聖夜に降る音 7        ☆

2025/12/29(月) Hoel de Jardjais様 掲載作品 2


深夜ミサに行かない子供達の寝支度のために、子供の寝室に残ったマロン・グラッセに後を任すと、アンドレはホールに降りて来た。幾種類もの香水の残り香と、たった今までここに人が集っていた温かい余韻が残っている。

重いカーテンを押し上げて外を覗いて見ると、二台の馬車が門を通り抜けて出て行くところであった。

「アンドレ」
オスカルがサロンから顔を覗かせた。
「皆ミサに出掛けたぞ。それで、どうするのだ」

見れば、オスカルも外出着に着替えている。アンドレは急いでオスカルの肩を押して中に入った。
「あまり時間がないからな、こっちに来てくれ、オスカル」

大サロンの中央奥、アーチ状に石組みされた暖炉上に5連の銀製燭台が2台分、新しい蝋燭に替えられて、明々と燃えている。その明かりに照らし出されて、そのすぐ上に掲げられた十字架とジャルジェ家の紋章の影が壁面にゆらゆらと影を落としていた。

壁面と、シャンデリアの蝋燭の芯はすでに切られており、暖炉を中心に淡いオレンジ色をした焔が作り上げたほんわりと丸い空間だけが浮かんでいる。暖炉に向かって左の角にはアンサンブルの若者がまだ残っていた。

オスカルは先程まで彼らと言葉を交わしていたらしい。家族音楽会準備の顛末などを聞いていたのだろう。アンドレに押されて戻ってきたオスカルににこにこと笑顔を向けている。

「座って、オスカル」
暖炉前の特等席にアンドレが長椅子を引っ張ってきた。そして腰を降ろしたオスカルの前に膝をつく。

「えっと…」
そう言うと、彼は暫らく思案気にオスカルを見つめては目を伏せる仕草を二度ほど繰り返した。言葉が出てこない様子である。オスカルも無言で、やや首を傾げて彼の言葉を待った。

するとアンドレが黙ってオスカルに手を差し出したので、オスカルはその上に自分の手を重ねた。アンドレはその手を取ると、大切そうに甲に口付け、両手で包み込むとオスカルの膝に置き、動かなくなってしまった。

「アンドレ?」
オスカルはアンドレの肩が小刻みに震えていることに気がついた。アンドレは何も答えない。何かに一生懸命耐えるかのように、肩の震えが大きくなる。

「どうしたのだ、アンドレ」
不安になったオスカルが残った方の手をアンドレの頬にかけ、顔をあげさせようとした時、こらえきれなくなったアンドレが突然笑い出した。

「あ…っは、だ、だめだ!今更…あははは」
オスカルの膝に額をつけて笑い転げるアンドレ。呆気に取られたオスカルだったが、あまりにアンドレが大笑いしているので、笑いはたちまち伝染してしまった。

「ふふふ、何だアンドレ、これも演出か?」
苦しそうに息を継ぎながら、アンドレはやっと途切れ途切れに言葉を引っ張り出した。
「ち…違う!こ…こんなはずじゃなかったんだけど…ああ参った!止めた止めた、あははは」

アンドレは顔を上げると、片膝立ちのままオスカルの両肩に手を掛けた。まだ可笑しそうにくっくっくと笑いを洩らしている。

「本当は、これからかっこいい口上を決める予定だったんだけど…ばれちゃったんだもんなあ。今更どう頑張ってもかっこがつかないよ」
アンサンブルの連中からも笑いが洩れた。

先程の彼の慌てぶりがオスカルの脳裏に浮かんだ。あんな形で、どんなにか驚愕しただろうに、笑い飛ばしてしまえる大人気が好きだと思った。とても好きだ。風雨にさらされて余分なものを削ぎ落としたあとの大人の無邪気さが好ましかった。

「気障な口上か…、ふふふ、おまえのその様子では無理だな。だが惜しかった。是非聞いてみたかったな。それでおまえは何かわたしに用意してくれたのだろう?それまで中止にしないでくれ」

オスカルは催促の意味もこめて、アンドレの上着の襟をくいくいと引っ張った。

それはないない、とアンドレは身振りで答えると、腹を押さえてようやっと息を整えた。
「うん、日付も変わったし、改めてオスカル、誕生日おめでとう。おまえがこの世に生まれて来てくれたことを、どんなに感謝しても足りないと、毎年思う」

そう言うと、アンドレは嬉しそうにオスカルの頬に祝福を贈った。
「喜んでいるのはおれの方だよな」
そう言って、微笑む。

さり気ない一言一言がオスカルの胸の奥に触れる。包み込まれていると実感させてくれる。
「下手な台詞より、その方が嬉しい」

暖かいもので胸が一杯になって、オスカルの声が詰まる。アンドレは暫らく膝立ちのまま、オスカルの手を握っていたが、意を決して立ち上がった。自分自身を奮い立たせるように。

