影たちの挑戦 ★New★

2026/01/01(木) 暁シリーズ番外編
子供の頃から人と話すのは苦手だった。言いたいことは頭の中で瞬時に整理できるのに、口に出そうとすると喉に石が詰まったように苦しくなる。たちまち手から冷や汗が滴る。名ばかり貴族の三男坊が生き残るには、致命的な性分だった。

わずかな資産は長男が継ぐ。次男以下が自活するためには軍職か聖職に就くしかない。あるいは資産家の娘と結婚するか。良い職も縁談も手に入れるには誰かの紹介が必要だ。貴族社会では、人脈は貨幣そのものと言っていい。

人と関わることが怖い私に、人脈など広がるはずもない。そんな私にとって、陸軍士官学校を卒業して少尉になることが考え得る最良の道だった。軍人に向いていないのは火を見るより明らかだったが、歯を食いしばって何とか卒業した。

卒業後いくつかの隊に配属されたが、どこでも無能さで悪目立ちした。出世などどうでも良かったはずが、ついに「おまえなど倉庫番でもしていろ」と武器庫の奥に放り込まれた時には絶望した。ところが、それが人生の分岐だったのである。

武器庫とは名ばかりの倉庫は長いこと放置されたガラクタの巣窟だった。暗たんたる思いで在庫整理を始めると、なぜか心が落ち着いてきた。ここにいれば、誰とも口を利かずに済む。分類と修理、不要品の売却を黙々と続けるうちに、ガラクタは資産へ生まれ変わった。その過程を紙面に可視化する作業もまた面白かった。

初めて少しばかり良い評価を得た私は、正式に物資管理係を任命された。いや、都合の良い厄介払いだったかも知れないが、この先堂々と人目から身を潜める権利を手に入れたのだ。

物資管理係から経理も任されるようになり、さらにいくつかの隊を経て、やがてフランス衛兵隊パリ支部の会計係にたどり着いた。書類に埋もれる毎日、数字相手に計算が合致したときの小さな高揚感。資金の流れが一目で分かるように整理できたときの喜び。整合する情報は、美しくさえあった。

戦場に出ることがなければ軍功を上げる機会は来ない。昇進は断たれたも同然の役職に甘んずる私の心は平安だった。一生少尉のままでいい。誰とも目を合わせる必要のない、この数字の小宇宙の中で静かに糧を得られるならば。

しかし、持って生まれたこの性格はやっぱり私を苦しめた。

金の流れは、単なる数字ではない。仕事に慣れるうちに、収賄の影、物資相場の変動、横流しの気配が透けて見えるようになった。無駄な運用や改善点が幾通りも頭に浮かぶ。とは言え、告発や提案など恐ろし過ぎて身がすくむ。

私は「気づかぬふりをしろ」と自分に言い聞かせた。だが、物事が最大効率で整然と動くことに美を見る私は、次第に苦しくなった。

不正や浪費がもたらす将来の危機が予感される。それを胸に閉じ込めてしまえば、いずれ精神は限界に達するだろう。では、どうすればいいのだろう。人との関わりを避けてきた私には腹を割って相談できる相手などいなかったし、対面すれば思ったことの二割も口にできまい。

そんな折、フランス衛兵隊ベルサイユ部隊に前代未聞の女性隊長が就任したという報が届き、パリ部隊は揶揄に沸き返った。やがて、新隊長ジャルジェ准将は部隊の連携を進めるため、従卒を連れて時折パリを訪れるようになった。

誰もが新隊長に疑念を抱き、彼女が通り過ぎた後には皮肉な視線を交わし合った。見たこともないほど美しい人であることが、かえって不穏な憶測を呼んだのだ。そこで、私は自分だけが長年築いた情報の網を使って彼女の人物像を調べ、驚愕した。

大貴族の特権、王族からの信任、官位、美貌、知性。貴族社会で優位に立つために誰もが欲する資質をすべて備えながら、腐敗の影がまるでない。禁欲をそのまま人の形にしたかのような人だった。

——この人になら、話せるかもしれない。心が騒いだ。

話しかける勇気など持ち合わせてはいなかったが、意外にもその機会は早く訪れた。准将がいつも連れている従卒、アンドレ・グランディエが、時折私に声をかけてくるようになったのだ。

彼が最初に私に声をかけたのは偶然だった。彼がパリ部隊の活動概要を所望したので、その日のうちに纏めて渡すと、大きな黒い瞳が興味深そうに見開かれた。年下の従卒相手に、私は何か重大なミスでも犯したのではと縮み上がった。

そんな私のおどおどした態度は全く見えていないかのように、彼は軍人にしては柔らかい物腰で深々と頭を下げた。

「ありがとうございます。何の説明も差し上げていないのに、赴任間もない主人が必要としている情報が全て網羅されていて助かりました。今後ともどうぞ、よろしくお願い致します」

――このグランディエという男、ただの従卒か?

