結局。
騒ぎを聞きつけたキャバレーの支配人がヴィルナを連れて行ってしまった。こってりと叱られるだろうが、せめてもの緩衝材として、アンドレは支配人にチップを多めに握らせておいた。
そして二人が怪しげな闇鍋料理に挑戦するか否かを真剣に謀議していると、たっぷりとお説教を喰らったヴィルナが悪びれもなくオスカルとアンドレのテーブルに戻って来た。
「人買いのおじさん、さっきはありがとう。ギュスターヴさんがお礼を言ってきなさいって」
「ギュスターヴさんって…ああ、支配人さんのことかな?」
少女を気遣うあまり人買いにされた挙句『おじさん』よばわりまでされていることに頭が回らないアンドレに、オスカルがくつくつと笑った。
「そう、支配人さんよ。おじさん、賄賂を使って支配人さんとヒヒじじいを黙らせてくれてありがとう。お陰でクビにならずに済んだわ」
「あのね…、そういう意味でお礼を言ってきなさいと言われたのではないと思うよ…」
さり気なく袖の下を握らせて事を収めたつもりだったのに、気配り男アンドレ形無しである。再び笑い出したオスカルが勢いに任せてテーブルに突っ伏しそうになると、気配り根性が自動発令し、オスカルの肩を抱えてそれを阻止した。わけのわからないシミだらけのテーブルは危険がいっぱいのはずだ。
「おじさんたちお金持ちなの?余計なお金を使わせてごめんなさい」
素直な娘なんだろうけれど、ごめんなさいのポイントもそこじゃないだろ、と言う気力も萎えたアンドレは力なく笑った。
「いいんだ。もっと高くついたこともあるしね。今夜は安い方だ」
くすくす笑っていたオスカルがぴたりと静止したことにアンドレは気づいたが、そこは無視するポイントなので心配ない。
「ふうん、人買いって苦労もあるのね」
名残惜しくオスカルの肩から腕を外すところだったアンドレは、そこで初めて『人買い』に反応した。
「あのね、おれ達は人買いじゃないんだ。どうしてそう思ったのかな?」
う~ん、そうねえ、と少女は身を乗り出し、きらきらと好奇心いっぱいの瞳で二人を熟視した。大層お行儀は悪いが、無礼に感じない不思議な魅力のある子だ、とオスカルは感心する。
「おじさんも、そのめっちゃイケてるお兄さんも変装しているでしょ。本当はお金持ちなのを隠そうとしている。おじさんはめちゃイケ兄さんに頭が上がらないみたいだから、兄さんがボスね。
女に不自由ないはずのイケメンがこんなところに来るだけで怪しいわ。磨けば売れる若い女の子を探しに来るのでなければ、一体何の用があるの?」
ストレートに突っ込んでくる少女に二人とも面食らったが、ヴェルサイユではなかなか会えない人種だ。新鮮かつ非常に面白い。
「あはは、参ったな」
降参ポーズを取るアンドレに代わってオスカルが興味深そうに会話に加わった。
「その通り。いかにもわたしがボスだ。変装も認めよう。なかなかいい観察眼を持っている。では、こういう可能性はどうかな?わたしたちは秘密憲兵で潜入捜査中だ。武器密売組織の幹部が大掛かりな取引にこの店を使うという情報を掴んだので張り込みをしている。
そして、一般人の協力者を探している。老婆とか一見世間知らずな若い娘など、意外性のある人物をね。どうだ?」
見る間にヴィルナの目がらんらんと輝き出した。冒険大好きなお転婆娘なのだ。おいおい、あまり子供を煽るなよ、と今度はお目付け役根性がむくむくと顔を出したアンドレが現実的な線へ引き戻し作戦に出た。
「それはどうかな?深窓の世間知らずのお坊ちゃまが世の中を見たいと我儘を言うので、お目付け役が仕方なくついて回っているだけかも知れないぞ?」