「これ以上ない位の本音だからな。と言う訳で前置きはなし。そこで聞いていてくれ。おれからおまえへ…くそ、やっぱり照れるな…」

再び含み笑いがアンサンブルから起こったようだった。アンドレは汗をかきかきその一歩前に立った。

「おまえが照れるとこっちも恥ずかしいぞ!しゃきっとしろ!」
オスカルが茶々を入れるが、実はこれも照れ隠し。こら、とアンドレが軽く睨み、それを合図に前奏が始まった。

聞き覚えのあるメロディーは、パリのカフェでも、宮廷の音楽サロンでも今大人気のマルティーニのロマンス(*)

「おい、これは…失恋の歌じゃないか」

誕生日に贈られるにしては的外れな選曲ではないか。モーツアルトは見事に選んでくれたのに、あれはまぐれか?不満げなオスカルに、アンドレは悪戯っぽくまあまあと手で制する。

「少し、世俗の世界にも足を延ばしてみましょう」
茶目っ気たっぷりにお辞儀するアンドレに、オスカルもやれやれ、と苦笑して長椅子に深く座りなおした。

ゆったりとしたラルゴでアンドレが歌いだす。甘いなだらかなメロディーが、木管楽器のような深みのある彼のテノールに乗って溶けそうに流れてくる。一緒になって溶けて流されてしまいそうな甘さ。

うわ、これでは最後まで正気を保てるかどうか自信がないぞ。生唾を飲み込みながらも、失恋の歌という一点だけは引っかかるオスカルではあった。

恋の喜び儚くも 苦しみこそ長かれ
そう人は言うけれど おれの場合はこうだった

突然テンポがモデラートに変わり、アンドレがコミカルに語り出した。いきなり歌詞が違う。オスカルはあんぐりと口を開けた。

恐怖の剣の稽古が終わり 夏の優しい木蔭のもとで
小悪魔すとんと眠りに落ちた
眠ってしまえば天使のよう 天の衣を織るような  
金の波打つ絹糸の束に 野ばらを一輪差してみた

オスカルの目がさらに大きく見開かれる。替え歌だ!からかわれている気はしないものの、この先の展開は、きっと多少形勢不利だ。メロディーはあくまでも甘く優しく、弦が歌ってピアノが楽しくアルペジオで追いかける。温かなアンドレの声は詩の情景を、遠くから慈しみ見守るように織り上げていく。

寝てさえいれば 世は平和
なのに願う 起きてよ早く
願いはじきに叶えられ 開いた瞳は空映す 
剣の似合う蒼い目に 白い花もよく映えた

見とれるおれに飛んできた その威力も天晴れな
小さな拳と怒鳴り声 おれの人生ここまでか

甘やかなメロディーが都合よく短調に変わる。明るく語っていたアンドレが、芝居がかった悲壮な目つきをしてみせる。呆れたのを通り越して、オスカルは笑い出した。

覚悟を決めて向き合えば 拳骨すらも愛おしい
この気持ちがもしかして 世界中で有名な
恋というものならば 身体を鍛える他はない
せめて望みが叶うなら 次は平手にしておくれ
紫色の頬撫でて 金色天使を見送った

また、メロディーは主題に戻り明るい調べになる。よく計算して作ったものだ。くっくと笑いながらも睨みつけてやると、アンドレが参ったかと威張って見せた。

そうだ、あれは初夏の美しい昼下がりだった。少年アンドレの目線で見た風景が、オスカルの目の前に広がる。懐かしさにどこか切なさの混じる甘酸っぱいものが胸に満ちた。

花も似合うと思ったことと 綺麗という一言を
封じ込めてしまった訳は 鉄拳怖いからじゃない
それを口に出したなら おまえの心が泣くことを
その時知ったからなんだ

ユーモラスな歌詞に、表情を緩めていたオスカルが静止した。思わずアンドレを食い入るように見詰める。そんなオスカルにアンドレは優しく頷いて見せた。

よける間合いは覚えたし 身体もしっかり鍛えたが
まだまだおれは甘かった よけてはいけない時もある

いつか言わせくれないか 
武器を持つ手も指揮とる声も
花もリボンも纏わぬ髪も 
そのまま誰より綺麗だと

おまえの心         
泣かなくなったその時に 

恋の喜び儚くも 苦しみこそ長かれ
そう人は言うけれど それがなんだと言うのだろう
長かったのは おまえの流した見えない涙

そろそろ言っても   
いいだろう?