まるで、主人の脳内を全て把握しているかのように、彼は情報を読み取った。アンドレ、行くぞ、と主人に呼ばれた彼は、もう一度私に丁寧にお辞儀をしてから走り去った。

それ以来、ベルサイユ部隊とパリ部隊間で情報共有する際には、しばしば私が報告書を上げるよう名指しされ、伝令役を務めるアンドレ・グランディエとは頻繁に顔を合わせるようになった。

彼が作成したベルサイユ部隊に関する報告書を見る機会が増えるにつけ、私は彼に自分と同じ匂いを感じた。結論だけを簡素に表記しているが、綿密な調査の産物であることが私にはわかる。彼も初対面で私の文面からおなじものを感知したのではないだろうか。

ただ、私と彼には決定的な違いがある。彼は情報を武器として駆使しており、私は腐らせている。彼が元からの軍人ではなく、オスカル・フランソワの従者を長年勤め、彼女が衛兵隊に赴任した際に初めて軍籍を得たと聞き、納得がいった。なるほど、ただの従卒ではなかったわけだ。

彼の対人スキルはずば抜けており、たちまちパリ部隊総務部内で打ち解けた。少し近寄りがたい雰囲気を持つオスカル・フランソワの人脈を広げる潤滑油として、巧みに立ち回っていた。宮廷社交界、またの名は陰謀の迷宮で、主人を守るために身につけたに違いない。

そんな彼を通し、オスカル・フランソワも私に親しげな挨拶をしてくれるようになった。雑談に興じるような余裕時間を持たない彼女だったが、『貴殿の助力なしに、二部隊の連携はあり得なかった。感謝する』とまで言われた。

心臓が止まりそうなほど跳ね上がった。顔がかっと熱くなる。その時ばかりはアンドレ・グランディエは礼儀正しい無視をせず微笑んだが、不思議と無礼には感じなかった。得がたい性分の男だ。

その頃になって、私はようやく長年溜まりに溜まった淀をオスカル・フランソワ宛に文書にして提出する決心を固めた。相談に乗ってくれたのはもちろんグランディエだ。短いつきあいなのに、彼は家族以外で一番緊張せずに話せる存在になっていた。

「下手に告発すると危険な人物が沢山いますね。泳がせて証拠固めが必要です。外堀を埋めるまで動かない方がいいと主も判断するでしょう。黙っていらしたのは賢明だったと思います。隊再編と予算改正案については、主は喜んで即着手するはずです。これは誰にも見せずに確実に手渡しますのでご安心下さい」

文書に署名はしなかった。だから、万が一誰かに奪われたら危険なのは文書を所持していたグランディエ自身だ。なのに、彼は恋文を預かるキューピッドのような軽さで請け負った。主人のために危ない橋を渡る場数を踏んだ者の自負が、垣間見えた。

「丁度、ベルサイユ部隊でもいろいろと綻びが浮上しているんです。頂いた情報から、点と点が繋がるかも知れません。主人はここぞとばかりに行動に移すでしょう。でも」

グランディエは、眉尻を下げふっとやるせなさそうなため息をついた。

「今でも十分忙し過ぎるんだけどなあ」

彼は時折ため口を交えるようになっていたが、気の緩みと言うよりはもっと深い感情が漏れ出たようだった。私はおや?彼はもしかして、と感じた。その答えは後に明らかになる。

オスカル・フランソワは彼の言うとおり、精力的に動いた。隊員の給与体系、福利厚生、報償制度の設置、物資管理の厳格化、武器売買契約の透明化など、見直し改正が一気に進み、高官と業者の癒着は格段に減った。私は物事が効率よく整然と回ることで心が平安になるので、随分働きやすくなった。

グランディエが言うには、さすがに王族と繋がる大貴族の汚職についてはうかつに手を出せないが、機会と条件が揃えば告発の可能性は十分あるとのことだった。即告発には至らずとも、私は一人で秘密を抱える孤独から解放された。