オスカルはかなりカチンと来たはずだが少女の手前、クールな態度を死守することを知っているアンドレは、涼しい目つきでチラ見した。少女の方も、どうやらアンドレ説の方が現実的と踏んだらしく、つまらなそうに下唇を突き出した。
「なあんだ、そうなの」
そして、何かを急に思いついたかのようにすっくと立ちあがると、大皿から問題の闇鍋料理をふたりにがっつり大盛で取り分けた。
「ここの料理って冷めると食えたもんじゃないから早めにどうぞ!」
二人は一瞬躊躇した。先ほどまでは何事にも挑戦あるのみと意気込んでいたリベラル派オスカルがアンドレを盗み見る。相棒は、生唾を飲み込んでいた。
少女がニコニコして二人を見つめている。この少女が普段食しているであろう食物を口にできない姿を見せるのは忍びない。保守派アンドレが覚悟を決めた。
「ここはおれがまず試食する。おまえは様子を見ろ」
「そう・・・だ・・・な・・・。どちらか一人は生き残らないと…」
「うん、今夜中に帰りつけないからな」
あとは頼んだぞ、の部分は目くばせでオスカルに伝えたアンドレがスプーンを手に取った。
「は~~~い、そっこまで!」
「えっ?」
明るくアンドレを制止するヴィルナに二人は仲良く和音で反応した。
「お客さんが秘密憲兵って線は消えたわね」
しばしの間をあけて、二人は寸分たがわぬタイミングで顔を見合わせた。
「秘密憲兵の潜入捜査だったら、このくらい平気でがっつけなきゃ正体バレちまうでしょ?お客さん、それじゃお上品過ぎて捜査員務まらないわ」
また二人は見事にシンクロした動きでヴィルナを見た。双方とも虚を突かれて唖然としている。
「世間を見たいいいところのドラ息子とお目付役ってのも嘘ね。一見さんが会ったこともないわたしを指名するわけないわ」
今度はたっぷり間を開けて。
オスカルとアンドレは互いの肩を叩き合って大笑した。
「こいつは参った完敗だ!」
「あははは、やっぱりおれ達は人買いだな」
ヴィルナは勇敢にも危険いっぱいのテーブルに両頬杖をついて楽し気にスカートの腰を踊るように揺らしながら、大笑いしている二人を観察する。彼らはヴィルナに正体を明かすことを目で会話しているようだ。
「人買いの線も違うと思うわ」
「そう?どうして無罪判定してくれたんだい?」
それにもきっと意外な理由があるのだろう。アンドレはこの少女の考えをもっと聞いてみたくなった。理論建てはともかく、感性は驚くほど鋭い。
「まあ、座ってくれ」
椅子を勧められるままに腰を下ろしたヴィルナは、彼女の動きに合わせて吸い付くように引かれた椅子にどぎまぎした。こんな風に丁寧に扱われたのは初めてだったのだ。
「わたしも是非知りたいな」
オスカルにも真っすぐ見つめられてどきどきしながら少女はしゃんと背筋を伸ばした。
「おじさんたちって・・・」
開口一番、ヴィルナの『おじさんたち』にオスカルがぴくりと反応した。アンドレがそんなオスカルの肩をポンポンと叩く。まあ、まずは話を最後まで聞こうじゃないか、を意味するボディランゲージがやり取りされる様子もしっかりと観察したヴィルナが続ける。
「もの凄く仲良しよね。言わなくても何でもわかるみたい。ずっと長いこと一緒にいるからでしょ?大好きな人と一緒にいられる人は、どんなに儲かっても人買いなんかしないわ。だって人買いは心の寂しい人がする事だもの」
ダイスキナヒトトイッショニイラレルヒト
二人は稲妻に打たれたように静止した。少女の一言が暁の鐘のように胸腔に響いたのだ。長い沈黙が訪れ、店の喧騒が遠ざかる。またすぐに大笑いしてくれるものと思っていたヴィルナはここで初めて不安を覚えた。何かとんでもない失言をしてしまったのだろうか。
ヴィルナは自分の口が悪いことを重々承知していた。家族にもよく怒られるし、教会では神父様に叱られた。兄妹同様のフランソワも、それさえなけりゃ可愛いのに、とぼやく。けれど、これが自分だから恥じてはいない。
