1.勝利の夜

2017/09/03(日) 暁シリーズ
1789年7月14日

市民達が勝どきの叫びを挙げながら、一つの大きな生き物のように表通りを練り歩いていく。立ち上る血の匂いと汗の匂い、人いきれと、激憤交じりの怒声、怪我人のうめき声。それら喧騒が何か遠くの別世界の出来事のようにやり過ごしながら、オスカルは一呼吸一呼吸を数えていた。肺を出入りする外気が呼吸器を摩擦し、今にも火がつくのではないかと思える程息苦しい。それが、燃え上がったパリの熱い大気のせいばかりではないことを、オスカルは感じ取っていた。

街中が狂乱の中に埋もれていた。夕刻から降り出した雨も、行き着く先を知らぬ勢いで沸き返る市民達の熱い興奮を冷やすには足りないようだ。石畳の上を流れる血は幾分洗い流されていた。オスカルは目的地であるレ・アル(中央市場)たどり着いた。太いアーチ状に組んだ無骨な数十本の石造りの柱に支えられた高い屋根の下は壁のない開放的な空間だったが、そこに充満する空気も呼吸するのが苦しいほど熱く、濃密だった。

急ごしらえの救護所。レ・アル(中央市場)の大屋根の下、駆けつけた市内の医師、看護婦、修道女、有志の一般の男女が統制の取れぬまま、思い思いに最善と思われる救護活動を繰り広げている。
広大な敷地には所狭しとうごめく人、人、人。積みあがった市の名残のガラクタの中、腐った野菜屑や、こぼれたミルクの跡、人間のものか今朝絞めた鳥のものか判らないような血のりに汚れた鳥の羽、使い物にならなくなったコンテナの破片、そんなものをやっと避けて、じめついた石畳の上に直に敷かれた毛布や、壊れかかったテーブルの上に寝かされた怪我人はまだ幸せだった。地面の色と区別のつかない色をしたボロを纏った男が数人、すでに息をしていないことが判る形に肢体を折り曲げて転がっている。

「こっちです。隊長!」
オスカルを先導するアランが足元に転がる人間や、市民達が持ち込んだ手当てに使うための雑多な古着、木材などをよけて進む。夕闇の中、誰も彼もが同じに見えるくすんだ色を纏う一般庶民の間で一際目を引く鮮やかな青い軍服の人影が数人、固まっているのが遠目に見えた。オスカルの足取りが速くなる。

そこにはロザリーとベルナールもいた。
「オスカルさま!よくご無事で!」
「心配かけたね、ロザリー。おまえもよく巻き込まれずにいてくれた。ベルナ―ルも無事だったか!?」
「はい!」
オスカルの姿を認めるなり、弾けるように駆け寄ってきたロザリーの両肩を抱き止めながら、オスカルはその肩越しに負傷した部下達一人一人を労うように見渡して微笑みかけた。

負傷兵たちにはバスティーユ陥落の知らせも、敬愛して止まない美しい上官の無事も、すでに届いていた。最も、妙に親しげな新聞記者がもたらしたその知らせなどなくても、街中が同じ知らせに沸いていた。
市民にとって諸悪の根源であり、恐怖の象徴である砦の崩壊と、奇跡のようにそれを導いた美しい勝利の女神の降臨を、この夜知らずにいることの方が困難だったろう。そんな中、勝利に酔いしれる群集を掻き分けて、自分達の所在を忘れることなく安否を確認に来てくれた美貌の上官の顔を改めて見て、傷の痛みも忘れた兵士達の表情が一段と明かるくなった。

オスカルは一人一人を確かめて回る。ジャン、フランソワ、ピエール、
ジュール、ラサール…。フランソワとジャンの負傷が重症だが、良かった、命には別状ないようだ。

そしてもう一人。たとえ心臓の鼓動を後回しにしてでも自分の目で見て触れて安否を確認したい相手がいた。生きて自分を待っていてくれているはずだ。今すぐ確かめなければ、身も心も砂の像になって崩れ落ちてしまう。それなのにいざとなると怖くて震え出した膝を騙し騙し、オスカルはその人の姿を探した。

