27.終わりなき日の始まり 

2024/07/12(金) 暁シリーズ
1789年8月26日


私達の全ての昨日のように美しく
私達の全ての明日と同じに大切な

今日こそ分かち合う


それゆえに、人は父母を離れてその妻と結ばれ、
ふたりの者は一体となるべきである

新約聖書:エペソ人への手紙
五章・三十一節

**************


わたしはオスカルさまから、お手持ちのドレスを時勢に合わせた婚礼用に仕立て直すようご依頼を受けた。

オスカルさまの婚礼衣装、と聞いただけで胸が一杯になった。そして、次々にいろいろな思いが溢れ、わたしの胸一つでは足りなくなった。

お幸せになって欲しいと心から願う人。わたしの守護者でありあこがれの人であり初恋の人であり、わたしの人生で一番大切な存在のひとり。

だから、喜びだけではなく、寂しさや悲しさや心配なんかがとり混ざってしまうことを許して欲しい。大好きなお兄様が結婚するときの妹の心境と言えばいいかしら。お嫁さんになる人が少々巨大だけれど。

オスカルさまが選んだのは、薄い檸檬色のローブ・ア・ラングレーズ。リヨン産絹サテンで仕立てられたこのドレスは、ばあやさんが最後に作ったものだそうだ。一見清楚で強い主張はないように見えるけど、実は目がくらむほど豪華なだ。

檸檬色のシルクサテン生地は光の加減で色が変化する。光の当るところは純白に輝き、ひだの奥にいくほどはちみつ色が濃くなる。布地を揺らすと魔法がかかったように色がグラデーションを見せて変化する。まるでイエローダイヤモンドで織ったかのようなシルクだ。

この淡い色の布地が最上級の絹糸で織られていることは、見る人が見れば一目瞭然だろう。濃い染料でごまかせない白に近い色を出すには絹の質がものを言う。

デザインは、シンプルゴージャス。さすがばあやさん。オスカルさまをイメージしてあれこれ細かく注文して作らせたのだろう。オスカルさまの雰囲気にぴったりだもの。

ほっそりとした上半身のシルエットに、たっぷりとひだをとったスカート部分が美しい流線を描く。これはオスカルさまの上背を生かして計算し尽くされた形だ。

裾には布と同じ色と、白のシュニール糸でギリシア風モチーフが刺繍されているのだけれど、あえて同系色を使っているのでとても上品な仕上がりになっている。

そのドレスにはさみを入れて仕立て直すのだから、作業にあたったお針子のみんなはあまりの勿体なさにため息ばかりだった。

『できるだけ、質素に見えるようにしてくれ』

オスカルさまのご注文はその一言だけ。あとは全てわたしに一任してくださると言う。ばあやさんほど、オスカルさまの素を生かすデザインを思いつけるとは思えないけれど、全力でお直しした。

二段になったパゴダ袖を切り落として縫いつめ、ふんだんにあしらわれたブリュッセルレースは全て取り払った。

スカートの広いシャーリングの縁飾りと金銀レースも外した。贅沢にタックをとったスカート部分も鋏を入れてはぎ直し、シンプルなフォルムにした。

供布のジュップ(内スカート)を白い綿ガーゼに変えて素朴さを出し、夜会用に広く開いた襟元は高くかさ上げした。

でも。

オスカルさまご注文の『素朴』に近づけるのは限度がある。だって、どんなに装飾を抑えたって、オスカルさまご自身が輝いているのだもの。

試着をして頂いたら、ボリュームをおさえたスカートラインがかえってオスカルさまのスレンダーでしなやかな背中や腰のラインを引き立たてて、ドキドキしてしまった。お店の皆は心をさらわれたように見惚れるばかりだった。

正直言うと、実際にドレスをお召しになったオスカルさまをこの目で拝見するまで、違和感と言うか、ちょっとした抵抗感を覚えていた。だって、オスカルさまはわたしの王子様だし。

けれど、ドレスはオスカルさまが隠し持っていた女性の艶やかさを開放し、そのあまりにも自然な美しさにわたしは魅了された。

そのお姿を目の当たりにして、わたしはオスカルさまが女性であることを、初めて腹の底から受け入れることができたのだと思う。わたしの長い少女時代に幕が下りた瞬間だった。

寂しいけれど、じきに母になるわたしに必要な一歩を踏み出せたのだ。

言葉を失ったまま、オスカルさまに見とれていると、アンドレには内緒にしておいてくれとくぎを刺されてしまった。素敵なサプライズですねと喜んだら、オスカルさまは複雑なお顔で変なことを仰った。