ただ、自分の物言いで誰かを傷つけてしまった時は真摯に謝ってその言い方には気を付けることにしているが、どう考えても何が失言だったかわからない。『おじさん』だろうか。金髪の綺麗な兄さんがちょっと気にしていた様子だった。だけど、黒髪の人は気分を害しているようには見えなかった。
確かに呼称を間違えただけで立腹する人間はいるが、そのような人物は総じて器が小さい。少なくともヴィルナのささやかな経験上では。そしてこの美しい二人連れは、ヴィルナの口の悪さより、言わんとする内容に興味を持って聞いてくれた。心の広い人間に見えたのだが。
「ごめんなさい」
何がいけなかったのかわからないけれど、とにかくわたしの物言いが悪いのだ。元気いっぱいだった少女は急に一回り小さくなって肩を落とした。それを見て、先にオスカルの方がヴィルナの魔法から覚醒した。
「ヴィルナ」
静かな声だった。
「何を謝ることがあるのだ?何も謝ることなどないぞ」
「でも」
「済まなかった。わたしも彼も少々後ろめたいことがあってね。おまえの真っ直ぐな心に触れて、それを思い出しただけなのだ」
そう言うとオスカルはアンドレに目をやった。アンドレもはっと我に返る。
「うん、君は何も悪くないよ」
「ヴィルナ、おまえの洞察はなかなかのものだ。実は少し前にわたしは本物の人身売買組織を検挙した。そして、おまえの言う通り、組織の首謀者は裕福ではあるけれど、とても孤独な人物だったのだよ。だからと言って罪が消えるわけではないがね」
「驚いたよ。ひょっとしたら君に見られていたのかと思った」
わたしのせいじゃなかったんだわ。笑顔が戻った二人にヴィルナもほっと胸をなでおろす。彼らの言うところの後ろめたいことが何なのかは気になったが、それは訊ねるべきではないと直感が告げる。そこでもう一つの疑問を口にした。
「それじゃ、やっぱり秘密憲兵なの?」
オスカルがゆったりと微笑んだ。
「わたしはフランス衛兵隊ヴェルサイユ部隊長、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。彼はわたしの側近を務めてくれているアンドレ・グランディエだ。もしかしたら名前くらいは聞いたことがあるのではないかな?」
ヴィルナは驚愕に緑の瞳を大きく見開いた。フランス衛兵? 隊長?ジャルジェ??アンドレ?知っているどころじゃない!幼馴染のフランソワの興奮した声が蘇る。新しい隊長が赴任することになった、と文句たらたらだった時。
『女の隊長の命令なんて聞けるかってんだよな~。きっとスカートめくっただけで泣くんだぜ』
とか何とかほざきやがったので、わたしあんたにしょっちゅう命令していますけど、何か?と一発で黙らせてやった。それなのに奴は最近美人のタイチョに鼻の下をでれでれと伸ばしっぱなしなのだ。
『隊長のミドルネームってさ、フランソワなんだぜえ!なんか特別~なご縁って感じい?』
そうか、隊長さんということはこの人女性なんだ!じゃ、このおじさんが『平民のくせしてさ~、へらへら貴族の女の腰ぎんちゃくやってんだぜえ、男ならもっとプライド持てっつーのよ』の人?フランソワ、あんたの目は節穴かよっぽどの飾り物じゃないの?
目まぐるしく記憶の断片が駆け巡る脳裏の忙しさとは裏腹に、言葉を失ったヴィルナはただこくこくと頷いた。
「わたしはおまえの見立て通り、いいところのドラ息子…のようなものだが、隊員のことはたとえ僅かでも理解したいと願っている。だから時折彼らの生活圏を見学して回ることがある。今夜はアンドレのリクエストでここに来た。おまえに会ってみたいと言うのでな」
おい!オスカル!
