが、もし恋人が平民の娘ならその家族を丸ごと支えてやるくらいの貯えもある。
身分を超えて誰かを愛し続けるために支払う代償の大きさなど青年に語ったところで何にもならない。
「ヴィルナはきっと受け入れるよ。親と妹を助けられるなら何でもできる。そういう娘なんだ」
「強い子なんだな」
「最強でかわいいんだ」
アンドレは黙って青年の背中を優しく叩いた。
一方、オスカルは何度も喉元までせり上がる『私が援助してやろう』という一言を押し殺していた。それは、部下に対し公平、中立の立場を貫かねばならないオスカルには許されないことだ。
経済的困窮や病といった家族の問題を抱えているのはフランソワ青年だけではない。ロザリーを拾った時とは状況が違うのだ。
オスカルは己の無力さが悔しかった。一方、一兵卒の恋が破れることがたまらなく切なかったり、恋愛小説に涙したり、自分の心は今までに見たことのないほど揺れている。オスカルは見えそうで見えない自分の変容にいら立っていた。
アンドレはと言うと、もう一度フランソワのために最後の手紙の代筆を引き受けてやるつもりでいたので、一度客を装ってヴィルナの働くキャバレーを尋ねてみようと思い立った。
オスカルに報告の義務はないものの、フランソワのために調馬場使用許可を出してもらった手前、後でバレた場合の気まずさを考えると無断で出かけることははばかられた。
そこで一報したところ、アンドレの恐れていた通り、市民生活に一層興味を示すようになったオスカルに同行を要求された。目立たずおとなしくしている約束は取り付けたが、果たして彼女にそのような芸当が出来るとはにわかに信じがたい。アンドレは、その日まで極力体力の温存に努めようと決意を新たにした。
💃 🍷 💃 🍷 💃 🍷
右から三番目、小柄なブルネット、どんぐりまなこは緑色、黄色の小花模様のドレスに緑色のリボン。一つだけの目を眇めつつ、アンドレが目的の少女を識別しようとしている間、オスカルは初めて足を踏み入れたキャバレーなる場所の騒音、喧騒、人いきれと、ありとあらゆる飲食物やらかつては食物だったものらが発する鼻の曲るような悪臭に順応しようと試みていた。
「大丈夫かオスカル」
「何とかなるだろう」
曲がりなりにもフランス衛兵隊の大ボスである。平素から過剰な男性ホルモンが発するさわやかならぬ有機物質を鼻息一つで吹き飛ばしているのだ。このくらい何とかせねば面目が立たぬ。
オスカルはいつものように襟元をきりりと引き締めようとして失敗した。どうしてもキャバレーに同行したいならこれを着ろとアンドレが借りて来てくれた厩番見習い少年の擦り切れた綿シャツと上着には、襟の形が残っていなかった。
乱暴に皿がぶん投げられ、パンくずや料理の汁が飛び、酒瓶が割れ、あちこちで喧嘩や女の嬌声が沸き起こる。すし詰めの客席間の通路を酔っ払いや給仕の娘が往来するたびに床がメリメリときしむ。切れ間なく演奏されている艶っぽい流行歌、客の怒鳴り声、食器の壊れる音。
騒々しいこと、ガラガラ蛇すら失神させる勢いである。パリ市城壁外にひしめく酒場は課税されない分安く酒を飲ませるが、人間の文明圏外でもある。近くに点在する家畜小屋の四足の住人の方がよほど上品と言うものだ。
舞台上で尻を振ってはシューミーズをちらつかせ、男どもを湧かせている踊り子の一団の中から、アンドレがそれらしい娘を発見した。
「あの娘かな?」