始まりと同じようにゆったりと豊かなテンポで、最後のフレーズが静かによく伸びて消えていった。恋歌でありながら、祈りのようでもあり、子を慈しむ子守唄のような、まどろみながら、身をゆだねたくなる余韻がたなびく。音が消えた後の空白に、何もない豊かさが残っていた。

感情というものは、一度回路が開いて流れ出してしまうと、その性質を問わなくなるらしい。オスカルは笑いながら、腹も立て、呆れ、泣きたくて、幸せだった。あらゆる感情が交じり合って流れだす。

「お気に召しましたか?」

アンドレが近づいて、両手を後ろに組んだまま腰を屈めてお伺いを立てる。

「拍手がございませんが?」

直訳すれば大丈夫か?やりすぎだったか?である。それに答えるべく、オスカルがぶっきらぼうに下を向いたまま、乱暴な拍手を3発。訳は、してやられた、だ。

「お気に召されましたら、次の曲に参りますが、ご気分が悪いようでしたら…」

オスカルは急いでアンドレを見上げる。彼の満面の笑みの中には少しだけ不安そうな影が見えた。

「止めるのか?」
オスカルのその反応に、不安な影はすっと引き、アンドレは明るく白い歯を見せた。
「いいえ、お口直しのもう1曲をいやでもご披露いたします」

ぷっと噴出したオスカルは、莫迦、その口の利き方は止めろ、と心にもない文句を言った。
「じゃ、いい?」

首を傾げてアンドレが問う。優しい瞳はたった一つ。

「早く続けないと気が変わるぞ」
アンドレはまだ少し強がっているオスカルの頬を両手で包み込み、親指でそっと優しく撫でた。

「そうじゃなくて…綺麗だって言ってもいいかな?もう泣かない?」

アンドレのせいですっかり開いてしまった心の回路。その最後の水門を、彼のこの言葉が開けた。おかげでかろうじて張っていたオスカルの意地の糸が、ふっつりと消える。

「泣かない。その代わり…」

言いながら、ぽろりと大粒の涙がオスカルの頬を伝って落ちた。その一滴が呼び水となり、嗚咽で声が震えた。

「25年分言え」


あまりの愛しい返答に、アンドレも心の平衡を崩しそうになるが一応この場は二人きりではないので、何とかこらえる。最も、今更アンサンブルの目を気にする意味があるとも思えない。アンドレは考えるのを止めた。

「もう、泣いているじゃないか」

アンドレの指の間を暖かい涙が幾筋も伝い落ちる。指で拭っても拭っても後から溢れ出すオスカルの涙は温かかった。

「本当に辛いときは涙は出ないんだ、アンドレ」

オスカルは泣きながら微笑んでいた。そして右手で左胸を押さえて見せる。アンドレはこみ上げる愛しさに押し切られ、その身体を強く抱きしめると、耳元で一言、一言噛みしめるように囁いた。

「うん…そうだな。そうだったな…」

氷の花と呼ばれ、求道的に研鑽を積み、揶揄には悠然と微笑んで鋭い切り返しをしながら、オスカルはどれだけの見えない涙を流したのだろう。しかし、今オスカルの頬を流れるものは、雪解けの涙だった。

彼はポケットからハンカチを取り出してオスカルの涙を吸い取った。アンドレのポケットからは、はらはらと白いハンカチが次から次へとこぼれ落ちた。

「ふふ、子守りの必携アイテムが役に立ちそうだ」

何枚ものハンカチをくしゃくしゃと丸めてオスカルに握らせると新しく盛り上がってきた涙は唇で吸い取ってから、アンドレはオスカルの身体を離した。

「洟は自分でかむんだぞ?」
「莫迦言ってろ」

オスカルは泣き笑いし、言っている傍から洟をかんだ。
「25年分…一生かかっても言ってやるよ」
「うん…」
「では早速」

優しいけれど真剣な瞳がオスカルを見つめた。取り戻そう。おまえがしまい込んでしまった、おまえの望みを全て。黒い瞳はそう言っていた。

「あ…今は…は洟っ垂れでとても綺麗とはいえないぞ」

真面目な彼女は真面目に慌てた。その慌てぶりが理屈ぬきにまた可愛くて、アンドレはオスカルのほんのりと赤くなった鼻にキスを贈る。

「世界で一番美しい洟垂れ美女に捧ぐ。急がないと何せ25年分だ」

アンドレがアンサンブルの方を振り向くと、口笛が二三上がった。気のいい連中だ。こうなってしまったら、澄まして知らん顔をされるより、いっそからかってもらった方が気が楽だ。アンドレは合図を送った。

バイオリンだけで主題が奏でられる。シンプルだけれど旋律だけで物語りのような美しいメロディーのロマンス。オスカルには初めて聴く曲だったが、昔から知っていたようにすぐ、頭の中で主題がリフレインを始めた。

どうしてこんなに懐かしい気持ちになるのだろう。そんなことを思っていると、アンドレの声が弦にすっと寄り添った。控えめな、少し夢みる甘さと艶やかさで、オスカルを音の振動に誘い込む。

君の髪 陽を含んで 麦の波
君にいちばん 似合う色
あのお日様に 名を刻んだら
――おれのものに なってくれる?