アンドレは慌てた。自分からさっさと名乗っておいて、あとの始末をおれに振るってか?確かにこの娘に嘘はつきたくないだろう、おれもそう思うよ。しかしいきなりこの展開はあんまりだ!ははあ、さてはさっきの『深窓のお坊ちゃま』呼ばわりの意趣返しか。
少女の手前、恨めし気な上目使いをオスカルに飛ばすわけにはいかない。アンドレは鉄壁の微笑みをヴィルナに向けた。こういうカモフラージュだけは上手くなってしまった自分が何気に物悲しい。
「どこの酒場に行ってもチップは払うだろう?同じ払うなら、フランソワ自慢の妹分にと思ったんだよ」
「フランソワが?わたしを自慢していたの?」
「君が可愛くて大切でしかたないんだろうね。嬉しそうに君の話をよくしてくれるよ」
「何て?」
「可愛くて、家族思いで、最強…だったかな?」
「なっまいき!」
「おっ?」
憤懣やるかたないと言わんばかりに頬を膨らませた少女にアンドレは片眉を持ち上げた。
「頼りなくて泣き虫で世話ばっかり焼けるくせに、兄貴風だけは一人前なんだから!」
「へえ?そうなのかい」
「二つ年上だけど、わたしがいなかったらあいつは今頃窃盗罪で鎖に繋がれてガレー船漕いでいるか、牢屋で干からびた骸骨になっているわ」
オスカルがヒュウッと口笛を吹いた。さしずめ幼少期のフランソワは窃盗であわや御用となるところを、ヴィルナの機転に救われたことが少なからずあったのだろう。
一方ヴィルナは言ってしまってからヒヤリとした。二人があまりにも気さくなので、つい盗みのことを喋ってしまったが、『隊長さん』は体制側の人間なのだ。
しかし、返ってきたのは楽しげな口笛だった。どうやら『隊長さん』は、飢えた子供が食うために働いた盗みを追及するつもりはなさそうだ。むしろ、その逞しさに感心してくれる度量の持ち主なのかも知れない。ヴィルナは警戒を緩めた。
「見事な連携プレーだったとフランソワは自画自賛していたぞ」
大きな彼もやたら美しい相棒に負けず劣らず大らかに構えている。窃盗と聞いて微動だにしない理由が二人にあることなどヴィルナには知りようもないが、警戒心はするすると解けていく。
「見方によっちゃ危険な役割をフランソワが一身に引き受けていたとも聞こえるね。君に直接盗みをさせたくなかったんじゃないかな。君が彼を守っていたように、彼も君を守っていたんだよ」
「えっ?」
そんな風に考えたことはなかったヴィルナだった。今まで誰かにそう指摘されたこともなかった。膨れた頬のまま、どんぐりまなこをぱちくりさせ、ぐるぐると思索を始めたヴィルナの姿に二人は顔を見合わせて微笑んでから、オスカルが後を引き継いだ。
「フランソワとの付き合いは長くはないが、アンドレの言う通りだと思うぞ。この上なく心優しい青年だ。そして愛するものを守ろうとする強い意志を持っている」
オスカルの力強い後押しに、ヴィルナの柔らかい頭脳はフルスピードで回転を始める。
「考えても見ろ。実行犯が捕まればムチ打ちは免れない。悪くすれば片腕を切り落とされる。フランソワなら君をそんな目にあわせたくないと思うはずだ」
―たしかに、そうかも。
ヴィルナの役割は偵察と合図係が主だった。必要に応じてフランソワの逃走路の確保。それは高度な機転と全体を見渡す眼力と統合力を要する。だから一度に一つの事にしか集中できないフランソワには盗み役しか振れなかった。
一方的に彼の面倒を見ているつもりだったヴィルナだが、確かに窃盗が失敗した場合に捕まる危険は彼が一身に負っていた。賢い少女は早々に結論を弾き出した。
「素敵な考えをありがとう。そんな風に考えたことはなかったけれど、その通りだと思う。フランソワに会えなくなる前にわかって良かった。彼を思い出す時に頼りないお調子者だけじゃない、優しくて強い彼を思い出すことができるから。良かった。本当に良かった」
見る間にヴィルナの大きな瞳に涙が盛り上がった。大粒のしずくがぽろりと零れ落ちる。
「会えなくなる?」