オスカルがアンドレの視線の先をたどると、居並ぶ踊り子の中でも特に敏捷にきびきびと飛び跳ねている小柄な娘が目についた。安っぽい煌びやかな原色あふれるスカートの花園の中で一段とエネルギッシュな花を咲かせている。
「ああ、あの子か、黄色いスカートの」
「多分ね。いやあ、元気一杯だなあ。お色気は未知数だけど」
正直な感想をつい漏らすと、オスカルが片眉を吊り上げたので、アンドレは慌てて口をつぐんだ。場所に相応しく振る舞うならば、女の尻談義で盛り上がることこそマナーに即しているのだが、この場合オスカルを女性扱いすればいいのか男扱いすればいいのか。さすがのアンドレも対処に苦慮するしかない。
「身長の倍は跳躍しそうだ。だが、まだほんの子供じゃないか」
「そうだなあ、あんな子にそそられるようじゃ犯罪だよな」
アンドレがついまた口を滑らせると、オスカルが三白眼を剥いた。他の男性客が欲望丸出しの目をぎらつかせている中、アンドレの発言はむしろ聖句レベルの清らかさだったが、ご主人様の賛同は得られなかったようだ。
アンドレは、いびつに磨り減った収まりの悪い木の椅子をきしませて、いま少し座り心地よい姿勢はないものかと無駄な努力などしつつ、女給に声をかけた。
「あの、この店はどんなシステムになっているのかな?」
オスカルの美貌と圧倒的な存在感はつんつるてんの擦り切れた上着で隠しおおせるほど生易しくはない。余計な注意を引かぬために、彼女は極力静かに石化している約束なので、交渉役はアンドレだ。
「システ・・・?なんて小洒落た酒は置いてないよ!テーブルの大皿料理とワインは好きなだけ追加して一人20スー!パンは別だよ!白パンひと切れ5スー、ライ麦パンならひと切れ5リアール!」
「食事はいい。銘柄は問わないから未開封のワインがあったら・・・」
「あんたらが食おうが食わんが知ったこっちゃないね。飲んで食って20スーって決まっているんだ!前払いだよ、早くしとくれ。言っとくがうちには樽入りワインしかないからね。未開封を一樽持って来いってかい?」
40がらみの女給は前歯が抜け落ちている割には巧みな喋りを展開した。汚れたボンネットからはみ出た髪はほつれて何やら干からびた食物らしきものが毛先を覆っている。隣のテーブルを見れば、皿に盛られている料理は獣の内蔵の煮込みらしいが、一見しただけでは正体の判別できない塊がいくつも浮いている。
一応赤ワインと覚しき液体が入ったピッチャーは累積した汚れに覆われ、その素材がガラスなのか陶器なのかもはや見分けがつかない惨状を呈していた。
カフェだけで。
無理だな。そんな贅沢な選択肢はないだろうな。仮にあったとしても。それをオスカルが口にすることを想像するだけで、本人より先にアンドレの方が貴婦人よろしく床に卒倒してしまうだろう。しかもその床と来たら・・・いや、具体的な描写はもうやめておこう。それよりヴィルナと話すにはどうしたらいいだろう。
と、時間にしてほんの数秒、アンドレが思考を巡らせている間に、商魂あっぱれな女給が、ピッチャーをテーブルにどおん、置く直前の体勢で石化した。
「連れの我儘を許して頂けないだろうか、マダム。20スーのスぺシャリテは是非頂こう。あなたのお勧めなら間違いないに決まっている」
目立たぬようじっと石化している約束のオスカルが100万リーブルの微笑みを彼女に向けていたのだ。そして、テーブル下ではアンドレに手のひらを上に向けて合図を送って寄越している。