弦が4声になりピアノとフルートが加わると、アンドレがやや力強さを加えたが、甘い語り口は変わらず、器楽と見事に調和した。

君の頬 きっと天使が 間違えて
天上の果実を 落としたか
ほっぺの落ちる 味だろう
――おれのものに なる頃よ?

君の唇 夢みたいな その色を
女神が妬いて 盗る前に
早く隠してしまいたい
――おれのものに なってくれる?

ゆったりとロマンチックな2種類の主題が繰り返される解りやすい調べを、オスカルは両手でハンカチを握り締めたまま、魂の根っこを掴まれたかのように聞き入っていた。膝が濡れるのも構わずに。アンドレは、そんなオスカルに、自然に手を差し出す。そうせずにはいられなかった。

悪ふざけもするが、気も利くアンサンブルの連中が、間奏を延長してくれた。バイオリン奏者がアンドレにウィンクを飛ばす。アンドレは目で礼を返すと、オスカルの手を握り、引っ張り起こした。

「踊りませんか?」
順序が逆だがこの際もうどうでも良かった。返事を聞く前にアンドレはオスカルの腰を抱いていた。

我に返ったように自分が椅子に座っていない事に気づくオスカル。すぐ目の前でアンドレが笑っていた。いつの間にか、足はステップを踏んで音楽に乗っている。メロディーはすっかり覚えてしまったのにどこか気恥ずかしく、アンドレの胸に額をおいて憮然と呟く。

「女性パートは苦手だ」
「おれは得意だ。代わろうか?」

返ってくる応えはあくまでも優しい。
「いやだ!」

アンドレの言葉に重ねるように反応する自分に、オスカル自身も驚いた。同じように驚いたアンドレと目が合う。一瞬見つめ合い、じきにどちらからともなく笑い声が弾けた。

「了解、そう来なくっちゃ!」
アンドレが力を込めてオスカルの腰を抱き直した。

「あっ」
途端にオスカルがアンドレの足を踏んだ。二人で同時に男性パートのステップを踏んだからだ。次に同じ方向に旋回して慌てて戻る。互いに手を取ろうとしてしまう。オスカルは焦れた。

「あっ、くそ。おかしいな」
「ほら、こっちだったら!」
「ずるいぞ、何でおまえは両方できるんだ」
「そりゃあ、延々と女性パートを踊らされた暗い過去があるからね。あ、いてて今ワザと蹴ったろ」

子供のようにくすくすと笑い、膝ががたぴしとぶつかり合うのを楽しんでいるうちに、優雅とはいえないまでも、何とか様になって来た。音楽に乗ってオスカルの身体が自然に女性パートを踊れるようになったところで、アンドレが踊りながら歌い出した。

君の一番綺麗なところ
目に見えない場所にある

綺麗だから 傷ついた
けれど 心は燃え続ける

そんな君の一角に
住まわせてくれないか

アンドレから目が離せない。耳元で響く声に酔わされる。抑えた声量にもかかわらず、胸腔で豊かに共鳴する歌声が直接オスカルの胸にも流れ込んで来る。言葉と、振動に包まれて、アンドレと二人だけの異空間に浮かんでいるようだ。

君の一番綺麗な姿
誰にも見せずにきたけれど

綺麗なだけに 勿体ない
自慢したい 見せたくない

だからおまえの真ん中にに
おれだけの場所くれないか

夢見心地のオスカルのステップが少しずつ小さくなる。アンドレもそれに合わせ、そっと囁いた。

「簡単なフレーズだろ?後に続いて、オスカル」
「え?」
「そのまま繰り返して」

アンドレがオスカルの腰を揺らしながら、歌って見せる。

今、腕の中に世界を抱く

ごしょごしょと、オスカルは口の中だけで繰り返す。そこまで言わせるのか、と上目遣いで見上げた。頬が熱い。アンドレは構わず続ける。

どうかそこに住まわせて

「……ごにょ……」
同じフレーズをなぞりかけて、オスカルが止めた。
不満げに――いや、幸せな抗議がぼそりと口に出た。

「誘導尋問だ、アンドレ」

喉の奥で愉快そうにアンドレが笑う。
「じゃあ、好きに切り返してこいよ。単純なメロディーだから」
「気が向いたらな」

ふて腐れた顔を隠したオスカルの背を、ぽん、と叩いて。アンドレは“ご機嫌伺い”モードに入った。

A: おれのものになろう?