彼はいた。

嬉しそうに湧く兵士達の最後方、男は石柱に背中を預けて凭れかかっていた。長い前髪がすっぽりと顔を隠しているので意識の有無は分からない。半分肌蹴た軍服は所々黒く焼け焦げ、どす黒い血に染まっている。胸に幅広く巻かれた包帯には鮮やかな鮮血が滲み出ていた。はやる思いのオスカルが男の名を呼ぶと、薄闇の中で血の気を失った青白い面がゆるゆると持ち上がり、思わずもらい泣きしたくなる様な嬉しげな微笑を浮かべた。痛々しいその姿にはおよそ結びつきようのない安堵に満ちた笑みだった。

男の暗い色の髪と夏の遅い帳が溶け合って、半分闇の中に埋もれているかのように見えるのに、闇よりも濃い色のたった一つの瞳は、命の光を力強く灯し、オスカルの姿を映していた。しかしその姿がもはや男の網膜に届いていないことを今ではオスカルも知っている。

彼は、僅かに残った力を惜しみなくふり絞り、オスカルに向かってやっと手を上げてみせる。周囲の喧騒も人混みも一瞬で消え、オスカルの瞳にも彼の姿だけが映る。心は時間も距離も飛び越えて彼のもとに飛ぶのに体が遅れを取った。懸命についてくる体は、地面に凍りついたか、鉛の塊を引きずっているかのようだ。一歩一歩近づく足元が深いぬかるみに捉われてしまったようにもどかしい。

「オスカル…怪我は…ないか?」
苦しい息遣いの下、殆ど吐息のような声で男が問う。
重そうに持ち上げられた彼の右手にようやくオスカルの手が届いた。膝をついて両手で包み込むと、血で汚れた指が何かを求めてかすかに動いた。彼の求めるものを察知したオスカルは、その手を自分の頬に導いた。
「この、大馬鹿野郎…」
両手で彼の大きな手を包み込み、血の匂いのする掌に顔を埋め、唇を押し当てるようにして、悪態をついた。

「大丈夫か…良かった…」
確かめるようにオスカルの頬をなぞり、首をたどって肩まで下がって行った彼の腕が力を失って落下しそうになるところを、オスカルは慌てて受け止める。
「アンドレ!」
オスカルの無事を自分の手で確かめた男は最後の気力で保っていた意識をついに手放し、微笑を湛えたままオスカルの腕の中に崩れ落ちた。

じっと見守っていたアランとベルナールが駆け寄って、オスカルからアンドレを抱き取り、床に横たえる。雨と埃の匂いが交じり合った、生暖かい風が吹き抜け、オスカルは足元から浮き上がりそうな感覚に襲われた。目の前が真っ白な光の渦に覆われる。蒼白になったオスカルの傍にロザリーが来て支えるようにオスカルの手をとった。

「銃弾は3発、摘出できました。失血は多量だったのですが、大動脈の損傷はかろうじて免れたのではないか、ということでした。何の設備もないこの混乱した状況では確認できなかったそうですが、弾が肺に達していなければ助かる可能性もあるそうです」

ロザリーの一語一語が重い。それでも必死に支えようとしてくれる彼女の思いが、握られた手から染みとおるように伝わり、オスカルはやっと目で感謝の意をロザリーの大きな瞳に返した。
「大丈夫に決まっているだろう。俺はさっきこの男に殴られたばっかりだ」
苦笑いしながら、己に言い聞かせるように、ベルナールが言う。よくよく見ると、確かに目の周りがうっすらと赤く腫れている。

一瞬でも気を抜くと途切れてしまいそうな意識を叱咤しつつ、ベルナールから情報を得ようと、オスカルは気力を立て直した。
「アンドレがおまえを殴ったのか?何故?」
この大怪我で激しく動いたりしたら失血死してしまうではないか。食い入るように蒼く鋭い眼差しを向けて来るオスカルに、ベルナールは手を差し出して握手を求めた。

「オスカル・フランソワ。改めて礼を言う。市民が際限のない虐殺行為に及ばずに収まったのはおまえの功績だ。ド・ローネと市長はは気の毒なことをしたが…。彼らはスケープゴートとして自らの死をもって何十人、いや何百人もの人間の命を救ったとも言えるだろう。しかし…」

