掌の上の奇跡 1 (再掲)★New★

2024/12/13(金) 18世紀パラレル


一陣のつむじ風が黒いマントを纏って舞い込んできたかに見えた。マントの中身は、もう今日は会えないだろうと諦めていた待ち人だった。オスカルは風の名を呼んで走り寄った。

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ジャルジェ家では、降誕祭を挟んだ期間、使用人が帰郷を許される。したがって、邸が手薄になる前に降誕祭の準備は早めに万事整えられていなければならない。11月も終わりに近づく頃、ジャルジェ家の使用人らは多忙を極めていた。

先頭指揮にあたるのは勿論ベテラン侍女頭マロン・グラッセ。そのマロンが一番こき使いやすいのは無論孫のアンドレ。この時期ならでの恒例行事とはいえ、かれこれ丸二日ほど恋人と触れ合えず焦れているのは、次期ご当主オスカル。

そんな訳で、当然二日ぶりの再会には感動的な熱い抱擁・・・を期待したオスカルだったが、黒い影はあっさりと彼女の肩を押さえて向きを変え、こっちこっちと彼女が座っていた暖炉前のカウチへと押し戻した。オスカルとしては肩透かしもいいところだった。

礼節正しい従者としてはあるまじき非礼を承知で、恋人は帰宅するなり外出着のまま一直線に彼女の居間に飛び込んで来たのだ。彼のハートは一刻も早く彼女を抱きしめたいと、熱く燃えさかっている、と期待して当然ではないか。

馬鹿を見たオスカルの顔色が険しくなった。ところがアンドレは珍しく恋人の不機嫌に気づかず、他の何かに気をとられている。形の良い鼻先をほんのりと赤く染め、溶けた雪に濡れた髪が額に頬に張り付くのもお構い無しに、彼は何やらテーブルの上に取り出そうとしていた。

「ほら、なかなかいい具合に焼き上がっているぞ。これが聖母だろう?ガウンの青が綺麗にでている。それからこっちが聖ジョセフ」

凍えきった唇が繰り出す言葉はたどたどしいが、嬉しそうに彼が布袋から取り出したのは、鮮やかに彩色された掌の上に乗るほどの大きさの土人形だった。

冷え切った指が思うように動かないらしく、気持ちが逸れば逸るほど、テーブルに出された人形はうまく立ててもらえずに次々と転がった。

久しぶりに部屋で二人きりだというのに、キスも抱擁もくれずに人形などを構うとは何たる無粋。オスカルは大いなる不満を表情で表明した。ところが、気配り名人であるはずの恋人は、人形を並べるのに夢中で気づかない。

オスカルは、これ見よがしに足を組み、腕も組み、悪代官風ポーズをとって見せた。が、ちらりとも見てもらえない。恨みがましい目つきで彼の手元を凝視すれば。ずらりと勢揃いした土人形の色合いがなかなかの鮮やかさで目を引いた。

そうだ、思い出した、この人形はこの間の。オスカルはとりあえず腹立ちを横に置いた。

「ほう、これがこの間彩色したやつか」
「うん、上薬をかけて焼き上げると、まったく印象が変わるだろ?」

凍えたアンドレの指先は、またもうひとつ人形を取り落とした。オスカルは深々と座っていたカウチからさっと立ち上がった。

「ほら、わたしが並べてやるから貸せ。指が冷え切ってまともに動かないじゃないか」
「だめだ。順番があるんだ順番が」

何がそれほど楽しいのか、興奮した様子でこれだけは渡さじとアンドレは袋を抱え込んだ。こどもか、おまえは。オスカルは両手のひらを見せて保護者のような口をきいた。

「判った、判った、それには触らないから、まず少し暖まったらどうだ。氷柱男」

無粋な恋人になら怒りもするが、こども返りしている男では怒りが持続しない。

オスカルはアンドレをテーブルから引き離すと、暖炉前に敷かれた敷物の上に引きずり降ろした。そして自分も隣に座り込み、彼女の手には余るアンドレの大きな手を両手で包み込むと、かじかんだ手に息を吹きかけ始めた。