この少女はオッフェンバック男爵家の養女になることをすでに決心したのだろうか。アンドレは未使用のハンカチが内ポケットに入っていなかったと忙しく探しながら少女の目線に合わせるように身を屈めた。
「人買いにわたしを売る約束をしたの。わたしは貴族の家に送られてお姫様に仕立て上げられたら、そのお家の役に立つところにお嫁に行くの」
これ以上の涙をこぼすまいと必死に瞳を見開く少女の意志に関係なくぽろぽろと溢れ出る涙はもう止めようがない。それは、本当に君のしたいことなのかい。のど元まで出かかった問をアンドレは押し戻した。それを聞くのは酷だろう。
ただ黙って探し出したハンカチを少女の手に握らせる。男である自分は引いた方がいい。アンドレはオスカルを振り返った。
騒ぎを聞きつけたキャバレーの支配人がヴィルナを連れて行ってしまった。こってりと叱られるだろうが、せめてもの緩衝材として、アンドレは支配人にチップを多めに握らせておいた。
そして二人が怪しげな闇鍋料理に挑戦するか否かを真剣に謀議していると、たっぷりとお説教を喰らったヴィルナが悪びれもなくオスカルとアンドレのテーブルに戻って来た。
「人買いのおじさん、さっきはありがとう。ギュスターヴさんがお礼を言ってきなさいって」
「ギュスターヴさんって…ああ、支配人さんのことかな?」
少女を気遣うあまり人買いにされた挙句『おじさん』よばわりまでされていることに頭が回らないアンドレに、オスカルがくつくつと笑った。
「そう、支配人さんよ。おじさん、賄賂を使って支配人さんとヒヒじじいを黙らせてくれてありがとう。お陰でクビにならずに済んだわ」
「あのね…、そういう意味でお礼を言ってきなさいと言われたのではないと思うよ…」
さり気なく袖の下を握らせて事を収めたつもりだったのに、気配り男アンドレ形無しである。再び笑い出したオスカルが勢いに任せてテーブルに突っ伏しそうになると、気配り根性が自動発令し、オスカルの肩を抱えてそれを阻止した。わけのわからないシミだらけのテーブルは危険がいっぱいのはずだ。
「おじさんたちお金持ちなの?余計なお金を使わせてごめんなさい」
素直な娘なんだろうけれど、ごめんなさいのポイントもそこじゃないだろ、と言う気力も萎えたアンドレは力なく笑った。
「いいんだ。もっと高くついたこともあるしね。今夜は安い方だ」
くすくす笑っていたオスカルがぴたりと静止したことにアンドレは気づいたが、そこは無視するポイントなので心配ない。
「ふうん、人買いって苦労もあるのね」
名残惜しくオスカルの肩から腕を外すところだったアンドレは、そこで初めて『人買い』に反応した。
「あのね、おれ達は人買いじゃないんだ。どうしてそう思ったのかな?」
う~ん、そうねえ、と少女は身を乗り出し、きらきらと好奇心いっぱいの瞳で二人を熟視した。大層お行儀は悪いが、無礼に感じない不思議な魅力のある子だ、とオスカルは感心する。
「おじさんも、そのめっちゃイケてるお兄さんも変装しているでしょ。本当はお金持ちなのを隠そうとしている。おじさんはめちゃイケ兄さんに頭が上がらないみたいだから、兄さんがボスね。
女に不自由ないはずのイケメンがこんなところに来るだけで怪しいわ。磨けば売れる若い女の子を探しに来るのでなければ、一体何の用があるの?」
ストレートに突っ込んでくる少女に二人とも面食らったが、ヴェルサイユではなかなか会えない人種だ。新鮮かつ非常に面白い。
「あはは、参ったな」
降参ポーズを取るアンドレに代わってオスカルが興味深そうに会話に加わった。
「その通り。いかにもわたしがボスだ。変装も認めよう。なかなかいい観察眼を持っている。では、こういう可能性はどうかな?わたしたちは秘密憲兵で潜入捜査中だ。武器密売組織の幹部が大掛かりな取引にこの店を使うという情報を掴んだので張り込みをしている。
そして、一般人の協力者を探している。老婆とか一見世間知らずな若い娘など、意外性のある人物をね。どうだ?」