私にはそれで十分だったのに、オスカル・フランソワは要所要所で功労者として私の名を挙げたらしい。官位は据え置かれたものの、表彰と昇給が与えられた。さらにはフランス衛兵隊会計課責任者にも推薦された。

責任者となれば、書類の山でできた安全な要塞から出て、人付き合いの世界に踏み出さねばならない。その知らせを聞いた私の顔が蒼白になったことにグランディエが気づいた。恐らく彼から報告が入ったのだろう。オスカル・フランソワが阻止してくれた。  

「そのかわりと言っちゃ何ですが、大量の資料を保管できる鍵つき倉庫のある、大きな執務室をもぎ取りましたよ。それから、全フランス衛兵隊の文書庫の閲覧権もあなたのものです。あっ、おれじゃなくオスカルが」

グランディエは今では、自然な笑顔と親しげな口のきき方を隠さなくなった。主人の采配が、我がことのように嬉しいのだ。准将の片腕であり、抜け目のない男のはずなのに、十代の少年のように無垢に見えた。


軍人は軍功で評価され、後方支援は業績として無視されるばかりではなく、実戦に立つ将官が手柄を独り占めする。オスカル・フランソワの公平な眼差しは功労者を見逃さない。

と、グランディエは嬉しそうに見解を述べたが、私はそうは思わない。片時も離さずそばに置くグランディエの支えあってこそ、自分の地位があることを彼女が正しく知っているから、私のような者の働きにも目が届くのだ。

いや、それだけではなく、もっと何か温かいものがあると思ったが、その時点ではそれが何かはわからなかった。



そして、運命の日がやって来た。
1789年7月14日。

チュイルリー広場でまさかの市街戦が勃発した。市門の焼き討ち、アンヴァリッド襲撃、バスティーユの陥落。怒濤のような二日間、パリは無法地帯となり市民の間でも暴力と略奪の嵐が吹き荒れた。

フランス衛兵は解体し、設立されたばかりの国民衛兵隊に吸収された。たちまち3万人もの民兵を組織化するという、気の遠くなるような膨大な仕事がのしかかった。

しかし、何よりも驚愕したのはオスカル・フランソワの行動だった。ジャルジェ家と言えば代々王家に献身していることで名の知れた名門だ。王家の信頼も厚く、それに見合うだけの広大な領地も与えられている。

絵に描いたような貴族中の貴族であるオスカル・フランソワが、衛兵隊を率いて民衆側に立つなど、すぐには信じがたい現実だった。市中では、バスティーユの陥落の立役者、バスティーユの勝利の女神と呼ばれ、新星のごとく現れたヒロインに市民の熱狂は終わりを知らないようだった。

アンドレ・グランディエは戦闘中に重傷を負い、生死の境にいると漏れ聞いた。見舞いに駆けつけたかったが、状況が許さなかった。国民衛兵隊の庶務はすべて元フランス衛兵隊庶務課が請け負うことになったからだ。

私はいつ終わるとも知れない膨大な作業に埋没するしかなかった。バスティーユ陥落直後、一斉に国外へ亡命した危機意識の高い貴族の中に将官を持つ軍人も多く含まれていたため、民兵を纏める将校が圧倒的に不足したのだ。国民衛兵隊は混迷を極めていた。

私は職域を超えてできることは何でも引き受けた。昼も夜も分からないほど働いた。そうして2週間が過ぎた頃、包帯だらけの身体に軍服を引っかけたぼろぼろのアンドレ・グランディエが私の目の前に現れた。

「ル・クレジオ少尉、お久しぶりです」

グランディエは不義理を詫び、私があわてて椅子を勧めても座ろうとはしなかった。

「お願いがあってまいりました」

正直自分の仕事で一杯一杯だったが、どうして断れよう。私は紙束の山越しに、彼の話を聞いた。何と彼は重傷を負っただけではなく、ほぼ失明しているというのだ。にもかかわらず、時の人と祭り上げられてしまったオスカル・フランソワを後方から守るため、彼女の秘書官として国民衛兵隊庶務課で勤務するつもりだという。

盲目の文官など聞いたこともない。それでも彼の意志は堅く、私に代読や文書作成の手助けをして欲しいと頭を下げた。血の気ない青白い顔。肩がゆらりと揺れる。まだ床上げなどできる状態ではないのだろう。

せめて、もう少し体が回復するのを待ったらどうだ、と言ってみたが彼は譲らない。私は迷う猶予もなく彼の頼みを引き受けることにした。気が重くなかったと言えば嘘になる。仕事が倍増するに決まっていたからだ。