ダンスはゆっくり続いている。そっぽを向くオスカルの顎に手がかかり、ピアニッシモの囁きが耳をくすぐった。

A: ……お願い

オスカルは照れ隠しの不機嫌な目を向け、アンドレと同じくらい低い声で返す。

「おまえが わたしのものに なるならな」
「おや」

アンドレは意外そうに首を傾げたが、すぐに嬉々として続けた。

A: おまえのものだよ 最初から
  そうでない時 あったっけ?

仕方のない奴だな、付き合ってやるか。嬉しそうな恋人にオスカルは今度はちゃんとメロディーに乗せて、小さな声で歌ってやった。

O: 長かった愚かな時代
何も見えていなかった

びろうどのアルト。大人の艶やかさを持つ文句なしの女声である。打たれたようにくぎ付けになったアンドレは次のフレーズに一瞬遅れ、代わりにオスカルがもうワンフレーズ続けてみた。

O: 約束しよう おまえのものだ

アンドレの目尻が熱くなる。つい、抱きしめたくなるのをこらえ、微笑み返した。歓びをステップに乗せて。

A: 長かった愚かな時代は おれだって
O: 長かった愚かな時代があればこそ

図らずもデュエットになり、微笑み合い笑いながらステップが早くなった。足さばきも軽くなる。

  「本当にやり直したい?」
  「ふふ、どうかな?」

A: やり直すなんて言わないで 今のおまえが最高だ
O: 張り倒すから覚悟しろ やり直したら最後だぞ

オスカルの切り返しにアンドレが高く笑い、恋人をくるりと回す。リードされ慣れないオスカルは、その勢いでアンドレを逆回転させた。ふたりの笑い声がサロンに響く。

A: こんなおれでいいのかい 振られないかと心配だ
O: そんなおまえでしかたない 心はおまえで満杯だ

ただの言葉遊びのつもりが、旋律に乗るとオスカルの胸の奥が開かれていく。そこには、まだ告げていない想いが残っている。告げなくては。――いや、告げたい。

O: 遠回りを許して欲しい
  おまえはわたしの血と肉
  魂の片割れ

「オ・・・スカル・・・」

にこやかに余裕で導いていたはずのアンドレが、息を呑み、声を詰まらせた。音楽だけがワンフレーズ流れ、二人の足取りがゆるやかになる。アンドレが唇にのせた言葉は、殆ど吐息だった。

A: ……言葉が、見つからない

オスカルは目を伏せ、同じ吐息で返す。

O: なら――探すな ただ見せて
A: どうやって?
O: わたしに触れて

形勢が、逆回転を始めていた。オスカルの方が、溢れる想いを真っ直ぐ向けてくる。アンドレは足を止め、震える手でオスカルの頬を挟んだ。一度、二度――失敗して、それからようやく、壊れ物に触れるように口づけた。

くちづけが離れた瞬間、アンドレは思わず天を仰いだ。

A: 夢見ていたよ このくちづけ 
O: 与え合おう ありったけ
A: 焦がれ死にまで 秒読みだった
O: それがわたしの もくろみだった

それは一本とられたな、と肩で笑いながらアンドレは額を恋人の額に合わせた。オスカルはそれに飽き足らず、自ら唇を重ねてくる。アンドレは歓喜のあまり目眩に襲われた。

A: だめだ 足りない 目が回る
O: わたしの 男は 手がかかる

オスカルは間髪入れずもう一度恋人にキスを与えた。すると恋人はオスカルを抱きしめ、ターンを決める。オスカルの両足がふわりと浮いた。


「一生手がかかるかも」
「一生で足りるのか?」

アンドレの瞳が潤み、声が掠れる。

「じゃあ……残りの人生、ずっと傍に・・・?」
「いるとも!……専属契約でな」

アンドレの笑みが驚愕に取って代わり、息が止まる。

「……それ、言葉遊びじゃないよな?」
「おまえの心で遊ぶものか」

アンドレは応えず、オスカルの肩の上でゆれる金髪に顔を埋めてしまった。足だけは緩いステップを踏みながら。酷なことを言ってしまったか。与えられるのは「秘密」の印が押された契約に過ぎない。

オスカルはアンドレの首の後ろで組んだ手を外して、片手を彼の髪の中に滑り込ませ、もう片手を背に回す。そしてアンドレの首元に頭を寝かせた。彼女の鼻先で彼のクラバットがステップを踏む度に視界を遮る。