見る間にヴィルナの目がらんらんと輝き出した。冒険大好きなお転婆娘なのだ。おいおい、あまり子供を煽るなよ、と今度はお目付け役根性がむくむくと顔を出したアンドレが現実的な線へ引き戻し作戦に出た。
「それはどうかな?深窓の世間知らずのお坊ちゃまが世の中を見たいと我儘を言うので、お目付け役が仕方なくついて回っているだけかも知れないぞ?」
オスカルはかなりカチンと来たはずだが少女の手前、クールな態度を死守することを知っているアンドレは、涼しい目つきでチラ見した。少女の方も、どうやらアンドレ説の方が現実的と踏んだらしく、つまらなそうに下唇を突き出した。
「なあんだ、そうなの」
そして、何かを急に思いついたかのようにすっくと立ちあがると、大皿から問題の闇鍋料理をふたりにがっつり大盛で取り分けた。
「ここの料理って冷めると食えたもんじゃないから早めにどうぞ!」
二人は一瞬躊躇した。先ほどまでは何事にも挑戦あるのみと意気込んでいたリベラル派オスカルがアンドレを盗み見る。相棒は、生唾を飲み込んでいた。
少女がニコニコして二人を見つめている。この少女が普段食しているであろう食物を口にできない姿を見せるのは忍びない。保守派アンドレが覚悟を決めた。
「ここはおれがまず試食する。おまえは様子を見ろ」
「そう・・・だ・・・な・・・。どちらか一人は生き残らないと…」
「うん、今夜中に帰りつけないからな」
あとは頼んだぞ、の部分は目くばせでオスカルに伝えたアンドレがスプーンを手に取った。
「は~~~い、そっこまで!」
「えっ?」
明るくアンドレを制止するヴィルナに二人は仲良く和音で反応した。
「お客さんが秘密憲兵って線は消えたわね」
しばしの間をあけて、二人は寸分たがわぬタイミングで顔を見合わせた。
「秘密憲兵の潜入捜査だったら、このくらい平気でがっつけなきゃ正体バレちまうでしょ?お客さん、それじゃお上品過ぎて捜査員務まらないわ」
また二人は見事にシンクロした動きでヴィルナを見た。双方とも虚を突かれて唖然としている。
「世間を見たいいいところのドラ息子とお目付役ってのも嘘ね。一見さんが会ったこともないわたしを指名するわけないわ」
今度はたっぷり間を開けて。
オスカルとアンドレは互いの肩を叩き合って大笑した。
「こいつは参った完敗だ!」
「あははは、やっぱりおれ達は人買いだな」
ヴィルナは勇敢にも危険いっぱいのテーブルに両頬杖をついて楽し気にスカートの腰を踊るように揺らしながら、大笑いしている二人を観察する。彼らはヴィルナに正体を明かすことを目で会話しているようだ。
「人買いの線も違うと思うわ」
「そう?どうして無罪判定してくれたんだい?」
それにもきっと意外な理由があるのだろう。アンドレはこの少女の考えをもっと聞いてみたくなった。理論建てはともかく、感性は驚くほど鋭い。
「まあ、座ってくれ」
椅子を勧められるままに腰を下ろしたヴィルナは、彼女の動きに合わせて吸い付くように引かれた椅子にどぎまぎした。こんな風に丁寧に扱われたのは初めてだったのだ。
「わたしも是非知りたいな」
オスカルにも真っすぐ見つめられてどきどきしながら少女はしゃんと背筋を伸ばした。
「おじさんたちって・・・」
開口一番、ヴィルナの『おじさんたち』にオスカルがぴくりと反応した。アンドレがそんなオスカルの肩をポンポンと叩く。まあ、まずは話を最後まで聞こうじゃないか、を意味するボディランゲージがやり取りされる様子もしっかりと観察したヴィルナが続ける。
「もの凄く仲良しよね。言わなくても何でもわかるみたい。ずっと長いこと一緒にいるからでしょ?大好きな人と一緒にいられる人は、どんなに儲かっても人買いなんかしないわ。だって人買いは心の寂しい人がする事だもの」
ダイスキナヒトトイッショニイラレルヒト
二人は稲妻に打たれたように静止した。少女の一言が暁の鐘のように胸腔に響いたのだ。長い沈黙が訪れ、店の喧騒が遠ざかる。またすぐに大笑いしてくれるものと思っていたヴィルナはここで初めて不安を覚えた。何かとんでもない失言をしてしまったのだろうか。