確かに当初は彼のために大量の文書を読み上げてやる必要があった。しかし、私は彼の対人スキルを甘く見ていた。他人と対面しないで済むよう、私が文書を通して何日もかけて収集する情報を、彼は半日雑談してまわるだけで集めてしまうのだ。

各隊間の申請や許可、アポイントを口頭で取り付けてしまうので、とにかく仕事が早く回る。証書に残す必要のある取り決めだけを後で文書化し、後でサインをもらう方式が確率すると、私の仕事が半減した。

その分、彼のための代読、代書を引き受ける訳だが、その役割も毎日目に見えて減っていった。彼が自分でも文字を書くために、様々な工夫を凝らした道具を考案したり、紙面にエンボス加工することで、書類を見分けたりし始めたからだ。

彼は盲いたまま情報管理の限界に挑もうとしていた。そのために必須である構造化、簡素化、合理化を構築するために私の補佐を必要としたのであって、ただ漫然と代読を求めたのではなかった。厄介な役目を引き受けてしまったと内心げんなりしていた私は、胸の内で彼にそっと詫びた。

厄介な役目どころか、私は彼に触発された。私も情報の整合をこよなく愛するものだからだ。人目が怖いために、文字化できる情報ばかり扱っていた私は彼と協働するようになって、フィールドワークの重要さに驚愕した。そして、自分が情報の片面しか取り扱ってこなかった事実にうちのめされた。

しかし、それはわたしの人生に新たな分岐をもたらすことになった。

民兵の組織など誰も経験のない中で、大量の新兵や組織図や命令系統などの情報は大混乱を極めていた。目の不自由なグランディエのためにとことん追求した情報管理の合理化は、オスカル・フランソワ率いる第三師団をいち早く統制立てた。

驚くべき集中力を発揮していたグランディエだが、バスティーユで受けた銃創が完治していなかったため、オスカル・フランソワからは厳しく半日勤務を命じられていた。彼が時短勤務を厳守するよう監視して欲しいと、私に直に伝令文をよこすほど彼女はグランディエを案じているようだった。

オスカル・フランソワもバスティーユ後は体調不良のため療養中で、指令は病床から出されていたが、第三師団の組織化がどの隊より迅速に進むため、他の師団長や大隊長が視察に訪れるようになった。

グランディエが盲目であることはまだ公表する時期ではなかったので、私が対応した。私にとっては、丸腰でクーデターの鎮圧に赴くくらい恐ろしい役目だ。止まらない冷や汗を拭いつつ、歯の根が合わないほど震える私を心配したグランディエが交代を申し出てくれたが断った。

彼が盲目であることを公表するのは、まだ時期尚早なのだ。彼の編み出したファイリング方法が隊運用の効率化に有効であることが周知の事実として認められるまでは。

私は視察に訪れた高級将校に丁寧に情報収集の段取りから分類方法、検索方法など説明した。最初は声が上ずり、背中が嫌な汗でぐっしょり濡れたが、気づくと腹の奥に動かざる芯のようなものが私を支えていた。

最初はそうとは分からなかったが、徐々にその正体が見えて来た。「自信」だ。倉庫係から始まり20年積み重ねた経験と、グランディエと知り合い学んだ生きた情報の奥深さがもたらしたものだ。そう気づくと、私を取り巻く空気が軽く、明るく見えた。

世界の見え方が変わった。私の説明を聞く将校らの厳しい表情は、私を糾弾するものではなく内容を理解しようと集中しているに過ぎないのだ。顎に手を当て、頭をひねっているのは、私を疑っているのではなく、混乱しているだけなのだ。

「何なりとご質問下さい。規則性がご理解いただければ、非常にシンプルかつ利便性に優れたファイリングですので、お役に立てるはずです」

勝手に口からでた言葉に、自分で驚く始末だった。
しかし、驚きは、まだ序の口だった。
 

「おれが狩りをしてきますから、あなたは解体と料理をお願いします。料理のサービスは任せてください。得意ですから」

不良少年のような抜け目のないグランディエの視力サポートから始まった協働は、いつの間にか対等な役割分担となり、国民衛兵隊の編成管理の中核を担う立場に私たちを立たせるまでになった。

そして、グランディエ言うところの料理の給仕、つまり対人パートを私も担えるようになりつつあるのだ。自分でも信じられない変化が起きている。もう、人前で手汗をこっそり軍服の裏で拭くことはない。名前を呼ばれて肩がこわばせるのではなく、にこやかに振り返ることができる。