『これ以上ない位の本音だからな』さっき彼はそう言った。済まないアンドレ、わたしも今夜ばかりは何も隠せない。何も誤魔化せない。オスカルは目を閉じた。

アンドレが片腕を持ち上げて、オスカルの背中を抱く。顔はオスカルの髪に埋めたまま。その抱き合った姿勢で、二人は暫らくゆっくりとステップを踏んだ。互いの鼓動と息づきと体温が、言葉に代って、生まれた時から知っていたメロディーに乗って。

どちらからともなく足取りが止まり、アンドレが顔をあげると、オスカルもアンドレに正面から向き合った。二人とも頬が濡れている。微笑みが歪んで見えた。


A: おまえは、普通のお嬢様じゃない
O: おまえも、型にはまる男じゃないな

オスカルもアンドレの顔に両手を伸ばして濡れた頬を包む。ふと何かを思い出し、先程アンドレに持たされた白いハンカチの一枚を胸ポケットから取り出すと、乱暴に頬を拭ってから鼻にあてがい大仰に頷いて見せた。

アンドレは思わず目を白黒させたが、思い切りふん!と鼻息でそれを吹き飛ばして、勢いよくオスカルを抱きしめる。二人一緒に笑い声があがった。

A: 似合いの二人だと思わないか?
O: 似合い過ぎて、他が入れない
A: 完璧より厄介な
O: 厄介で結構 絶好の相棒 

泣き笑いで忙しい二人に、ダンスはとうに忘れ去られてしまった。アンドレはこっそりアンサンブルに合図を送る。主題のメロディーに次々と弦が和声を加え始めた。オスカルはアンドレの肩に頬を乗せたまま聴いている。

A: おまえがいれば 人生完璧
   いつまでも未完成

アンドレの声に力強さが戻った。最後の一節を美しく真っ直ぐに歌い上げると、4重の弦とピアノがそれに被せて旋律を膨らませ、静かに引いていく。第一バイオリンだけが残った。

A: おれは永遠に恋に落ち続けるから

一オクターヴ上げて、1本の弦に添われて安定したファルセットが、長く長く尾を引いて消えていくのを、オスカルはアンドレの胸の中、全身で味わっていた。


時がしばらく歩みを止めたようだった。ふと目覚めたように二人は地上に降りて来た。楽士達は何時の間にか姿を消していたが、音はまだ降り注いで二人の空間を満たしている。暖炉は燃え続け、大小の薪の爆ぜる音が暖かい。

特別な夜の大薪が、真っ赤に燃え上がって細かい火の粉をあげている。オスカルもアンドレも互いに心地良い重さを担いながら、焔に見入っていた。

「おれ、地獄に落ちるかな」

アンドレが、言葉とは裏腹な満ち足りた声で呟いた。

「地獄に?何故?」
「聖夜に、聖歌と恋歌を同じ場所で歌ったから」

ふふっとオスカルが小さな笑い声を洩らし、アンドレの背に回した腕に力を込めた。

「その時は、わたしも一緒に落ちてやる、アンドレ」
「それじゃあ、そこはきっと天国だな」

アンドレがあやすようにゆっくりとオスカルを抱いた身体を左右に揺らした。そろそろ二人だけの宴に幕を下ろさねばならない。現実は現実で連綿と続いていくのだ。アンドレは理性の限りを尽くして思い切りをつけた。

「さあ、教会まで送って行くよ。これ以上遅くなってはいけない」
「おまえは?」
「すぐに引き返す。レヴェイヨンの準備があるし。人手のない時にお客が増えたきっかけを作ったのはおれみたいなものだから、皆の倍働かないとな」

そのきっかけとやらの大元はわたしなんだが…。アンドレらしい物言いが切ない。幸せなのに切ない。

「今夜のことは忘れない。使い古された言い方だが、一生大切にする。ありがとう、アンドレ」
「そうか。良かった。焼却処分は免れたな」
「焼却処分だって?あ…それで…か!」

オスカルは思い当たる節に行き着いた。大量の手紙類を処分したあの日、素直ではない言い方で恋文を催促したのだ。オスカルの身体を離そうとしていたアンドレに、彼女の腕が巻きついた。

アンドレは恋人の重みを名残惜しく受け取った。

「間違っても燃やされないような恋文を贈ろうと思って考えたんだけど、おれの方が贈り物をもらったようだな」
「燃やしたりするものか。今思えば、あれは恋人に手伝わせるべき作業ではなかった」
「一般的にはそうだろうけど、おまえは普通のお嬢様じゃないから」
「言ったな!」