オスカルの真剣な横顔が暖炉の明かりが照らし出され、アンドレははっと息をのんだ。人形に奪われていたアンドレの意識は、次第にもっと目を離せないものへ引き付けられていく。ノエルの準備に阻まれて、会うに会えなかった恋人への愛おしさが溢れ出した。

「こっちも冷えているんだけど」

氷のように冷たい唇がオスカルの頬に降りて彼女の熱を奪い、彼の手から人形がまたひとつ、厚い敷物の上に音もなく転がり落ちた。

       
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「えっと、それでおれは何をしに来たんだっけ?」

数十分後、オスカルの髪に鼻先を埋め、ゆっくりと金糸の束をふわりと包み込んでは梳きおろしていたアンドレが手を止めた。

「わたしに見せるものがあると言って飛び込んで来たではないか。テーブルにまだ転がっている」

彼の手の感触と、暖炉で薪がはぜる音を楽しんでいたオスカルは、物憂げにそう答えると、片目を開けてアンドレの反応を確かめるやいなや、大事な恋人の腕をしっかりと抱え直した。二日ぶりに取り戻した男だ。また人形に奪われてはたまらない。

そんなオスカルの望みをよそに、アンドレはさも大事なことを思い出したとばかりに身を起こし、オスカルの両肩を抱えるとカウチに彼女をきちんと奥まで腰掛けさせた。

「ちょっと待ってろ」

額にキスを貰ったオスカルだが、不満の虫をなだめるには充分ではなかった。とっさにオスカルが足でたぐり寄せた敷物は、見事にアンドレの足元をすくった。

すっかり温まったアンドレは、やはり見事に傾いだ体勢を立て直す。長年だてに祖母のヤキを掻い潜ってきたわけではない。

転倒を無事回避し、アンドレはなだめすかすように彼女にくちづけると、持ち帰ってきた物をテーブルごとカウチの傍まで運んで来た。

「わりとよい出来だと思わないか」

今度は器用に手先を動かして、土人形を並べていく。たちまち四組のクレーシュが出来上がった。

三人の東方からの賢者、聖母マリー、聖ジョセフ、飼葉桶に寝かされたキリスト、二人の天使、牛、羊。

いかにもノエルらしい鮮やかな色合いを、素朴なフィギュアが程よく和らげていた。人形の影が長く引いてテーブルに落ち、暖炉の炎とともにゆらゆらと揺らめく様は、どこか神秘的な雰囲気さえ感じられた。

忌々しそうにアンドレの作業を眺めていたオスカルも、気が付けばつい引き込まれる。なぜなら、これらはただの人形ではなく、彼女の自作だからだ。

「結構沢山作ったもんだな」
「ああ、おまえがロバを作るのに付き合ったお陰でこんなにいっぱいできた」
「そ、それを言うか」

そう、すっかり忘れていたけれど。これらを作ったあの夜。散々な目にあったオスカルだったのだ。


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ちょっと寄り道をして行こうと言うアンドレに連れられて、オスカルが足を踏み入れたのは、パリでも家具工房がひしめき合うフォーブル・サンタントワーヌ。お世辞にも行儀の良い住人が多いとは言えない貧しい職人街だった。

細い路地の突き当たり、指物屋と印刷工場に窮屈そうに挟まれて、アンドレが目指す小さな陶磁器工房はあった。

「今晩は、親爺さん」

知り合いを尋ねるような気安さで、アンドレが店の建て付けの悪い扉をぎしぎし言わせながら開け、挨拶をする。

「来たことがあるみたいだな」
「まあね、ピエールと巡回中に教えてもらった。奴の伯父さんがやっている」

アンドレは、警戒するオスカルをいともあっさりと店の中に押し込んだ。狭い間口のわりには奥は深く、土や油や薬品の入り混じった匂いがこもっている。剥き出しの石壁にはあちらこちら傾いだままの木の棚一面に設えてあった。