グランディエの視力は戻らない。だから、彼は日々私の代読役を軽減するために、合理化を進めている。私は彼が自分のために改良した管理手法を、隊全体に汎化すること力を注いでいる。自ら指導に赴くこともできるようになった。

そのうち、グランディエから狩りも習おうと思ってさえいる。フランスの変容と、自分の変容がシンクロし、人生そのものが反転する予感に戦慄を覚えるが、それを楽しみにしている自分に驚く。

そして、驚きはまだ続いた。

精力的に働いていたグランディエが数日休みを取ると言う。珍しいこともあるものだ。傷は順調に回復しているらしく、健康上の理由ではないという。私は安堵し、理由を聞いた。彼は、決まり悪そうに何かを言い淀んだ。これも珍しい。

「結婚することになりました。もし時間が許せば、式に参列して頂けると嬉しいです」

私は立ち上がって彼を大いに祝福した。結婚式は彼の35才の誕生日だという。私と違って人当たりも良く社交性のある彼がこの年まで独身なのは、むしろ不思議だったのだ。嫁をもらえば、日常生活上の不自由も支えてもらえるだろう。

私は自分事のように喜んで、相手が誰かを聞いた。そして腰を抜かした。実際椅子に尻餅をついた。グランディエは、驚かせて申し訳ないというように肩をすくめた。

あのオスカル・フランソワが、平民にプロポーズされてウイと答えるとは!自由と平等を旗印にバスティーユ陥落に寄与した大貴族としては面目躍如というわけだ。その思想に裏表のない証明にもなるだろう。

貴族と平民の壁を越える象徴的な結婚になるに違いない。グランディエの彼女に求婚する豪胆さも見上げたものだ。心からの祝福を贈りたい。

私はそのようなことを正直にグランディエへ伝えた。すると、彼は今まで見たこともないほどうろたえて大きな上背を縮めた。そして今まで聞いたことのない小さな声で白状した。

「プロポーズは・・・してもらいました」

え?

私は言葉を失った。グランディエも二の句が継げぬとばかりに、こめかみの汗を拭った。しばらくの間、私たちは言葉を探す努力さえ放棄して、半分口を開けたまま、石像のように固まっていた。

私の腹のなかで、何か愉快なものがどんどん膨れ上がった。あと、もう一呼吸したら決壊しそうだ。そんな突発的な解放を許しては何が起こるか分からない、と堪えたのが失敗だった。次の瞬間、私は腹が破裂する勢いで大笑いしていた。

「な、内緒ですよ!ル・クレジオ少尉だから言ったんですから!」

グランディエはそう言っていたと思う。自分の発する声がやかましくて、よく聞き取れなかった。笑いの発作が収まるまで、グランディエは恨めしそうに大きな身体を小さくしていた。

「あなたの豪傑笑い、初めて聞きました」

そうだろうとも。多分生まれて初めてこんな風に笑ったのだから。まだ、繰り返し波打つ腹を宥めながら、ふと思った。

人前で感情を見せるのは、私の生き残り戦略に反する行為だったはず。だが、どうだ。私は死んでなどいないし、むしろ自分の身ではないように軽くなっている。

「まあ、いいです」

グランディエがふて腐れ、彼には珍しくどさっと音を立てて椅子に落下した。ご丁寧に腕組みまでして、口元をとがらせる。と思ったら、その口端が面白そうにわずかに上がった。

「ばか笑いしながら、今初めてファーストネームで呼んでくれましたね。あなたの友人に格上げされた気分なので、帳消しにしときます」

その言い草が私に新たな発作を呼ぶ。プロポーズのことは絶対に内緒ですよ、と少年のように頬を赤らめた青年の背を叩きながら、私は心置きなく笑った。

グランディエとオスカル・フランソワが結婚した日、私はもちろん祝福に駆けつけた。後になって、同じ日に採択された人権宣言を見た私は、貴族の端くれのくせに一粒の涙を流した。


スポンサードリンク


この広告は一定期間更新がない場合に表示されます。
コンテンツの更新が行われると非表示に戻ります。
また、プレミアムユーザーになると常に非表示になります。

WEB CLAP



WEBCLAPにコメントを下さるお客様へ
コメントにはいつも元気を頂いています。もう、本当に嬉しいです。
で、使用しているこのシステム、どの作についてのコメントなのか、見分けがつかない構造になっているのです。もし良かったら、どの作に対する感想、ご意見なのか、ちょっとメモって下さると、もっと嬉しいです。ありがとうございます。