彼女のわずかな指の動きが何を要求しているか、瞬時に理解したアンドレはさっとそのスペシャリテとやら二人分の代金とチップ用の硬貨をオスカルに手渡す。受け取ったオスカルは女給を流し目で秒殺した。
「そして願わくばマダム、あの黄色いスカートの元気な娘に料理を運ばせてはくれまいか。遠縁の娘なのだよ。無理を申し上げて済まないが、あなたのような親切な女性がテーブル担当だったおかげでこんな勝手なお願いができるとは、今日は何と幸運な日だろう」
さきほどの勢いとは裏腹にのぼせ上がった女給がしどろもどろに了解すると、オスカルは女の手を取ってとどめを刺した。
「今日は残念ながら急ぎの用があるのだが、この次はぜひあなたのためにワインを一樽飲み干して見せましょうぞ」
本来ならアンドレの役目の交渉を鮮やかにやってのけたオスカルは、呆然と固まっている幼馴染にほくそえんで見せた。さっきの100万リーブルの笑みの持ち主と同一人物とはとても思えない戦略家の勝ち誇った笑みで。
アンドレのみぞおちを薄ら寒い風邪が通り抜ける。危ない危ない。運よく女給が悩殺されてくれたから事なきを得たけれど、貴族だとバレたら家畜の餌にされてしまう。
「宮廷専門用語を使うな。出自がばれる。おまえ、下町専門用語ならもうすっかり使いこなしているじゃないか」
「女性を口説き落とす下町専門用語は隊では学べんから、知らんのだ」
「そんなことで胸を張るなよ」
大体口説いて落としてどうしようってんだ。口説くなら、おれを口説いてくれ。アンドレは肩を落とした。かくしてヴィルナが小さな体でよろよろと大皿を抱え、二人のテーブルにやって来たのである。
小さな卵型の顔、くるくるとよく動く大きな緑の瞳は綺麗に弓を描いた濃い睫毛で縁取られている。ややせり出たおでこと少し上を向いた丸みのある鼻先が愛らしくも知性を感じさせる。
黄色いリボンでまとめた豊かなブルネットの巻き毛、後れ毛が揺れる額にはきらきらと汗が光り、きゅっと小さく引き締まった唇は健康的な赤味を帯びていた。踊り子用の品のいいとは言えないドレスも彼女の頬も薄汚れていたが、男の欲望渦巻くキャバレーに咲いた向日葵のような健康美あふれる娘だった。
「ほう」
「へえ、可愛いな」
ヴィルナは一大盆に乗せた皿とピッチャーをひっくり返さないよう、バランスを取りながら真剣に歩いている。そのそばを酔っ払いが大きくよろめきながら通り過ぎる。少女のようなヴィルナの尻を触ろうとする輩もいる。その度に少女は器用に態勢を立て直し、大盆の水平を保っていた。
あ~あ、危なっかしいなあ。アンドレははらはらした。
あの盆をひっくり返したら、本人が悲惨な状況に見舞われるだけではなく、周りの客や店への被害の補償は全てヴィルナに課せられるだろう。あのドレスが店の支給品だったりしたら、法外な値を要求されそうだ。
アンドレの見たところ、この店の料理は貴族の館から出た残飯の下げ卸しと家畜の解体後に残った内臓である。ワインは水で薄めたものだ。盆のひとつやふたつぶちまけたって大した損害ではない。それでも往々にしてこの手の店は従業員に額面以上の弁償を課すことが多い。
一方オスカルは、滅茶苦茶に腹を立てていた。
ヴィルナの両手が塞がっていることをいいことに、右から左から男が彼女に触ろうと手を出して来る。そういう場所なのかも知れないが、抵抗できない状況を利用するのは卑怯にもほどがある。というより虫唾が走る!