『あいつからすれば、ぬのきれかぶせたのっぽのかかしに過ぎん』

ですって。そんなこと言う人は、救いようのないズレた美的センスの持ち主です、って断言して差し上げた。その時は、ただ照れていらっしゃるぐらいにしか思わなかったけれど、オスカルさまの真意は後にわかることになる。


*********************


そして今日。奇しくも花婿の誕生日であるこの日。

わたしは早朝からマロン館にいる。オスカルさまの婚礼のお支度をお手伝いするのだ。プロの髪結いでも化粧師でもないわたしが。市民との摩擦を避けるため、むしろ素人の手仕事感ある装いの方がいいと言われて。

素人の手仕事感なんて、そんなの無駄だと思うけど。素材が美しすぎるもの。でもわたしにとっては嬉しい仕事だから文句などあろうはずもなく。

宝石もリボンもチュールもなし、とのご指定だったので、お髪のウェーブが綺麗に出るように緩く結い上げた。それだけで光を跳ね返す金髪はため息が出るほど豪華だ。深い青のデルフィ二ウムと白い雛菊をほんのアクセント程度に挿したら、オスカルさまの青い瞳によく映えた。

お顔は少し青白かったので、気持ち程度におしろいをはたき、頬と唇に少しだけ紅を差し、眉を軽く整えた。それだけでどうだろう!そのままでもお美しいけれど、ほんの僅か女性らしい色合いを加えただけで、艶やかさが匂い立つ。魂ごと引き抜かれてしまいそうだ。

長いこと異性に抱く憧れを抱いていたわたしだからこの方の女性としての美しさに余計に感動するのかも知れないけれど、マロン館の二人のシスターも、勤め先のお店から一緒に手伝いに来てくれたミシェルおばさんも、言葉を失ってしばらく座り込んで動けなかった。

『どうした?やっぱり変か?』

揃って見とれていたら、オスカルさまが困ったように聞かれた。

『お綺麗です。とても』

綺麗だなんてありきたりの言い方が陳腐に聞こえる。でも、他に比喩するものなんてわたしの知る限り、この世にありはしない。

『そうか・・・』

オスカルさまは柔らかに微笑んで長い睫を伏せた。かすかに滲む、戸惑いと困惑。哀しみ。この悲し気な笑みは知っている。わたしにお直しを任せて下さった時も、打ち合わせの時も見た。

なぜそんなに寂しそうなのだろう。

女性ならば、生涯で一番美しくありたいと思う日。もしも、運よく愛する人を夫とすることができるなら、尚更のこと。

結婚を控えた娘さんの花嫁衣裳はもう何十着と手がけてきた。娘さんは晴れの日のために、限られた予算を補うべく工夫をこらす。相談に乗りつつ一緒に進めるその作業は、仕立て仕事の中でも最も楽しいものなのに。

バスティーユ以来、倹約が美徳とされる中、オスカルさまのように、質素にして欲しいという注文は、今後、めずらしくなくなるのだろうけれど。

政治的な理由と安全面から、シンプルな婚礼衣装を着用することをベルナールが勧めたから?彼は政敵からカップルを守ることで頭がいっぱいだから女心なんて考えてはいない。

オスカルさまは一見、ベルナールの忠告を素直に受けて、事務的に処理している風だった。それなら、初めから木綿のドレスをお作りすればいい。ばあやさんの絹のドレスのレース片袖分だけでおつりが出る。

でも、オスカルさまはこのドレスをお選びになった。

オスカルさまは、ばあやさんが最後に仕立てたドレスで、ばあやさんの孫であるアンドレの隣に立ちたいと思ったのではないだろうか。彼のために美しくありたいと思ったのではないだろうか。

それはごく自然な感情だ。女性ならば、衣装に様々な思いを込めて表現したいのは当たり前なのに。

求道的なオスカルさまは、そんな当たり前のことを知らないのだろうか。罪悪感すら感じていらっしゃるように見える。

『パリ中にふれ回りたいくらいです。世界一美しい花嫁を見たかったら、今日を逃してはいけないって』
『ロザリー・・・』

なぜ、美しいと賛辞されることを恐れているような素振りを見せるのだろうか。なぜ、オスカルさまらしく、小気味よくウィットに富んだ切り返しをしてくださらないのだろうか。

ふいにオスカルさまが天井を見上げた。大きく胸を上下させて、息を整えるようにじっと佇みながら、瞳を大きく見開いていらっしゃった。まるで、涙を堪えているかのように。まさか、泣いて・・・?