ベルナールは、横たわるアンドレの方にゆっくり目を向けてから、またオスカルに向き直って続けた。
「バスティーユからグレーブ広場にになだれ込んだ群集を落ち着かせて宥める役割をおまえにゆだねた事をこの男に知らせたら、どこにそんな力が残っていたのか…」
そう言ってベルナールは片目をつぶり、拳を作って自分の顔を掠めて見せた。
「張り倒された」

アランの脳裏にその時の情景が、鮮やかに蘇った。指揮をとる姿よりもさらに神々しく、市庁舎に集まった怒れる群衆の前に進み出た上官の姿。風にたなびく黄金の髪は、焔のように翻り、この世の全ての不条理を照らし出すかのようだった。その瞳の前では、どんな小さな不実であろうと暴かれてしまいそうだった。



市庁舎の正面のバルコニー中央にオスカルは立った。大天使が降り立ったかにも見えるその姿に気付いた市民達は、毅然とした真っ直ぐな視線に一人また一人と射抜かれて、狂気から我に返っていった。 ところどころ引き裂かれ、金モールと肩章は千切れ、その代わり血と泥で 染まった軍服姿が、語らずとも彼女が裏表なく等身大で虐げられたる者の側に、にその身を投じたことを物語っていた。

凛としたよく通る声が広場に響き渡る。

「市民諸君!君達の成し遂げた偉業に深く敬意を捧げる!心からだ!しかし誇り高き市民諸君、どうか心して欲しい。今日のこの日、君達は最初の一歩を踏み出したのであって、全てはこれからだということを!」

オスカルが立つ市庁舎バルコニーへ続く階段を、中庭を、外庭を埋め尽くした大群集のざわめきが風が凪いでいくように静かになっていく。オスカルは、槍に突き刺された司令官ド・ローネの首を掲げ持つ男に黙って手を差し出した。片手に肉切り包丁を握ったままの男は、導かれるようにオスカルに槍を手渡す。槍を受け取ったオスカルの手に、血が滴り落ちた。

怯む様子の片鱗も見せずにオスカルがさらに一歩前に進む。眼下には人の海。誰もが神の啓示を受けるかのように、オスカルを見上げて次の言葉を待っている。オスカルがすっと手にした槍を天に掲げた。勝ち得た獲物を誇ると言うよりは、首の持ち主に深い敬意と、天に帰る道を照らすかのように祈りを捧げての仕草であることが、見ている誰の目にも明白だった。

「神は人間に自由を与えた。意志を与えた。だが自由意志が導き出す結果を与えるのは神ではない。我々人間だ。結果までが与えられてしまっては、我々はもはや自由ではなくなってしまうからだ!

ここに流された血かある。新いフランスの創世記第1ページを飾る最初の一文字を、彼の血で書くことを我々は選んでしまった。誤解しないで欲しい。今の諸君が背負った痛みを思う時、これだけの流血で耐えてくれた君たちを誇りに思いこそすれ、糾弾しようとは思わない。我々が今夜手にしたものは、飢えて疲れた諸君が持て得る力で勝ち取った唯一無二の結果だと受止め、信じよう。

だが、よく考えて欲しい。いつか最後のページが閉じられる時、フランスが生まれ変わる時、終章を埋める文字もこれから一字一句、活字を拾うように全て我々一人一人の責任において選び取っていかなければならないのだ。我々人民の幸福を流血をもって勝ち取るのか、神より贈られた人間の持つ崇高な能力である愛をもって築いていくのか、選ぶのは我々なのだ。今日ここに流された血潮を見る時、思い出して欲しい。それぞれの良心に繰り返し問い掛けて欲しい!親愛なる、誇り高き市民諸君!」

オスカルはそう言い終えると、槍を再び男に返した。途端に嵐のような大歓声が沸き起こる。すぐ後方でオスカルを見守っていたアランの全身を、熱く激しい衝動が通り抜けて行った。教養高い大貴族出身であるオスカルが、理想を語りながらも、飢えた市民の破壊的な憤りと、爆発的な暴力行為の裏側である弱さを認め、受け入れたのだ。