小突き合いがじゃれ合いになった。早く身を離さなければと気が逸るほど、抱擁が強くなる。やっとの思いで合わせた胸を離し、オスカルが掌で自分の心臓の上を覆った。

「おまえの恋文はここにしまっておく。絶対に焼却されない場所だ」

アンドレは、恋人にコートを羽織らせながら歌うような抑揚をつけて答えた。

「そこなら、むしろ燃やしてもらいたいね、熱情で」
「一生言ってろ」

オスカルの語気は威勢良く、しかし伏し目がちに、一つ一つ釦を掛けてくれる恋人の手元をじっと見つめている。つん、と鋭い痛みがアンドレの胸に走ったが、かける言葉などない。アンドレはオスカルの肩を大切に抱いて向きを変えた。

「行くぞ、オスカル」
肩を抱かれて数歩歩いて。オスカルが立ち止まり、恋人を見上げる。

「キスが足りない、アンドレ」
軽く唇を噛んで、子供のように甘えてみた。幸せなのに、切ない。

「だめ」
「何故?」
「今夜はもうだめ。これ以上おまえに触れたら…離せなくなる」

しばしの沈黙が訪れた。薪の爆ぜる音とゆれる影が、終わった宴の残り香のようにサロンに薄く漂う。キス代わりに二人は手を繋いだ。

「三日後にまた会えるよ」
「兵営で?」
「うん、まあ」

アンドレにとって休暇は休暇ではない。特に今年の降誕祭のそれは。

「家族との時間も大切だよ、オスカル。こんな時代じゃ特に。存分に大事に過ごせ。身体もしっかり休めて」
「わかっている!」
「そうだよな、ごめん」

扉の前に立つ。この先に待つ現実は、好きな色ばかりで彩られているわけではない。ドアノブに手をかけるアンドレの手をオスカルが掴んだ。

「どうして…どうして家族の中におまえがいない?」

こらえていた一言を、口に出さずにはいられなかった。言えば彼をも追い詰めてしまうと知っていたのに。なぜ、魂を共有するほどの繋がりを隔てるドアが、この世に存在し得るのだろう。

「家族の時間の中に、割り込んで悪かった。かえって辛い思いをさせたかも知れないな、オスカル」

そんなことを言わせたかったのではなかった。彼のせいでもなければ、自分のせいでもない、思うに任せぬ現実を無視して生きて行けるように、人間はできていないのだ。

「違う…。こんなことを言うつもりじゃなか…」

アンドレの指がオスカルの唇を塞いだ。
「どうして?言ってくれて嬉しいよ」
おまえはずるい、優しすぎる。オスカルはこみあげる涙を止めようと努力した。

「つらいな」
「うん」

無駄な努力だったらしい。オスカルの瞳から涙が溢れる。何の涙なのかもう解からない。つらい、寂しい、やるせない。でもおまえが分かち合ってくれる。嬉しくて幸せ。おまえがいれば何もいらない、何も足りないものはない。全て本当。

「おまえで満ち足りているのに切ない。でもとても幸せなんだ。変だろう?」
「変じゃないよ。おれだってそうだ」
「おまえも?」
「うん」

玄関ホールへ出る扉はもう暫らく開かれることはなかった。

「困ったな、だから言ったのに、だめだって」
「わたしは普通じゃない困ったお嬢様なんだ、好みだろう?」
「ど真ん中過ぎ」
「ハグも足りない」
「はいはい、困ったな、ハンカチはもう品切れなのにこらこら、どこで拭いているんだ」
「おまえのシャツの匂いが好きだ。洟もかむぞ」
「…どうぞ」
「馬車は出すな。馬だ。相乗りで行こう」
「はいはい馬ね、鼻水凍るぞ」
「後ろから温めてくれていれば大丈夫だ」
「…さらって逃げちゃうぞ」
「悪くないな」
「こら、煽るな」
「おまえの困った顔、大好きだ」


ドアは開かれ、ようやくホールに明かりが洩れた。
遠くで教会の鐘の音が何重にも重なり鳴り響いている。新しい年の幕明けだ。


      本編~fin~


(*)ロマンス
ここで言うロマンスとは、革命期に新しく現われた独唱歌曲のジャンルで、大衆も貴族も楽しんだ唯一のもの。技巧よりも歌うことを楽しむための、アマチュアでも演奏できる単純かつ純真なメロディーの曲。主にチェンバロ、フォルテピアノのために書かれた歌曲である。報いられない愛の詩が多い。