そう思った時には、眩しいほど明るく笑いかけてくださった。これはもう、アンドレでなくても一生虜になる飛び切り豪華な笑みで。

そう、花婿でなくても虜に…。
花婿は…そうだった!!


ガッシャーン!
わたしは大きな音を立てて化粧箱と針箱をひっくり返した。

『す、すみません!あの、すぐ戻りますから、そうしたら片付けますからどうかそのままに!』

そう言うがいなや、わたしはオスカルさまの部屋を飛び出して廊下を走った。不案内なお屋敷のどこをどう走ったか、四階に屋根裏部屋を見つけると、埃も構わずに飛び込んで、泣いた。壁を叩いて声が枯れるまで泣いた。

何て、馬鹿なわたし。どうして今日まで気づかなかったのだろう。
女性ならば・・・?
どうかしている!

あたりまえ?
あたりまえのことに気づかなかったのはわたしだ!オスカルさまの装いをお手伝いできる幸せに浮かれすぎて。

花嫁が、綺麗だと言って欲しいのは誰?聞くまでもないではないか。愛し合って結婚するなら、なおさらのこと!

今日、婚礼に参列する人は一様にオスカルさまの美しさに目が釘付けになるだろう。ただ一人を除いて。

許してください、オスカルさま。わたしと、ベルナールを。ベルナールも彼なりに必死です。でも、一生懸命すぎて、オスカルさまの女性としての気持ちまではきっと気づかない。そして、気づかないままでいて欲しいと思うわたしを許してください。ベルナールには重過ぎます。

そして、どうか、必ず、お幸せに。
神様、オスカルさまに、愛し合う二人に、溢れるほどの祝福を。


******************


祭壇の前で花嫁を引き渡されると思っていた。ダグー大佐が介添え役を引き受けてくれたのだし。だから、祭壇にたどりつくまで躓いたりしないように、早朝から教会の内部をくまなく足で測っておいた。特に中央の通路を。

ところが、聖堂の扉の前で待てと言われ、外扉と内扉の間に待機させられた。まずい。これではおれの視界は真っ暗だ。

扉の向こうでは、駆けつけた元フランス衛兵を中心に、バスティーユの女神が神話のように登場するのを待っている市民が聖堂を埋めている。参った。

注目を浴びることへの覚悟は出来ていた。ただこれほど人が集まるならば、もう少し丁寧に教会内部を覚えておけば良かった、と脂汗がにじみ出る。

せいぜい元一班の連中が参列するくらいと踏んでいたのに、集まった元フランス衛兵はざっと500を越えるらしい。

昨今では英雄扱いされているフランス衛兵が集結したため、物見高い市民も集まってしまい、広場を埋めている。

これだけの人数に注視された状態で聖堂中央を一人で歩いたら、おれが盲目であることを見抜く者がでるのではないか。

ただでさえ、平民で一従卒で元使用人であることがオスカルへの揶揄の材料となるのに、盲目という美味しいデザートまで追加されたら。

盲目でもそれなりに仕事をこなし、活動範囲の自由も利くと胸を張れるまで、もう少し伏せておきたかった。悟られないように行動できるだろうか。

何もかもが予定とは大きく外れて進んでいて、おれは落ち着きを失っていた。

しかもオスカルが思いがけずドレスを着てやって来た。賞賛と驚愕の声で広場は沸いていた。どんなに美しいのだろう。

オスカルがドレスを纏って舞踏会に出かけた過去のイメージが浮かんで困った。過去に振り回されるほどやわではないが、衛兵連中が悲鳴に近い声で感嘆しているのを聞くのは正直つらい。美しいオスカル。おれも一目でいいからおまえを見たい。そのまま目がくらんでしまっても構わないから。

足音が後ろから聞こえ、肩を叩かれた。ダグー大佐だった。
「祭壇まで花嫁の手をとってエスコートできると有頂天になっていたが、予定変更、お役ごめんだそうだ。替わりに花嫁の馬を引く役目を仰せつかったよ。それも隊長らしくて悪くはなかったがね、さあ、受け取りたまえ、君のものだ」

オスカルが黙っておれの左に立っていた。そっとオスカルの右手がダグー大佐から渡される。お役目ごめん?では祭壇までの長い道を二人で歩けと?