ヴィルナは自分の口が悪いことを重々承知していた。家族にもよく怒られるし、教会では神父様に叱られた。兄妹同様のフランソワも、それさえなけりゃ可愛いのに、とぼやく。けれど、これが自分だから恥じてはいない。
ただ、自分の物言いで誰かを傷つけてしまった時は真摯に謝ってその言い方には気を付けることにしているが、どう考えても何が失言だったかわからない。『おじさん』だろうか。金髪の綺麗な兄さんがちょっと気にしていた様子だった。だけど、黒髪の人は気分を害しているようには見えなかった。
確かに呼称を間違えただけで立腹する人間はいるが、そのような人物は総じて器が小さい。少なくともヴィルナのささやかな経験上では。そしてこの美しい二人連れは、ヴィルナの口の悪さより、言わんとする内容に興味を持って聞いてくれた。心の広い人間に見えたのだが。
「ごめんなさい」
何がいけなかったのかわからないけれど、とにかくわたしの物言いが悪いのだ。元気いっぱいだった少女は急に一回り小さくなって肩を落とした。それを見て、先にオスカルの方がヴィルナの魔法から覚醒した。
「ヴィルナ」
静かな声だった。
「何を謝ることがあるのだ?何も謝ることなどないぞ」
「でも」
「済まなかった。わたしも彼も少々後ろめたいことがあってね。おまえの真っ直ぐな心に触れて、それを思い出しただけなのだ」
そう言うとオスカルはアンドレに目をやった。アンドレもはっと我に返る。
「うん、君は何も悪くないよ」
「ヴィルナ、おまえの洞察はなかなかのものだ。実は少し前にわたしは本物の人身売買組織を検挙した。そして、おまえの言う通り、組織の首謀者は裕福ではあるけれど、とても孤独な人物だったのだよ。だからと言って罪が消えるわけではないがね」
「驚いたよ。ひょっとしたら君に見られていたのかと思った」
わたしのせいじゃなかったんだわ。笑顔が戻った二人にヴィルナもほっと胸をなでおろす。彼らの言うところの後ろめたいことが何なのかは気になったが、それは訊ねるべきではないと直感が告げる。そこでもう一つの疑問を口にした。
「それじゃ、やっぱり秘密憲兵なの?」
オスカルがゆったりと微笑んだ。
「わたしはフランス衛兵隊ヴェルサイユ部隊長、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ。彼はわたしの側近を務めてくれているアンドレ・グランディエだ。もしかしたら名前くらいは聞いたことがあるのではないかな?」
ヴィルナは驚愕に緑の瞳を大きく見開いた。フランス衛兵? 隊長?ジャルジェ??アンドレ?知っているどころじゃない!幼馴染のフランソワの興奮した声が蘇る。新しい隊長が赴任することになった、と文句たらたらだった時。
『女の隊長の命令なんて聞けるかってんだよな~。きっとスカートめくっただけで泣くんだぜ』
とか何とかほざきやがったので、わたしあんたにしょっちゅう命令していますけど、何か?と一発で黙らせてやった。それなのに奴は最近美人のタイチョに鼻の下をでれでれと伸ばしっぱなしなのだ。
『隊長のミドルネームってさ、フランソワなんだぜえ!なんか特別~なご縁って感じい?』
そうか、隊長さんということはこの人女性なんだ!じゃ、このおじさんが『平民のくせしてさ~、へらへら貴族の女の腰ぎんちゃくやってんだぜえ、男ならもっとプライド持てっつーのよ』の人?フランソワ、あんたの目は節穴かよっぽどの飾り物じゃないの?
目まぐるしく記憶の断片が駆け巡る脳裏の忙しさとは裏腹に、言葉を失ったヴィルナはただこくこくと頷いた。
「わたしはおまえの見立て通り、いいところのドラ息子…のようなものだが、隊員のことはたとえ僅かでも理解したいと願っている。だから時折彼らの生活圏を見学して回ることがある。今夜はアンドレのリクエストでここに来た。おまえに会ってみたいと言うのでな」
おい!オスカル!