バスティーユが陥落後、怒りと勝利の歓喜に極限まで興奮し切った武装市民から衛兵隊メンバーはやっとの思いで捕虜を守っていたが、市庁舎にたどり着く前に捕虜ド・ローネーはほんの僅かな隙を突かれて側溝に突き落とされ、銃剣で串刺しになった挙句、一斉射撃を受けて蜂の巣になってしまった。後に市庁舎から引きずり出された市長も同じような運命を辿った。

アランにとって、私怨にまかせた捕虜の虐殺行為は、プロの軍人として許されざる行為だった。だが、どんなに残虐な殺戮をもってしても収まらない虐げられた者の怒りと悲しみも、自分自身のものとしてとして理解できるが故に、目の前の出来事をどう消化しても、自分の中で2極化してしまう居心地の悪さに吐き気さえ覚えるのだった。

オスカルは見事だった。
そして、一度は捨て去った、プロとしての誇りを思い出させてくれたのもこの美しい上官だった、ということを彼は思い出していた。

「こいつにも見せてやりたかったな」
そう言ってから、アランはアンドレがたとえその場にいたとしても、肉眼でオスカルの姿を捉えることはできなかったのだという事を思い出した。それでも、あの場面でオスカルが放った眩しい光の洪水を間違いなく体感できたに違いない。オスカルは神の意思と共鳴していた。見えない目にも網膜を通り越して、直接脳にあの姿が焼きついただろう。

今、ここで一回りも小さく細く見える肩を震わせて一人の男の前に跪いている女性がバスティーユの頂点で燦然と輝きを放っていた女神と同一人物であるとは不思議な感触だった。彼女が女神などではなく、生身の一人の人間であることが嬉しかった。

しかし、初めて会ったような気がしない新聞記者だという男は、敬愛する上官の生身の部分をよく理解していないような気がして、アランは一言言わずにはいられなかった。

「隊長はそれは見事だったさ。口先の演説なんてもんじゃない。そこにいるという存在感だけで群集の心をあっという間に掴んじまった。だがな、アンドレの野郎が逆上したってえのも判るね。結果的にうまくいったから良かったが、一歩間違えれば、お貴族様様のこの容姿じゃなぶり殺しだったかも知れねえぜ。何せあそこに集まっていた何千という奴らは積年の恨みを晴らす相手を求めて怒り狂っていたんだからな。まったく紙一重だったぜ」

そう思ったからこそ、アランは片時も目を離すまいと、もし何かあったら何が何でも守り通さねばと、市庁舎に上るオスカルに付き従ったのだ。

「確かに賭けだった。それは認める。ベルナール・シャトレだ」
ベルナールもアランに、どことなく興味を引かれた様子で手を差し出した。
「アラン・ド・ソワソン」
ぶっきらぼうにアランも名を名乗る。そんな男達のやり取りを黙って見ていたロザリーがついに痺れを切らした。
「ベルナール!それより今はもっと大事な事があるでしょう!?」
そう促されて、ベルナールもはっと思い直した様子を見せた。
「オスカル!そうだ。パリ市民は今やフランス衛兵隊員に限りなく敬意を表明している。できる限りの便宜を図りたいとの申し出が後を絶たない。必要なものはないか?大概の事なら都合できるだろう」

アンドレの傍で、他の動ける部下達に囲まれながら跪いていたオスカルが顔を上げた。途端に隊長の顔に戻ったことが見て取れる。
「助かる!先ずは応急手当の済んだ負傷兵達を休ませる場所が欲しい。それから必要な者には更なる治療を。元気な兵士達で市内に帰る家の無い者達は身の振り方を決めるまで野営させる。その場所の提供と水と食料が必要だ。皆贅沢は言わないが、シャン・ド・マルスにあまり近くない方がいいだろう。できる範囲で頼む」
「それだけか?」
ベルナールが心持ち笑った。オスカルも力なく笑い返す。
「情けないな。今はそれしか思いつかない」
そう言いながら立ち上がったオスカルの肩をぽんぽんと叩きながら、ベルナールはお安い御用だと言わんばかりに傍らにいた知人と見られる若い、まだ少年のようにも見える男に目配せをした。彼は頷くと、さっと走り去っていった。