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最終章を読み終え余韻に浸っています。アンドレの歌。幼い頃のコミカルな思い出から一転、オスカルの「心が泣く」ことを知って封印してしまった恋文を歌に託して。「いつか言わせてくれないか」から「お前の流した見えない涙」まで。初めて読んだ時と同様、ここで聞いているオスカルとシンクロして涙腺崩壊でした。そして歌の掛け合い。今回のバージョンの方が、二人の会話から自然に流れて、すっと入ってきました。形成逆転して正面から気持ちを伝えるオスカル。「遠回りを許してほしい。おまえは私の血と肉。魂の片割れ」は今回初の台詞ですよね。ぐっと刺さりました。こんなノエルを二人に過ごしてほしかった!「永遠に恋に落ち続ける」OAの絆は私達にとっても永遠のあこがれですね。ベル愛に満ちた奇跡の1年の終わりに、大好きな「聖夜に降る音」の再掲を本当にありがとうございました!!
聖夜に降る音・最終章 horizon MAIL 2025/12/30(火) 13:39 EDIT DEL
horizonさま

ありがとうございます。リニューアル部分、自然な流れと行っていただけてほっとしました。「わたしの血と肉」は旧約聖書のアダムとイブの逸話、アダムの肋骨からイブが作られたエピソードをイメージして入れました。創世記では肉と骨、なんですけどクリスマスチキンみたいなので、血にしました。私のイメージではオスカルさまの肋骨で出来たのがアンドレですけど(笑)。他の掛け合いも、ほぼ新しいです。最後の部分だけオリジナルと同じ。いっそ、ラップにしたら面白いんじゃないか、と思いましたが、私にその技量はなかった・・・。そうそう、「絆」。そこに惚れるんですよ。お付合い下さいまして、ありがとうございました。どうぞ、良いお年を迎え下さい。
ありがとうございます! もんぶらん 2025/12/31(水) 12:19 EDIT DEL
お久しぶりです。

私がネット始めた頃には、Hotel de Jardjais様のHPはもう更新されていませんでした。Hotelサイトには表と鍵サイトがあって、この作品がどちらかに掲載されていたかは記憶が無いけれど、今度これを初めて念入りに読んで、ノエル前後のじゃルジェ家の生き生きとした家族の風景が目に浮かぶようで楽しく拝読させて頂きました。
時系列的には、1788年のノエルですよね。この半年後には、オスカル様とアンドレ、二人とも個人的に事情を抱えこんでしまって最後の幸せだったんだなあ、と改めて考え込んでしまいました。

さて、ところで、もんぶらん様といつも年末の5日間はPCを触っていると、母から怒られてしまいます。お掃除・買い出し・おせち作りで忙しいのにPCどころではないでしょ、と。
年末でもベルばらに浸りたい時ありますよねえ。

今年も宜しくお願いします。

私ももんぶらん様と同じです!!! マリアンヌ 2026/01/01(木) 20:27 EDIT DEL
マリアンヌさま

明けましておめでとうございます!お久しぶりです!ようこそお越し下さいました。

私のこの作は、堂々の(?)表に載っていました。映画ならPGですもの(^▽^)

ちょっとだけ思い出語りをしますね。この作品を掲載して頂いたとき、同時に掲載されたとある方の作品が滅茶苦茶素晴らしくて、うっとりと浸りきりました。そして自分の作品の幼稚さを思い知り、ど~んと落ち込んだんです。もうね、格が違う、センスが違う、品が違う。

今ではその作品も読めませんので、懐かしい思い出です。

お正月はね、まあ家族の期間ですからね。「聖夜に降る音」のサブテーマも家族です。・・・怒られてもしょうがないか。

どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
明けましておめでとうございます もんぶらん 2026/01/02(金) 00:43 EDIT DEL
ステキなデュエットですね♡
彼らの絆と愛がこもった名曲が
焼却できないラブレター!
永遠に恋に落ち続けるアンドレ。
愛するお嬢さまのためのプレゼント作戦が かわいすぎる。

オスカルさまに素晴らしいノエルを
ありがとうございます。
愛する人に愛していることを
伝えられる喜び。
フェルだけでなく、
アンドレともダンスしてほしいと
ずっと思っていたので嬉しいです。

あ、もんぶらん様を支部で お見かけしました。
私も大好きな作品に 感想を残してらして 書き手様は感想も的確で凄みがある!
て思いました~(^.^)
あけましておめでとうございます まここ 2026/01/04(日) 20:39 EDIT DEL
まここ様

まここ様こそ、感想文のキレ、素晴らしいですよ。One and・・・では作品の肝を1行で言い表してくださって、脱帽でした(^^)

今回のダンスシーン、時代考証まる無視なんですよ。抱き合うスローダンスなんて、この時代なかったし。

支部、楽しいですよね。行ったらもう戻って来られなくなって、自分の書き物が全然進みません。だから、普段はKeep outの黄色いテープを張り巡らせているのです。休日が溶けますから。でも、時々テープ跨いで侵入しちゃう。

最後になりましたが、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
今年もよろしくお願いいたします! もんぶらん 2026/01/08(木) 17:06 EDIT DEL

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