アンドレは慌てた。自分からさっさと名乗っておいて、あとの始末をおれに振るってか?確かにこの娘に嘘はつきたくないだろう、おれもそう思うよ。しかしいきなりこの展開はあんまりだ!ははあ、さてはさっきの『深窓のお坊ちゃま』呼ばわりの意趣返しか。
少女の手前、恨めし気な上目使いをオスカルに飛ばすわけにはいかない。アンドレは鉄壁の微笑みをヴィルナに向けた。こういうカモフラージュだけは上手くなってしまった自分が何気に物悲しい。
「どこの酒場に行ってもチップは払うだろう?同じ払うなら、フランソワ自慢の妹分にと思ったんだよ」
「フランソワが?わたしを自慢していたの?」
「君が可愛くて大切でしかたないんだろうね。嬉しそうに君の話をよくしてくれるよ」
「何て?」
「可愛くて、家族思いで、最強…だったかな?」
「なっまいき!」
「おっ?」
憤懣やるかたないと言わんばかりに頬を膨らませた少女にアンドレは片眉を持ち上げた。
「頼りなくて泣き虫で世話ばっかり焼けるくせに、兄貴風だけは一人前なんだから!」
「へえ?そうなのかい」
「二つ年上だけど、わたしがいなかったらあいつは今頃窃盗罪で鎖に繋がれてガレー船漕いでいるか、牢屋で干からびた骸骨になっているわ」
オスカルがヒュウッと口笛を吹いた。さしずめ幼少期のフランソワは窃盗であわや御用となるところを、ヴィルナの機転に救われたことが少なからずあったのだろう。
一方ヴィルナは言ってしまってからヒヤリとした。二人があまりにも気さくなので、つい盗みのことを喋ってしまったが、『隊長さん』は体制側の人間なのだ。
しかし、返ってきたのは楽しげな口笛だった。どうやら『隊長さん』は、飢えた子供が食うために働いた盗みを追及するつもりはなさそうだ。むしろ、その逞しさに感心してくれる度量の持ち主なのかも知れない。ヴィルナは警戒を緩めた。
「見事な連携プレーだったとフランソワは自画自賛していたぞ」
大きな彼もやたら美しい相棒に負けず劣らず大らかに構えている。窃盗と聞いて微動だにしない理由が二人にあることなどヴィルナには知りようもないが、警戒心はするすると解けていく。
「見方によっちゃ危険な役割をフランソワが一身に引き受けていたとも聞こえるね。君に直接盗みをさせたくなかったんじゃないかな。君が彼を守っていたように、彼も君を守っていたんだよ」
「えっ?」
そんな風に考えたことはなかったヴィルナだった。今まで誰かにそう指摘されたこともなかった。膨れた頬のまま、どんぐりまなこをぱちくりさせ、ぐるぐると思索を始めたヴィルナの姿に二人は顔を見合わせて微笑んでから、オスカルが後を引き継いだ。
「フランソワとの付き合いは長くはないが、アンドレの言う通りだと思うぞ。この上なく心優しい青年だ。そして愛するものを守ろうとする強い意志を持っている」
オスカルの力強い後押しに、ヴィルナの柔らかい頭脳はフルスピードで回転を始める。
「考えても見ろ。実行犯が捕まればムチ打ちは免れない。悪くすれば片腕を切り落とされる。フランソワなら君をそんな目にあわせたくないと思うはずだ」
―たしかに、そうかも。
ヴィルナの役割は偵察と合図係が主だった。必要に応じてフランソワの逃走路の確保。それは高度な機転と全体を見渡す眼力と統合力を要する。だから一度に一つの事にしか集中できないフランソワには盗み役しか振れなかった。
一方的に彼の面倒を見ているつもりだったヴィルナだが、確かに窃盗が失敗した場合に捕まる危険は彼が一身に負っていた。賢い少女は早々に結論を弾き出した。
「素敵な考えをありがとう。そんな風に考えたことはなかったけれど、その通りだと思う。フランソワに会えなくなる前にわかって良かった。彼を思い出す時に頼りないお調子者だけじゃない、優しくて強い彼を思い出すことができるから。良かった。本当に良かった」
見る間にヴィルナの大きな瞳に涙が盛り上がった。大粒のしずくがぽろりと零れ落ちる。
「会えなくなる?」
この少女はオッフェンバック男爵家の養女になることをすでに決心したのだろうか。アンドレは未使用のハンカチが内ポケットに入っていなかったと忙しく探しながら少女の目線に合わせるように身を屈めた。
「人買いにわたしを売る約束をしたの。わたしは貴族の家に送られてお姫様に仕立て上げられたら、そのお家の役に立つところにお嫁に行くの」
これ以上の涙をこぼすまいと必死に瞳を見開く少女の意志に関係なくぽろぽろと溢れ出る涙はもう止めようがない。それは、本当に君のしたいことなのかい。のど元まで出かかった問をアンドレは押し戻した。それを聞くのは酷だろう。
ただ黙って探し出したハンカチを少女の手に握らせる。男である自分は引いた方がいい。アンドレはオスカルを振り返った。
新着コメント
- もんぶらん ⇒ One and Half Love Stories 2章 ★New★だけど再掲
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