突然頭上でオルガンが鳴り響いた。扉が左右に開けられる音と花嫁の入場を告げる声。まさかこのままこの場で始まるとは思っていなかったおれが動揺したのを感じたか、オスカルがおれの手をしっかりと握り締めた。

「大丈夫だ、アンドレ」
プロポーズされて腰を抜かした男は婚礼で怖気づき、花嫁にエスコートされる、か。あまりにもらしくて泣きそうだ、おれ。

扉が大きく両側に開ききると、真っ暗だったおれの視界に、不思議な黒い真っ直ぐな道が見えるような気がした。

「蝋燭の明かりが見えるか、アンドレ」

オスカルが小声で囁く。礼拝堂の両脇を埋める兵士がそれぞれに蝋燭を持っているらしく、数え切れないほどの淡くぼやけた光が聖堂に溢れている。だから、祭壇へ続く通路が黒っぽく浮き上がって見えるのだった。

「礼拝用の椅子の背全てに灯してもらおうと用意したのだが、兵士達が大勢来てくれたから、二本ずづ手に持たせた」
「おれのために・・・?」
オスカルが呆れ果てた気配。
「ほかに誰がいる」
そう言った花嫁は、にっと口はしを上げたに違いない。

「いくぞ」
「はい」
おれの一生。この二行で語りつくせているよな。

                 

一歩一歩、踏みしめるように光の絨毯の間を歩いた。長いドレスの裾が揺れておれの足元を優しく撫でる。その感覚とオスカルが結びつかない。

おれの肘に手をかけ、隣に寄り添う女性は誰だ?ほのかに香るオスカル愛用の薔薇の香りがなかったら、おれは足を止め、オスカルに触れて確認せずにはいられなかったろう。

一歩ごとに。
肘にかかった重みが増す。
一歩ごとに。
夢ではないかという不安が晴れていく。
一歩ごとに。
現実感が戻って来る。
一歩ごとに。
打ち寄せる歓喜の波が大きくなる。

光の絨毯に切れ間が見えた。長い祭壇への道の中間地点、側堂を通り過ぎたのだ。祭壇まであと百五十歩。オスカルは、何の迷いもない足取りで進む。オスカルの腕の重みが規則正しく揺れ、俺の心を喜びで一杯に満たした。

歩みを進める通路の両側からは、息を呑む気配、ため息が繰り返し押し寄せる。おまえは、どれほど美しくおれの隣にあるのだ。今すぐ触れて、確かめたい衝動がおれを強く揺さぶった。

でも、今はおれのために光の回廊を用意し、慣習を破り、オスカルが巧みにおれを導くに任せよう。

オスカルの足が止まった。おれもそれに合わせる。うすぼんやりと視界が明るくなった。天井には巨大なドーム。ステンドグラスの赤と緑をおれはわずかに見分けた。祭壇についたのだ。

フロランタン神父の声が、力強く開祭を宣言し、オルガンが演奏を静かに引いた。神父の祝福の言葉、そして祈りが捧げられる。

オスカルは、きっと静かに頭を垂れているのだろうが、身じろぎひとつしない。もう引き返せないぞ、おまえは本当におれでいいのか。

聖堂の長い中央通路を導いてくれたおまえ。それを、そのままこの先の人生でも続けようというのか。喜びの中、おれの心からこの一筋の問いだけは消えない。

再びオルガンの音が教会一杯に響き、聖歌が歌われる。オスカルも小さく歌っていた。おれは全身でその声を追う。最後にお前の歌声を聞いたのはもう何年も前のことだ。

一般にもてはやされる透き通ったコロラチュラよりも、おれはオスカルのソフトでびろうどのような光沢のある声が好きだ。でも、お前は歌声は最も女を感じさせると言って、かたくなに嫌がった。

今、おまえは何を思って歌っている?おれは、隣で歌うおまえが愛おしくて震えているよ。

オスカルの指先が、俺にも歌えと催促した。

福音書の朗読と、説法が終わると、おれは俄かに緊張した。祭壇の蝋燭が揺れているのか、自分の体が震えているのかわからなくなった。

誓いを立てることに躊躇するわけではない。誓いなどさほど意味をなさないほど、おれの何もかもはオスカルのものだ。でもその逆は。

怖い。身がすくむ。おれは、おまえの残りの一生を与えられるほどの男だろうか?おれはオスカルの手を取った。

「アンドレ・グランディエ」
「はい」

声にならないほど、かすれた返事を返すおれだった。そっとオスカルが指先でおれに何かを伝える。神父は結婚への忠義を尋ねる。

「オスカル・フランソワを生涯の妻とし、順境にあっても、逆境にあっても、病めるときも、健やかなときも、夫として生涯愛と忠実を尽くすことを誓いますか」
「誓います」

病めるとき、という言葉に差し掛かったとき、オスカルの手がぴくりと震えた。おまえもおれと同じ思いなのか、オスカル。オスカルの指を握り締めて、おれはやっとまともな声を出し、オスカルは大きく息をついた。