「今おまえが言ったことはもう手配してある。ここに残っている兵士達は隊長の無事を確認するまでは待つ、と言って頑として動かなかった連中だ。もう既にそれぞれ病院へ運ばれた者もいる」
「手際がいいんだな」
「そこで気絶している男の指示だ。きっとおまえはそう言うから、さっさと動けと言うんでな。いけなきゃ後で自分が怒鳴られてやるからとね」
それを聞いてアランが思わず口を挟む。
「ほう、そりゃ。で、それはおまえさんが殴られる前かね、後かね」
「悪かったな、後だ」
憮然としたベルナールに、アランがにやりと口角を片方だけ上げた。
「奴さん、よっぽど何かしていないといても立ってもいられなかったんだろうよ。つくづく莫迦で苦労性な野郎だぜ」

オスカルが静かにそれを受ける。
「その馬鹿野郎を運ぶのを手伝ってくれないか。雨が強くなった。此処では傷に障る。お望みどおり怒鳴りつけてもやれない」
乱雑な言葉とは裏腹の、慈しみに溢れる柔らかな声だった。
アランはたまんねえといった風に頭を振った。こんな声も出すのか、初めて聞いた。

「それにおまえもだ、アラン。よくも先頭に立って馬鹿の片棒を担いでくれたな」
オスカルが部下に悲しげに微笑んだ。アランは決まり悪そうに小さく肩を竦め、応えるともなく呟いた。
「俺はこいつよりもっと頭が弱いモンで」

すると、ふっとオスカルが笑ったような気配がした。躊躇しながらオスカルに目を戻したアランの前には、慈愛が人の形をしたらこの微笑以外にはあり得ないだろうほどの優しさを湛えた美しい人がいた。冷静沈着、自己を完全に理性で律した凛然とした印象の背後に、驚くほど豊かな情感と情熱を持つ人とは知っていた。しかし、この2日間で自分はまだこの人のほんの一部しか知らないのだと、思い知ったアランだった。初めて見るこの人のその表情は聖母のそれだった。

「礼を言う」
聖母が口を開いた。思いもかけない言葉に、アランは芯を抜かれたように、絶句した。

動けないフランソワ、ジャン共々、衛生兵が担いできた担架に三人をそれぞれ乗せ、歩ける負傷兵と一緒にベルナールに先導されて歩きながら、アランは徹底的に打ちのめされた後の、納得する以外どうしようもない、限りなく感動に近い敗北感を味わっていた。完璧に完敗。それは今日の戦闘の勝利感と、生まれて初めて得た、ついて行くに足る上司が下した決断への胸が震える歓喜と相まって、古いこびりついた感情を滝のように洗い流していく。

爽快と言っていい程空っぽになった自分。
「悪かねえな」
そう呟くアランの視界の端に白いものがすっと動いた。土気色をしたアンドレの手の上に、普段はそう華奢に見えない指が、透き通るように白く細く置かれ、そっと動かない指を握り締めたのだ。

『俺達の誰かが、必ずおまえを見ていて指示してやるから、聞き逃すな』
約束をした方も無謀だったが、見えないくせに戦場に出てきたこいつが一番無謀だった。危なっかしく参戦していたが、咳き込んだ隊長に銃口が向けられた時には、指示など待つまでもなく真っ先に反応して、信じられないほど正確に銃口と隊長の間に割って入った。あの呼吸と間合い。目には見えないけれど大地の下で同じ根っこで繋がった二股の木のように、あらゆる感覚を共有しているかのような二人だ。

その後の隊長の乱れ方が、その場に居合わせた者に全てを語った。時間にすればほんの一刻だが、一瞬の判断の後れが、結果を大きく左右させる戦闘中において、司令官としては決して許される自失ではないのだろう。だが、美しいと思った。この人間らしい瑞々しい情に溢れる姿を、冷静で完璧に制御された指導者としての立ち居振舞いの合間に、時折掠めるように見え隠れさせるこの人だからこそ、ついて行きたいと思ったのだ。だが、今日は完全にやられてしまった。ま、俺だけじゃないだろうがな。アランの意識は再び長かった今日の1日に戻っていく。

パリは、今夜は眠らないことを決めたようだった。歓
喜と酔いと国王軍の逆襲への恐れが二重、三重に重なりあう歓声は、止むことを知らずに街の至る所で沸き起こり続けた。
            ~To be continued~


                    

7.14 2004
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