それぞれの視点から黙って見ていられなくなった二人がほぼ同時に立ち上がる。アンドレはおれに任せろとオスカルを目で制止した。狼藉男を投げ飛ばした挙句の大乱闘だけは絶対にご遠慮申し上げたい。とにかくお前は動くな。
たった一つの瞳でアンドレが放つ鬼気迫る気迫に風圧すら感じたオスカルは、催眠術にかったかのようにゆっくりと腰を下ろし我に返った。『おまえは絶対に何もするな』と背中で睨みを効かし、表側ではにこやかにヴィルナに近づく相棒に、覚えてろと地団駄を踏む。
アンドレは長い腕を生かしてヴィルナの持つ盆をひょいと持ち上げた。
「ありがとう、呼びつけて悪かったね。重かっただろう?」
少女は急に自由になった腕と肩をこきこきと回しながら、声の主を見上げた。思いっきり首をそらしても見えたのは男の胸元だけだ。
『なんてでっかい男!』
一歩下がってもう一度見上げる。男は自分が両手でやっと持っていた盆を片手で軽々と肩の上に掲げ、もう片方の手を膝に置いて身を屈め、にこにこと笑いかけている。負けじとヴィルナもわざわざ自分を指名したらしい男の値踏みをする。
わたしを買い取ろうとしている男爵が様子を見に来たのかしら。違うわね、男爵様だったらこんなにお盆を持つ手が手慣れているはずがないもの。着ているものは古そうなのに、髭はそってあるし髪の毛もさらさらで汚れていない、首すじに垢もないし臭くない。なんか不自然。金持ちが貧乏人に化けようとしているんだわ。新手の人買いかしら、ハンサムなのに残念ね。
大きな瞳にまじまじと見つめられて、アンドレの方はちょっとしたデジャヴを感じた。誰かに似てる?その時、客の一人が無防備になったヴィルナの尻を触った。手足が自由になったヴィルナは速攻反撃する。
「何しやがんだ、ドすけべじじい!犬のうんこでも踏んでくたばりやがれ!」
アンドレの真下から大音響が響いた。えっ?この爆音の音源はこの子か?まともに衝撃波を喰らったアンドレは高い位置で掲げた盆を思わずひっくり返しそうになった。慌ててそんな想像を絶する大惨事をさけるべく、複雑に体を捻じらせて何とか体勢を整えると、再び少女と目が合った。
「ぶったまげたあ!ばかでっかいおじさん!それに何てバカ力なの!」
ブッたまげたのはこっちだと言い返すには紳士過ぎるアンドレは、ついそんな状況でも優しい言葉をかける。
「や、やあ、大丈夫だったかい?」
「平気!おじさん人買い野郎のくせに親切じゃん」
「ひ、人買い?」
掃き溜めに可憐にたくましく咲く花のような少女、ヴィルナは恐ろしく口が悪かった。
ことの成り行きに、怒りを忘れ唖然としていたオスカルだったが、『人買い』のくだりで笑い出した。しかし、くたばれとののしられた助兵衛は子供のような少女の暴言を黙って笑い流してやれるほど大人ではなかった。
「なんだと!このくそ生意気なアマ!」
「はん!玉袋の穴つくろってから出直して来な!玉なしじじい!」
アンドレを挟んで、と言うよりはアンドレをうまく弾除けに利用しながら酔っぱらった客にヴィルナが一歩も引かずに応戦する。アンドレは掲げ持った盆を下ろすこともままならず、先ほどオスカルに放った凄みもどこへやら、ひたすら盾の役割をしている。
オスカルは腹を抱え、笑い声を出さないように四苦八苦していた。『これはこれは痛快な。下手な手助けなどおよびじゃないという訳だ』オスカルは笑いでひきつった腹をさすりさすり観戦を決め込むことにした。
15や16で世間を知らぬまま嫁ぐご令嬢方とは違い、オスカルは長年男の野卑た視線を浴びて来た。お上品な所作で包み隠されていようが、衛兵隊赴任時に受けた乱暴な洗礼であろうが、女を捕食対象として見下げていることに変わりはない。
直接的な身体への狼藉には対処できる。しかし、精神的ダメージは目に見えないだけに扱いづらい。14歳で宮廷に上がってから何年もかけて身に着けたオスカルの精神力をもってしても、気づかないうちに深手を負っていたこともある。
オスカルは17歳の少女の逞しさに感嘆した。若い分無謀な反撃に出る危うさはあるが、心に傷をつける前に男を気迫で圧倒するこの強さはどうだ。傷ついても何度でも立ち上がるロザリーの強さとは質を異にする、傷つくことを寄せ付けない強さ。
そして、どこかで同じ資質を持つ人物を知っているような気がしたが、にわかには思い出せなかった。
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