「オスカル・フランソワ」
「はい」

おまえは真っ直ぐに凛とした声で答えた。おれの指の間におまえの細い指が一本づつ入り込み、ぐっと力がこもった。ああ、前にもあったな、こんなことが。

十歳になるかならないかの頃、禁じられていた森へ探索に出かけ、石切り場で密輸入者の火薬倉庫を見つけたときだ。禁を破ったこと、危険を犯したことの咎めは潔く受ける覚悟で、事を報告しに立ったオスカルは、やはりこうしして組ませた手に力を込めていた。

フロランタン神父の声は続いていた。
「・・・健やかなときも、妻として夫の目となり生涯愛と忠実を尽くすことを誓いますか?」
「誓います」

宣誓するなりオスカルが握り合わせた手を自分の胸へ引き寄せた。今、神父は何と言った?雷に打たれたように驚愕するおれに、しゃんとしろ、とばかりにオスカルが握った手を小さく揺すった。


今日のこの日。
誓いの本当の意味と力を知った。

祭壇への長い通路を、おれを導き、おれの目となると誓ったオスカル。この先の人生をかけて、それが容易いことではないとおまえは知っている。

時に投げ出したくなり、時に後悔し、敗北感に苦しむだろうと。

だから誓った。
誓いは、できることの約束ではない。困難と知るからこそ、誓いを立てるのだ。全てはそこから始まる。誓いは、最初に深く地中に打ち込む楔だ。

何があっても動かぬように。
たとえ挫折したとしても、立ち戻るべき道標として。

おれは、当然のことを誓っていたに過ぎないのかも知れない。おまえを愛することは、おれにとって生きると同義語なのだから。

だから、今誓う。
愛は終わらせない。生死だって越えて見せる。

今日のこの日。
始まりでもなく終わりでもない。
永遠の輪が繋がった日。

「この指輪を愛と忠実のしるしとして贈ります」

オスカルの緊張で汗ばんだ指は、おれに一度で指輪をはめさせてはくれなかった。
何度かつっかかって、ようやく細い指の付け根まで押し込んだ。

手前に座っている兵士達が失笑を漏らす。不謹慎ながら、当事者のオスカルもおれもつい笑いを漏らしてしまった。指輪を一気にはめることに失敗した新郎は、一生尻に敷かれる栄誉を約束されると言われている。光栄だ。

そしておれ達は二人で跪き、祝福を受け、神父が夫婦の誕生の宣言をするのを聞いた。宣誓を前にして怖気づいたことなどすっかり人事のような気がする。

総身が逆立つような歓喜の中で、祖母を思い、父母を思い、地上のあらゆる営みにひれ伏したかった。

            
******************
司祭が宣言した。
「神の御前に二人を夫婦と認めます」

晴れて夫婦だ!わたしはついに欲しいものを手に入れた。全てはこの日のためにあったのだ。

父上、母上。父よ!あなたが用意してくださった道のお陰で、わたしは自分で考え、選び、責任を負うことを学びました。こんなはずではなかったと、苦笑されるお顔が目に浮かびます。

でも今日の日を勝ち取る力を与えてくれたのは他ならぬ父上です。母上、あなたがこの場にいらっしゃらないことがなにより残念です。

きっと喜んでくださったことでしょう。あなたの娘の眼力を大いに自慢してくださって間違いありません。わたしの選んだ人はこんなにも素晴らしい男性です。

手を取って立ち上がらせてくれたアンドレを、わたしは堪え切れずに抱きしめた。ばあや!見ているね、ばあや。すぐそこにいるのだろう?こいつは必ず大事にする。だから心配しないでくれ。