棚にはところ狭しと薄汚れた布に包まれた大小様々な粘土の包み、見たこともない変わった形をした工具とおぼしき金物類、各種サイズの角材、丸材などが並べられている。そして白い土だらけの大きな木のテーブルが部屋の真ん中にでん、と置かれていた。

「これはこれはグランディエさんとおっしゃいましたな。本当にこんなむさ苦しいところまでおいでになるとは」

見事に禿げ上がった頭に、耳の上から襟足にかけてだけグレーのきつい巻き毛を躍らせた痩せた男が、驚きを隠そうともせずに店の奥から現れた。年の頃は50代半ばといったところだ。

「ええ、お邪魔でなければこの間お話を聞いた南部からの粘土を少々譲っていただこうかと」
にこやかにアンドレが答えると、親爺の表情がぱっと明るくなった。

「そりゃあ、あたしとしては願ってもないことですが、あんなものどうなさるんで?これならセーブルにも見まごうものができる、と掴まされちまった粘土はレアルクレイの真っ赤な偽物。

キメが荒すぎてとても食器には使えない代物でさあ。お陰で運用資金は底をつく、商品は作れないわで八方ふさがりのまま年の瀬を迎えなくちゃなんねえんです。

店は開店休業中ですし、その粘土は捨てるよりほかに使い道はありやせんから、どうぞお好きなだけ使ってくだせえよ」

アンドレはオスカルの背を押して、さらに奥へ誘った。どうやらここの親爺は騙されて粗悪品に金を払ってしまい、困っているようだが、はて。アンドレは何をしようとしているのか。

アンドレに疑問符を飛ばすオスカルを、土だらけのテーブルに有無を言わせず掛けさせると、親爺さんに答えた。

「連れとわたしが少々いじる程度ですので、量はさほど必要ありませんが、焼き上げてくださったら、手数料もお支払いさせていただきますよ」

オスカルは怪訝そうにアンドレを見上げて、ついに口をきく。
「いじる・・・ってわたしが?何を?」

まあまあ、とアンドレになだめられているオスカルを、親爺は眩しいものでも見るように見つめ、放心して呟いた。

「いくらだってありがてえですよ。・・・しかしそのお連れさんは何と言うか・・・天使さまが教会の壁画から抜け出てきなすったようなお方ですなあ。思わず拝んじまいそうだ。

こんなに食い詰めていりゃあ、なおさら神さんにはおすがりしたくなるってもんだが、今夜は天使さまが本当に慰めに来てくだすったようで」

そこまで一息に言うと、親爺はぐすっと鼻をすすった。

「どん底まで来ちまいやしたが、後はもう良くなるしかないような、希望が湧いてきやした。ああ、有難い、有難い」

そして、涙目をこすりながら、品物を取りに奥へ入っていった。

「さあ、説明しろ。どういうことだ」

親爺のはげ頭がカーテンの向こうに消えるのを待って、大変に怪しいものを見る時の目つきで、オスカルがアンドレをど突いた。彼は、暢気にテーブルの上に肩肘をついてにんまりとして見せる。

「まあ、いいじゃないか、あんなに喜んでいるんだから、天使でいろよ」

二人は、最近パリを出歩く時は古着屋で手に入れた質素な衣服を身に着けるようにしていたが、オスカルの美貌はそんなもので隠せる程生易しくはないから仕方ない。

天使扱いは、たしかにこそばゆいけれど、そこは問題ではなく。しゃらっと故意に論点をずらした返事をするアンドレを、オスカルは睨みあげた。

「で、何を企んでいる?何をさせる気だ?」

そしてオスカルの受難が始まったのであった。


初出 Dec.22.04

WEB CLAP



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