「おい、おれを殺す気か?」
強く抱き返して来たアンドレが耳元で小さく囁いた。

「こんなところを見せたら、おれは教会を出るまでにどんな目に会うことか」

と、言っている傍からわたしの両頬に代わる代わる接吻を落とす。そして我慢できない様子で唇にも小さく一つ。

「心配するな、わたしが守ってやる」
「その姿で?」
「余裕だ」
アンドレとわたしはもう一度強く抱擁し合った。

うおっほん、と芝居がかった咳払いが壇上から聞こえたので、わたしたちは慌てて居住まいを正し、祭壇に向かって深く礼をした。

兵士達は申し合わせたわけでもないのに、祭壇近く前方に座っていた者から順に、再び灯した蝋燭の火を次々に後方の列へ移しつつ、起立して、退場するわたしたちのために、再び光の回廊をつくってくれた。

明かりの絨毯が、後方に向かって広げられていくように幻想的な風景だった。なかなか洒落たことをしてくれる。張り詰めた緊張が、喜びと開放感に変わっていった。

「指輪に何か彫ってある」
「読んで」
「少し暗いな。何だ、切れ間なく文字が刻んである」
「うん、裏にも続いているよ」
「・・・そうか、二連に見えるが、一箇所で捻った一つの輪が二つ折りになっているのか」
「そう、それもメッセージなんだ。開いたらどんな形になる?」
「・・・・・・∞だ!」
「ご名答」

私は思わず足を止め、伸び上がってメッセージの通りにした。キスとハグ。∞は、わたし達が幼少の頃に決めた暗号だ。

「おい、おい、それはここでは危険だって」
「臆病者。で、文字は・・・。切れ間がないとすると、どこから読むのだ」
「どこからでも」

「・・・捧ぐわが心にあまねく満ちる君・・・?何だこれは」
「面と向かって聞くなよ、恥ずかしいから。そのまま文字が続く通りに読んでみろ」

「満ちる君に捧ぐわが心にあまねく満ちる君に捧ぐわが心・・・にあまねく満ちる・・・
アンドレ!裏も表もこれが切れ間なく続いているのだな!」
「わかった?」

「君に捧ぐわが心、と、わが心にあまねく満ちる君・・・?」
「当り。だけど声に出したら恥ずかしいって。もう一つ、文字ではないメッセージがあるんだけど」

今度はアンドレが歩を止めた。
「一番大事におまえに贈りたいことだ」

軽口風に照れた様子をしていた彼は、いつしか真剣な面差しになっていた。ためつすがめつ見たが、輪が交差するあたりで金と銀が入れ替わる指輪は、シンプルな金銀二連の指輪にしか見えない。

「文字ではなく、形でもなく・・・降参だ」
「彫った文字を最初から最後まで読めばわかる」

「最初も最後もないじゃないか。区切りがないのだから。・・・あ!」
「凄いな、さすがオスカル」
「終わりがない・・・終わらない、永遠に・・・」
「指輪を見るたび思い出して、オスカル」

喜びの涙はもう流しつくしたと思っていたのに、後から後から溢れ出た。仕方がない、これも終わりがないようだ。アンドレの首に両腕をまわして力を込める。その私の両肩を包み込むようにアンドレが抱きしめてくれる。

「生涯を越えて、おまえを愛するよ」
おまえが、そう言うなら、そう信じる、アンドレ。信じて、迷わない。

歓声が聞こえた。一斉に飛び立つ鳩の羽音も聞こえた。ふと見れば、目の前は広場である。わたし達はいつの間にか正面玄関まで出てきていた。

教会へ入りきれなかった市民が広場で待っているところへ、兵士達も続々と出て来る。変わり身の早い連中で、聖堂内での神妙な様子とは打って変わり、口笛はふくは、囃し立てるわ、叫ぶわ泣くわで、えらい騒ぎが戻ってきた。

抱擁を解いて、広場を見渡すと、次々に雪崩れ出た兵士で広場が埋まっていた。教会の右塔から祝いの鐘が鳴り響くと、凄まじい大絶叫とともに、五百の兵帽が宙を舞った。

そのうち幾つかは明らかにアンドレを狙って投じられていたが、アンドレは『もっと半殺しの目にあうと思っていたよ』と笑う。その笑顔にも終りがないことを、私はそっと祈った。

紙ふぶきまで舞い始めたと思ったら、塔の上から「号外」がばら撒かれていた。
そこにはベルナールが苦心して書き綴った、生身の私がいるはずだった。

アンドレは生涯を越えてと言ってくれたけれど、こんなに沢山の祝福と、友の助力を得た私が、生きていけないはずはない。おまえをひとりにはしない。アンドレ、まずは当面の心配をすることにしよう。また何かおまえに向けて飛んできたぞ!

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